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カルローナ物語  作者: 波井 最中
清濁絡み合う世界
5/15

四話

 明くる日、道の端に薄らとある雪が日の光み輝きを受けている。いつもよりも音が多い。たったったと歩く音。からからと馬車の車輪、たんと石を打つ林檎の音。そしてどこかしらで泣く少女の声、それを馬鹿にする少年の嘲り。

 寒くとも商人は働く。時には毛皮を羽織り、裕福な者は温かな羽毛で身を包む。路肩で商いをする者は、地べたに布一枚で、目の前に商品を並べる。簡素な小屋を建て、即席の店構えを整える者もいる。だが、大きな商店の前には居てはならない。商人たちのルールとして、広く知られている。それを破るものは、ここでは生きられない。商人として、時には人として死ぬ。

 日が昇ったこの時間になると、店はもう開ききっており、新参が入る余地は、人気のない裏通りだけ。客もなければ信用もない。遅れたものに慈悲はない。それでも、一縷の期待を込めて布を敷く者もいる。日陰は寒い。

 その雑多な通りをフィロは一人歩いている。彼は今日休日だ。

「お兄さん、見てかないかい」

 果物売りの女性が話しかける。

 フィロはそれに対して会釈を返し、立ち去る。

「つまらないお兄さんだね。こんなんばっかだよ、この街は。辛気臭いったらありゃしない」

 野菜売り、魚売り、乳売りに肉売り。変わり種で、ジャンク品を広げているところもある。

 フィロは食材を物色しながら、時おり買い付けている。そうしている中、汚らしい店主がパイプを加えながら、胡坐で舟を漕いでいる店があった。

「店主、ここは何を売っている店なんだ」

 フィロは思わず立ち止まり、尋ねる。

「あんだい」

 目深に帽子を被った店主は眠そうに答えながら、煙の出ていないパイプを口で弄ぶ。

「せっかく店を開いているのに、それでは商売にならないだろう」

「へん、素人が何言ってるんだか。分かる奴には分かる。お前さんみたいな物知らずにゃ分からんよ」

「人は誰しも、初めから全てを知っているわけではない」

「へぇ、有名な経典の一節だね」

「故に、今知ろうと後で知ろうと変わりはなく、ここで教えてもらえれば、私は今物知りの仲間入りを果たせるんだよ」

「へえへえ、御高説どうも。んで、兄さんはこれがどう見える?」

 店主は、自身の目の前にある商品を視線で指す。

「私は宗教に興味はないよ。それで、これが何に、か。ガラクタにしか見えないが」

 商品は様々だ。家庭用のランプに使われていただろう欠けた硝子や、剣の柄だけ、何かしらの鋲など統一性がないが種類だけは豊富なように見える。

「かあ、これだから見る目のない奴は駄目だ。いいか、授業料はしっかり払ってもらうぞ」

「これくらいでいいかな」

 フィロはいくらかの銅貨を差し出す。店主は話の後に吹っ掛けようとでも画策していたのだろうか、悔しそうな顔をしてからじっくり数え、懐に納める。

「いいか、例えばこれだ」

 そう言って商品の中から取り出したのは、何の変哲もなく見える剣の柄。

「何も特別じゃなさそうだがね」

「それを決めるのはあんたじゃない。あんたにゃ確かに価値のないものかもしれないが、付ける奴は必ずいるんだよ。例えば、一人の貧乏な青年が居たとしよう。彼は貧相でいじめにあいやすい。そこで、鞘とこの柄だけを持てば、少しは強そうに見える。剣身があるよりは圧倒的に安く済むからな」

「それでも捨て値じゃないか」

「タダより捨て値の方がいいに決まってる。仕入れはただも同然だからな」

「と言うと?」

「馬鹿か? 戦場のお陰に決まっているだろう」店主は馬鹿にするように言う。「この国は戦争の国だ。南の小国群に北の民族ども。壊れた武器を拾う奴らは後を絶たない」

「だが、そんなものを拾っても儲けにはならないだろう?」

「確かに、鍛冶師どもは買わねえな。古臭い決まりに縛られて、目の前の金を払うんだ。でも、現にこうして買う奴もいる。俺は小遣いみたいな額で買ってるが、表に出てこない鍛冶師なりなんなりは結構金出すぜ」

 フィロは改めて並べられている商品に目を通す。そうすると、武器と思わしき物には僅かに黒々とした跡が残っている。血を拭いた後なのだろう。しかし、話を聞いても理解できないことがある。

「しかし、このような様子じゃ、とても生活するほど稼げるとは思えないのだが?」

「ここからは追加料金だ。これでも優しい方だぜ?」

「これはかなり取られそうだ。いや、また今度にしておくよ」

「なんだい、張り合いがないね」

 店主は使い古したパイプを再び咥え、まるで本当に吸っているかのように蕩けた目付きをする。それはかつての幻想を思い起こしてのことなのか、それともまともに金もない中毒者の末路と言うだけなのか。

 喧噪は続く。この通りはとても長い。もうすぐで物売りのエリアが終わり、安物だが暴力的な香りを漂わせるエリアに入る。中心にある城から離れたこの地域では肉体労働者が多く、塩気と満足感を求めてふらついている。しかし、フィロはそこには用事がない。特別通る理由もない為、自分のいる流れと逆の人の流れに乗ろうとしたとき声が聞こえる。連続する怒号だ。

 こういった諍いなどは、街の治安を守る憲兵や準騎士の仕事になる。多くの場合が双方不問とされるが、時には裁定が下るときもある。騎士に準ずる権限を持つ準騎士が来た時には、その場で刑を執行することも珍しくはない。

「おら、主人を呼んで来い!」

 人ごみに塗れ、騒動に背を向けているのに聞こえてくるほどの声。

「それだけは勘弁してください。何せ子供のしたことです。どうか寛大なお心でお許しください」

「ふざけるな。奴隷の分際で何を言ってやがる。どうでもいい、主人を呼んで金を払わせろ」

 聞こえる人の話を纏めるに、奴隷の子供が一人はぐれた隙に、隠していた小遣いで買った食べ物を、近くにいたガタイのいい男にぶつけてしまったらしい。それに気付いた女の奴隷が必死に守っている、といった状況。

「おい、誰か呼んできた方がいいんじゃねえか。あの男、相当酔ってやがる」

 何を思ったか、フィロは隙間から騒動を覗く。奴隷の子は酷く殴られ、顔はよくわからなくなってしまっている。目の上を切ったのだろう。流れる血が伸びきった前髪に絡みつき、顔に張り付いている。酷く痩せ細っている。女の方も痩せている。男好きのしそうな身体と、その仕事をする為の薄い服。顔にはできものや斑点がある。酷い状態だ。珍しい性病か何かに罹っているのだろう。

 きっと助からない。この国の奴隷は物として扱われる。個人の財産であることには変わりないのだが、他国に比べて扱いは酷い。憲兵が来ればまだ希望があるが、その役職名から自分たちを半ば特別視している準騎士たちは嬉々として奴隷を切り捨てる傾向にある。自分たちはあのノーブルブラッドと変わらないのだと愚かな思想を抱いて。フィロは周辺の地図を脳内に映し出し、ここから最も近い駐屯所は準騎士が多く、ここらの管轄の殆どが彼らであることを思い出す。

「何事だ!」

 想像通り、この中にいた誰かが連れてきたのは、愚かそうな顔をした準騎士の二人組。

「なんだ奴隷か、面倒だな。おい、主人は誰だ?」

「グルティーネ商店の主人です」

「ああ、あの小さな。で、お前は商品といったところか」

「ええ。この子は手伝いです」

「被害者はこの男だな?」

 男は未だ怒り冷めやらずと言った形相で睨み続けている。

「ああ、そうだ。奴隷の分際で俺の服を汚しただけじゃねえ。このガキ、一言も謝らねえ」

「なるほど。この奴隷共は私たちの方で預かろう」

「準騎士様、どうかお許しください。子供のしたことです。それにこの子は喉を切られ、口が利けぬのです」

「ほう」

 準騎士の男はすうっと目を細めて顎に手を当てる。

「奴隷の女よ。私は預かると言ったのだ。口答えは重罪に値する」

 もう一人の準騎士が腰の剣を抜き、奴隷の女の首に当てる。

 これから起こる事を皆分かっているのだろう。汚れない為に、野次馬の殆どが去ってゆき、残った者達も距離を取る。

「そんな、どうかおゆる」

 女の言葉は続かない。肺から送られてくる空気の通り道を切られてしまっては声は出ない。準騎士の剣はあまりよく研がれていない。叩き潰すように切られ、落ちた女の頭の切断面は酷く汚い。

 奴隷の子供は開けられない目の隙間から涙をほろほろ流し、奴隷の女の頭を拾い上げ抱える。

「更なる口答え。即座の刑執行は当然だな」

 子供は準騎士を睨みつける。

「そして、反逆の芽は潰さないわけにはいくまい。童を切るは気が咎めるがね。これも全て国の、陛下の為に」


 フィロは既に帰路についていた。先の分かったショー程つまらなく、くだらないものはない。この国において、白昼堂々奴隷が殺されるのはあることだ。それ自体は頻繁ではないが、殆ど物がそれに違和感を持たないようになっている。この国の法律が故に、だ。フィロ自身もあれに手を出そうとは思わない。その場で生き残ろうと、問題を起こした奴隷は遠からず捨てられる。そういう奴隷は死ぬよりも悲惨な目に合う。あそこで死ねたのはむしろ幸運であったと思うべきである。それに、自分は貴族に仕える衛兵だ。言うなれば、あの準騎士と立っている場所が同じなのだ。自分の立場を守るためにも、周囲と同じようにするべきである。それこそが、この軍事大国ネウラモスで生きていくのに必要な心得なのだ。そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか妻の待つ家に帰ってきた。

「お帰りなさい」

 女はにこりと迎える。奥の方から良い匂いが漂ってくるのは、彼女が料理をした証拠だろう。近くに杖も置いてある。

「ああ」

「顔色が優れないようですが、何かございましたか?」

 女はゆったりとした口調で尋ねる。

「いや」

「そうですか」女は仄暗く笑う。「ご飯食べていってください」

「ああ」努めて。

「出かけるのでしょう?」

「二、三日だ」淡々と。

「お気を付けてください。最近何かと物騒ですから」

「そうか」答える。

「また待っていますから」女は朗らかに笑う。「貴方の、妻ですから」


 ロノウェ子爵邸、本邸。昼頃の執務室では、屋敷の主と数人のメイドと執事が仕事をしている。

「昼の分の仕事は終わりだ。君たちは下がっていなさい」

 ケラニスコは机の脇に少し溜まっている書類を纏め置き、メイドたちを退室させる。

「シャルト、私は息抜きをしてくるが、誰も入ってこないように頼むよ」

「畏まりました」

 執事服を着たシャルトは綺麗にお辞儀を返す。

「いつも済まないね。何か欲しいものがあったら言ってみなさい。出来る範囲で答えよう」

 ケラニスコは上着を脱ぎ、ラックに掛けながら訊ねる。

「それでは二、三日暇を頂けたらと思います」

「ほう、構わないが。興味本位で聞かせてもらっていいかね」

「久しぶりに賭場へ行きたいと思います。鈍って仕方ないですから」

 秘密の扉をくぐっていき、息抜きへと向かった主人を見送りながらシャルトは、部屋内を軽く見回る。窓の外を確認し、カーテンを閉める。唯一人が出入りする扉には自分自身が正面に立ち構える。彼は目を閉じ、聴覚と触覚に神経を集中させる。


 翌日から暇を貰ったシャルトは普段のかっちりとした雰囲気から一転し、荒々しい服装へと着替え自宅を出る。自宅とは言ってもロノウェ子爵邸からさほど離れているわけでもなく、敷地内ではあるのだが、本邸から直接出るよりは外聞がましだろうとの判断だ。

 シャルトは貴族街から平民の区域、そしてアンダーグラウンドの地域にやって来る。漂う阿片の臭い。どぎついアルコールだけではない。

「最近の流行りは蝶々花ですか。随分と金回りが良いようですね」

 壁に背を預けている歯抜けの男どもの足を乗り越え、時に蹴飛ばし進んでいくと、やや大きな天幕が見えてくる。中からはとにかく汚い言葉が聞こえてくる。しかし周りに普通の人の家はない。方から外れたこの場所には苦情はこない。

「やあ、入れるかね」

 シャルトは天幕の入り口に立つ半裸の男に尋ねる。男ははち切れんばかりの筋肉を見せつけ脅すように睨みつける。

「ああ? 見た事ねえ奴だな。死にたくなかったら失せな。ここはてめえみたいな優男が来るとこじゃねえんだよ」

「ふむ、おかしいね。君はもしかして新人かな。それともキメすぎてトンじゃった方かな」

 シャルトは極めて堂々と答える。荒々しい服を着ていようと、彼の見た目は執事をやっていても違和感を感じないほどのものだ。

「ロバを呼んでくれ。そうすれば君が如何に愚かがわかるはずだ」

「喧嘩売ってんのか、そうだそうだろう。いいだろう、ここで殺してやるよ」

 男は自らの爪で露になっている胸を引っ掻き始める。彼の胸元にはいくつものミミズのような跡がある。

「薬の方か。可哀そうに」

「挑発はそこまでにしてくれないか」

 シャルトが腰に下げたナイフを取り出そうとしたその時、物陰から出てきた狐の妖怪のような男が呼び止める。

「クラウジマン、下がりなさい」

「ああ? でもこいつが」クラウジマンと呼ばれた男は動揺しながら答える。

「トーチャーとトレーニングと、君はどちらが好みだったかな」

 狐男は化け物のように口角を上げる。

「いや、すみません」クラウジマンは焦り始める。焦点も合っていないようだ。「どうぞ」

「ロバ、相変わらずなんだな」

「シャルト、久々だね。もう来ないと思っていたよ。君にやられた傷が疼いてくる」

 ロバは口角を触る。それは縫合跡が無く、人にしては不自然な口は千切られたようなものだった。

「暫くまともに食べられなかった。お陰でこの通りやせ細ってしまったよ」

「あの時のことは仕方あるまい。それに君はそれがベストコンディションなのだろう?」

 ロバはとても楽しそうに笑い、シャルトの肩を叩く。

「今は何をしているんだい。君が居なくなって、ここは随分と寂しくなったんだよ」

「はっはっは。昔の私からは想像も出来ないことをしているよ」

「そうかいそうかい。いやはや、貴族の執事様をここで立たせておくのも私の沽券にかかわる」

 シャルトは忌々しげな表情をロバへと向ける。

「さあ、今日は何しに来たんだい」ロバは天幕の中に誘いながら訊ねる。「ここへは来ないと思っていたが」

「主人が何かに怯えているんだよ。私自身も屋敷内に何かを感じている。鈍っている体を覚ましたくてね」

「なるほど。詳しくはきかないが納得したよ。こちらとしては是非もない」ロバはにんまりと笑う。「早速出るかい?」

「そんなに早く組めるものなのか?」

「クラウジマンの反応で察して欲しいものだがね」ロバは複雑な表情になる。「君は忘れ去られた過去の遺物。オッズは最低さ」

 シャルトはころころ表情の変わるロバを見て気分を悪くさせながら、彼の後ろをついていく。

「得物はどうする。貸そうか?」

「お前は前にも増して面倒になったな。その口さらに広げてやろうか」

「勘弁してくれ。形式美として、誰にでも言うのさ」

 ロバは職員と思わしき青年に何かを耳打ちし、シャルトへと向き直る。

 天幕の中は仄暗い。ランタンの灯りが所々にあるのだが、足元にまではそれは届いていない。歩いていると時折硬いものにぶつかる時がある。乱雑に置かれた汚い武器たちだ。シャルトの待機している場所には貧相な男や少女までいる。

「少女とは珍しい」

 少女は垂れ下がった脂塗れの前髪の隙間からシャルトを睨みつける。

 くすんだ茶の肌か。カツォリの血を引いていることは確かそうだ、と彼は思いながら彼女から視線を切る。

 周囲には同じように汚らしい人間たちがいる。体中に斑点が出ている者、不自然にやせ細っている者、視線が安定しないもの、四肢が揃っていないもの、奇声を上げる者。この場所は賭場。天幕をくぐるのはある程度金に困っていないもの以上か、終わらせに来た者かと言ったものが大半だ。そこに漏れる者も確かに存在する。それがシャルトを始めとした数人だ。

 光が漏れている布が上がり、会場の光が強く差し込んでくる。

「シャルト、良かったな一番手だ」

 ロバが会場側で楽しそうに客サービスをしている。

「本日やってきましたは傭兵崩れ。腕に覚えがあり、とにかく人を殺したくて来た酔狂モン。このイカレた新人を優しく出迎えてくれるは」シャルトのいる出入り口の反対を指す。「我が興行で最も勢いのあるこの人物、パートン」それはそれは大袈裟にアピールを始める。「もう皆さんよくご存じかも知れませんが、カリュガ人のこの奴隷、戦闘センスは抜群。ここで勝利すれば自由へチェックになりますね」

 ロバの仕込みだろう男が彼の下に駆け寄り、耳打ちをする。

「なんとここで、新たな情報です。このパートン、病の母と幼い弟を抱えているのだとか。金は貯まっても送ってやらないのが我々のやり方。つまり、彼のためたお金は自らの手で運ばなくてはならないのです。何と哀れな事でしょう。同情で涙が出てしまいます」

 賭けが始まる。お涙頂戴の物語は、観客にとってスパイスに過ぎない。だが、目の前で積年の願いや希望が潰える様を見たいという欲望が働き、大量の金が動く。

「さてさて、間も無く賭けのお時間は終了です。よろしいですか? では始めましょう」

 悪魔のような笑みを浮かべているロバが退場すると同時にゴングが鳴る。殺し合いが始まった。


「あれが最も勢いのある人物か。落ちたな」

 目の前で肌の色を残さずに息絶えているパートンを見下ろしながら、シャルトは一人ごちる。

「いや、試金石にもならなかったかな?」

 ロバは鼻に布を当てながら近付いてくる。

「昔の方がまだ粒が良かったよ」

「ははは、勘違いしてもらっちゃ困る。ここは小さな賭場だよ? ここ程度で勢いがあろうとも、ゴロツキから一歩出た程度に過ぎない。君にかかればこんなものさ」ロバは顰める。「それにしても、純粋なカリュガ人がこの様か。なんて情けないゴミなんだかね」

 パートンの死体には無数の切り傷があり、徐々に切り刻まれ、全身血にまみれている。人の形をした肉塊とも言えるだろう。

「明らかに戦士じゃない。農民か何かの出だろう?」

「ご名答。どこかからやって来た移民だよ。盗賊に捕まって売り飛ばされたって話だ」ロバはくつくつと笑う。「聞くかい?」

「どうせしょうもない話で、死体の昔話には興味ないよ」シャルトは僅かに血が付いた手を煩わしそうに見て、会場を後にしようとする。「お前は昔から性格が悪い」

「いいじゃないか」

 ロバは司会の仕事もそこそこにシャルトについてゆき、手を洗う彼を眺めながら勝手に話し出す。

「彼の母親はとっくに死んでるよ。彼がここに来た次の日に死んだそうだ。それでだ、弟の方なんだがね」

 シャルトは諦めたように麻布で手を拭いている。

「何だかと言う貴族に買われたらしい。とてつもない変態貴族だと、奴隷商人から聞いているよ」

「へぇ、それはそれは」

「もちろん、カリュガ人でね。カリュガ人の割に可愛らしい顔つきで、かなり言い値がしたそうだが、どこかへ流れて行ってしまったそうだ。今頃どうしているのか」

 ロバはわざとらしくシャルトへと笑いかけ、けたけた嗤う。

「さあね。次の組み合わせはどうなっているのかな?」

 シャルトは努めて通常の表情で返す。

「忠義の塊だね。さあ、歓迎の日だ。お望み通り大量に組んでやろう。願わくば死なないでくれ給えよ?」

「心にもない事を」



 執事が出かける様子を見つめる人物がいる。その服装から考えて、屋敷に仕えている誰かなのはわかる。その人物は何か動き出すわけでもなく、時折すれ違う同僚に対して挨拶を交わしては、不自然さを見せない為に、見る窓を変えていく。そうしている中、後ろからワゴンを運んできたメイドが、その人物の後ろでほんの数秒止まる。揺れている食器などを気にしているようだ。すぐに動き出していった。

 彼はベルトの後ろを探り、小さな紙片を取り出す。それに軽く目を通したら口の中に放り込み、そのまま飲み込んでしまう。彼は先程のメイドに目を向けることは無い。さえずっていた小鳥が二羽飛びだった後、自分に割り当てられた部屋へと戻る。

 彼の仕事は終わっていたため、そのまま帰ることになる。簡単に準備を済ませ屋敷を出て行く。さほど時間もかからずに、ある家に辿り着き、小一時間ほど滞在してから、まだ日があるというのに遊びの通りへと向かっていく。しかし遊びには行かない。食堂の若い女が呼び止めようとしても、軽く会釈するだけで素通りだ。二時間ほどかけ辿り着いたのは、ロノウェ家の屋敷と同じくらいの大きさの屋敷。彼は裏口へと進んでいき、そこで立っている薄暗い人物に胸元から出したメダルを見せ、中へと進んでいく。

 暗がりの一本道。貴族の屋敷などには、有事の際の用いるために、必ず用意されている逃げ道となる通路。普段から人は通らないのだろう。石の床に積もった埃が、外と同じように足跡をくっきりと残していく。舞い上がる埃を吸い込まないように、布を口元に当ててはいるが、じめっとした空気に狭い空間はあまり長居したくない場所だ。

 そうして辿り着いた石の壁。一見行き止まりのようにも見えるが、事前に教えられている細工を弄れば、扉のように開き、建物内部の灯りが、さあっと流れ込む。

「久しぶりだな」

 煌びやかな部屋で彼を迎えたのは老執事。顔だけ見れば柔和な物だが、その物腰はプロとしての年月をしっかりと感じさせるものであり、少しでも見る目のあるものであれば侮る態度はとらない。

「話は聞いている。奥へ」

 男は老執事に黙って付いていく。男は別段周りを見るような真似はしない。貴族の家の内装など飽きるほど見てきたというのもあるが、今回の依頼主はやたら彼に会いたがる。直接話を聞きたがって我儘を言ってくるのは、彼の仕事の特性上不満が募る。しかし、それも含めての高額な仕事だ。こなさないわけにはいかない。彼はまるで頭痛を我慢するかのように、眉間に指を押し当てる。

「どうぞこちらへ」

 案内されてきたのは、彼にとって何回目となっただろうかという、依頼主の部屋の扉前。濃茶の重厚な扉を遠慮なしに開ける男。

「やあ待っていたよ。さあ聞かせてくれ。あの子の様子を」

 中でソファーに腰かけているのはやせ細った男。小奇麗な服に身を包んだ彼は、病的と言うよりも元から体質的に脂肪が付きづらいように見える。薄緑色のソファーのクッションは僅かにしか沈んでいない。

「早く私にも聞かせて頂戴」

 座る男の隣で指を絡ませながら訊ねるはその妻。肉感的と言えば良く聞こえるかもしれないと言わざるを得ない程に脂肪を溜め込んでいる彼女は、見えなくなった顎の肉を震わせている。

「ここまで来るのに苦労したので、良ければ一息つかせてくださいませんか?」

 そう言い、彼は紅茶を催促する。

「ベリグレンテ子爵様、ミス・カレルナ。どこからお話いたしましょうか」

 依頼主はベリグレンテ子爵とその夫人。平々凡々な文官で、歴史的にはとても浅い。先々代から子爵家に昇爵したものの、先々代の才覚は薄れてゆき、今代における地位も危ぶまれてきているほどだ。しかし、平々凡々なりに仕事をこなす為に、手を付けられないという特殊な環境下にいる。

「人物その一に関しましては、前回とさほど変わりないですね。相も変わらず愛されていますよ」

 ベリグレンテ子爵、ジャックスはぎりと歯ぎしりさせ、掌に爪を食い込ませる。

「最近肌の輝きが増したとか聞こえてきましたね。少し髪が伸びて、襟足が肩にかかりそうでしたよ」

「そうか。それはそれは魅力的になっているのだろうな」

「ええ。何やら他の貴族と会っていたようですが、その時の様子までは見れませんでした」

「なるほど。という事は側近すら中に入れなかったかもしれんな」

「ええ、その通りです。騎士は部屋の前に立っていました」

「という事は秘密裏に会わなくてはならない貴族。あいつならば誰だ?」ぶつぶつと口の中で独り言を始める。「あの子爵に決まっている。あそこは色んなコネがあるし、少なからず関係がある」

「今回は情報が少なかったお詫びとして、サービスです」

 男は背負った袋を広げ、中から小さな袋をジャックスに手渡す。

「おお、これは!」

 ジャックスは袋の中を見て、どろりとした表情を浮かべる。中身は知らない方がいいだろう。ジャックスは袋から中身を出さずに、口元に近付けて匂いを嗅いでいる。

 男はその光景に内心吐き気を催しながら、カレルナの方へと向かう。

「人物その二ですが」

「あの方をそんな風に呼ばないで!」

 カレルナは汗と唾液を飛ばしながら怒鳴りつける。指輪が食い込んでいる太い指を、丸まった芋虫のようにして作った両の拳を男に向ける。

「申し訳ございません」男は焦らずに言葉を続ける。「チューレリア様ですが、こちらも相も変わらずといった様子ですね。基本的にはお付きのメイドであるサルマ」

「あのクソ猫め。汚らわしい獣が」カレルナの芽が充血を始める。

「ええ、そのサルマが一緒に居て生活しているようですね。ですが、つい最近のことでしょうか。変わったことがありまして」男は紅茶を口に含む。「そのサルマが時々チューレリア様の傍を離れては、衛兵の詰める兵舎に向かっているのですよ」

「あの糞女。チューレリア様という方がいながら、男に手を出しているわけ? 本当汚らわしいわ」

「それがですね」男は言いにくそうにしながら、また紅茶を飲む。「チューレリア様の部屋まで案内しているみたいなんですよ」

「なんですって!」

 カレルナは机を叩きながら立ち上がろうとするが、その体重を支える十分な筋肉のない足と、不摂生により脆くなった膝関節が悲鳴を上げ、腰が曲がった状態のまま達磨のように、ソファーに倒れ込む。

「まだ二回程ですが、密会をしているようですね。それ以上は分かりかねます。あまり人が立ち入らない場所ですから、私が行けば嫌でも目立ちます」

「どんな男?」カレルナは息を切らしている。

「平凡、ではないですね。ロノウェ家で衛兵になってから二年で門番を任されるほどですから、腕が立ち、性格もそこそこ良いと思われます。衛兵長は見る目がありますから、既に彼を矯正係に据えている面もあります。見た目は平均よりは上と言ったところでしょうか。クユマイ人の血が入ってそうだとは思いますが、少し変わったカツォリでも通りそうな感じです。あまり口は達者な方ではないですが、妻がいるという情報もあります。残念ながら、そのあたりについてはまだ情報を集めきれていません。つい最近のことですから」

「なるべく早く情報を集めて、その男を消しなさい」

 脂肪の付いた上瞼で細い目を更に細くしたカレルナに対し、男は肩を竦めるような態度を取る。

「料金外の仕事にしては厳しすぎますね。サービスしたいところですが」

「必要経費は後で纏めなさい。いいわね、ジャックス」

「勝手にしろ」

 ジャックスは未だに顔から袋を離していない。ほぼ一人の世界に入り込んでいる。男が帰った後何をするのか、簡単に想像がつくような表情で。

「しかし、消すとは穏やかではないですね。飛ばすではダメなんですか」

「貴方は近寄る羽虫をそっと逃がすの?」カレルナはクスリと笑う。「それも、とっても大切にしている花の花弁に穴をあけたり、蜜を吸い上げような羽虫を」

「花であれば、そういった羽虫のお陰で実をなせるのですがね。そういう事ではないのでしょう?」

「花は花であるから美しいの。実なんか醜いわ」カレルナは目を見開く。「花はそのまま落ちなければならないのよ。そして落ちた後は優しく拾って、時間をかけて儚くも美しいドライフラワーとして飾るのよ」

 男は平然と笑う。そう見えるようにふるまっている。仕事でなければ関わりたくない人種の代表だろうと彼は思う。比較的男は柔軟だ。アンダーグラウンドで過ごしてきた彼にとって、愛の形が一つで無いのは不思議ではない。しかし、この病的なまでの偏愛は受け付けない。

 この部屋は質素なものだ。子爵家とは言え、貴族の住む場所としては不適格の烙印を押されても否定できない。調度品など所々にしかない。いや、むしろ歯抜けのように欠けている。そんな不自然な質素感がこの部屋、いや屋敷中がそうなっている。金払いの良さは、とても子爵家では払いきれないもの。であるならば、先代たちが残してきたものを食いつぶしていくしかない。ベリグレンテ家の終焉はすぐそこのように迫っている。

「それでは、その男は消すとして、主な目的は優先させて構いませんね?」

「当然の事を訊かないで。何よりも優先させなさい」

 男はベリグレンテの屋敷を後にし、再び雪道へと戻る。先ほどまで暖炉で温まっていた体を、外気は無情にも冷やしていき、月明かりもない裏通りを歩いている男の鼻頭はほんのりと赤くなる。さて、どうしたものかと無精髭の生えている顎を摩りながら考える。ほたほたと小さな雪の結晶の集合体が肩に積もっていくのも気にせず、時折ワイン瓶の入った木箱に蹴躓きながら、ふらふらと進んでいる。

 黒々とした柵上の門の両端に、毛皮のマントと手袋までした門番がいる。右へ左へと体を揺らし、にぎにぎと手を温めるように動かしている彼らの目の前に行き、顔をしっかりと確認してもらってから中に入る。門番の話すのも億劫だと言わんばかりの態度に男は内心苦笑しながら、慣れた足取りで薄ら雪の石畳を進み、兵舎へと辿り着く。やはり慣れた足取りで物音のしない中を進んでいき、衛兵長から割り当てられた自分の部屋に入る。そして、誰だかに譲ってもらったタペストリーくらいしかない部屋の粗末なベッドで、もうすぐそこに迫ってきている自らの計画の穴を再考しながら眠りにつくのだった。

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