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カルローナ物語  作者: 波井 最中
清濁絡み合う世界
3/15

ニ話

 カルロッテ山脈南部、山脈に背を向け存在する国。単純に強国と謳われるネウラモス王国は、現在冬を迎えていた。山脈から吹き下ろされる風は身を斬るような寒さを運んでくる。暖かい季節ならば賑わう、王都の中央道も閑散とし、商人の数は少なく、裏道の娼婦もどこかに消えてしまっている。

 寒い季節だろうとも、仕事は往々にしてやってくる。それをこなしている二人は、金属鎧の下に厚めの布を着込み、上には毛皮のコートを羽織って、右手に身長を超える槍と、腰に長剣を薙ぎ、黒鉄の門の両脇に立っている。

「フィロ先輩、寒いっすね」

 二人の内の片方、寒さに震えながらも軽薄な笑みを浮かべるくすんだ金髪の青年ランドは、横に立つ人物に声をかける。

「そうだな」

 フィロと呼ばれた男は、ランドに一瞥をくれることなく、言葉短く答える。

「後どれくらいで交代ですかね?」ランドはその反応に慣れた様子で続ける。「もう槍持ってる手の感覚が無くなってきてるんですけど」

「そうか」フィロは白い息を吐く。「交代したばかりだ。あと一刻は我慢しろ」

 フィロの兜の下から覗く銀髪の一房が揺れる。決して優しくない風が二人を撫で去っていく。

「こんな寒い季節に、不届き者だって休んじゃいますよ。サボりません?」ランドは僅かな期待を含ませる。

「俺に稽古をつけられるのと、どちらが良い?」

「それは勘弁っす!」何かを思い出したかのように焦るランド。「先輩の稽古は稽古じゃないですよ。ただのシゴキっす」

 フィロは黙って息を吐く。

「そういえば、三番街の裏にある娼館に新しい娘が入ったんすよ。田舎から出てきたばかりだっつーんで、垢抜けない感じがそそるんすよ!」

 ランドは顔の前を白く染めている。

「随分詳しいんだな」

「いやあ、そこの店主と仲が良くてですね。新しい娘の情報をすぐに教えてくれるんすよ。それでっすかね」

「それにしては随分興奮しているようだが?」

 フィロは軽くランドを一瞥し、そう一言。

 その様子にランドは内心勝ち誇っていた。

「そりゃ、抱いたからに決まってるじゃないですか。中々可愛くて、褒めたらすぐ赤くなって、何でもやってくれるんすよ。娼婦やるには初心過ぎですよ」

「そうか」フィロは間を置く。「こと、娼婦の話には事欠かないな。どこに金を隠しているんだ?」

 ランドは上機嫌になりながら答える。

「ツケてるってのもありますが、未熟な娘を開発するんで、かなり安くしてもらってるんすよ」下品な笑い声。「持ちつ持たれつ。俺の欲求は収まるとこ知らずって感じっすね」

 フィロはそんなランドの様子に興味を無くした様子だ。

「フィロ先輩は行かないんすか?」

「嫁がいるからな」

「そういえば、そーでしたね。あんまり自慢しないもんですから忘れてましたよ」

 遠くの方でカラカラと石畳を木が叩く音が響き、彼らの元まで届く。雪はまだない。剥き出しの石と木の音は、閑散とした通りによく響く。

「少しは奥さんの話を聞かせてくださいよ」

「その前に仕事だ」

 フィロは後輩の話の為に割いていた意識を目の前のものに切り替える。その姿を見たランドもまた、緩慢にだが姿勢を正す。

 先触れと思わしき騎士が馬に跨がり、門へとゆっくり近付く。

「カルラド子爵家の先触れだ」騎士はそう言い、カルラド子爵の家証を示す。「我が後に来る馬車には、カルラド子爵家次男、バラット様が乗ってらっしゃる。通すべし」

 フィロは表情を変えずに馬上の騎士に視線を真っ直ぐ向ける。

「カルラド子爵家、バラット様の来訪に深く歓迎の意を表します。しかし、門番の任をロノウェ子爵閣下に仰せつかっている身としては、馬車の中を改めなくてはなりません。どうかお許しを」堂々とした口振りだ。

「バラット様の時間を無駄に浪費する訳にはいかぬ」

「窓から覗かせて頂くだけで構いません。どうか」

「バラット様に邪な考えはない。カルラド子爵家においてもそうだ。ロノウェ子爵家に敬意を表し、改めることを許可する。だが、手短に」

「畏まりました。それでは、門の前で一時的に止まっていただきます」

 フィロはランドに向かって。「馬小屋の従者を呼べ」と言い、騎士に向き直る。

「改めさせていただいた後に、馬と馬車は従者にお任せください。手入れはいたしますか?」

「ああ」騎士は馬に振りかえるように指示を出す。「私は戻る。くれぐれもバラット様に失礼なきよう」

「重々承知しております」

 やがてやって来た、平民から見れば手の出ないほど豪華な馬車に対してフィロが検閲し、滞りなく手続きを済ませた。

 門を抜けてしまえば、後の仕事は家令の物である。中から開けられた扉をカルラド子爵家一行は潜っていく。

「いやあ、走りましたよ」

 全く息の切れていないランドが帰ってくる。

「随分遅かったな。従者の方が早いとは驚きだ」

「途中で女の子に会いましてね。紳士としては無視できないわけですよ」

 ランドは、とぼけたように笑いながら門番の仕事に戻る。

「どうせ、メイドを捕まえて紅茶でも飲んでたんだろう?」

「どうしてわかるんですかね?」

「さあな」

 そこから、さして広がらない話題を提供し続けるランドの元に、待望の人が屋敷の方からやってくる。

 交代の時間にやって来た二人と、先程来たバラット子爵家の情報を伝え、その他警備中の出来事を伝えるなど、引き継ぎを終えた二人は兵舎に戻る。

 衛兵の詰めている兵舎はロノウェ子爵の本館と、少し離れ奥まったところにある。壁には蔓が蔓延りっているものの、周囲の花壇には、この寒い季節に咲く花が植えられている。兵舎は寮と同じ役目をしているので、食事を用意したり、洗濯をする寮母がいる。その寮母を筆頭に、ロノウェ家に仕える騎士の従者や奴隷が管理、整備をしている。

 フィロは鎧を脱ぐこともせず、一直線に二階の衛兵長の部屋へ向かう。階段の手すりは酷く冷たい。

「フィロです。報告に来ました」ノックと共に言う。

「おう、入れ」

 衛兵長の部屋は、殺風景の一言で片付いてしまうような物だ。唯一、壁に飾られているグレイブが輝いている以外は、仕事に必要な書類を納める棚、鎧を飾るスタンド、執務机に簡単な紅茶を出すためのカート。

「紅茶を淹れてくれないか?」

 衛兵長は書類から目を離さず、入ってきたフィロにそう頼む。

「構いませんが、報告と平行させて頂きますよ?」

 フィロはカートへと向かい、慣れた手付きで素早く準備をする。

「バラット子爵家の次男様がいらっしゃいました。中の確認は簡単に済ませておきました。特に問題はないでしょう」

「ふむ。予定よりも少し早かったが、大丈夫だろう」

「この季節です。殆ど人通りもなく、あったのは後輩の話し声だけでした」

 ふわりと紅茶の香りが漂い始める。やや古くさい感じがするのが、茶葉の安さを物語っている。

「うん、いつもの良い香りだ」衛兵長は鼻をひくつかせる。「ランドはどうだ。少しは仕事できるようになったか?」

「どうでしょう。性格に難はありますが、基本的には頭は悪くありません。やる時はやるでしょう」

「普段のサボり癖は治らないか」

 フィロが淹れたての紅茶を衛兵長に手渡す。

「ありがとう」衛兵長は紅茶を一口啜る。「淹れて貰ったばかりでなんだが、もう帰ってもらって構わん」

「わかりました。それでは失礼します」

 フィロは静かに礼をして衛兵長の部屋を後にする。

 紅茶の香りを残して出ていった青年から意識を外し、衛兵長は軽くため息を付きながら、小さい丸眼鏡の位置を調節し、再び書類に目を通し始める。


「エルガー殿、入っても宜しいですか?」

 フィロが淹れた紅茶の残りが冷めきった頃、衛兵長の部屋を訪れる人物が現れる。

「ええ、どうぞ」

 入ってきたのは一人のメイド。しかし、その立ち姿には気品がある。

「サルマ殿、で合っていましたかな?」エルガーは眼鏡を外しながら尋ねる。

「ええ、相変わらず机の似合わない方ですね」

 サルマの長めな前髪から覗く無感情な瞳が、困った様子のエルガーを刺す。

「まだ騎士になる気は無いのですか?」

「俺は衛兵が似合っているよ」エルガーは大人な笑みを浮かべる。

「まぁ、それを説得するのは私ではないですからね。本題に入らせて頂きます」

「勿体ぶって何なんだ、いったい」

「銀髪の青年の衛兵がいますね?」

「フィロの事か?」

「名前は知りませんが、珍しい色の髪です。恐らくその方でしょう。私の主人がお呼びですので、明日の昼前に本館の裏口に来るように伝えてください」

 エルガーは眉間に皺を寄せ、右手で頭を掻き始める。

「フィロは明日も朝から仕事だ。いくら君の主人であろうが、この家の主人から賜った仕事を怠けさせるわけにはいかない」

「仕方ないのです。あの方の我儘なのです」

 サルマは初めて感情を出す。困ったような、悲しそうなそれを。

「君の事だ。こちらの事がわかっていながらも断れなかったのだろう? わかった。なんとか調節しよう」

「助かります」サルマは俯く。「あの方のこのような我儘は初めてなのです。どうにか叶えたくて」

「君はつくずく貴族の子女らしからぬ性格の持ち主だ」エルガーは鷹揚に頷く。「後に悩むのは、私の仕事だよ。さぁ、早く帰って知らせてあげなさい」


 エルガーから指示を受けたフィロは、おおよその約束の時間よりもやや早く、指定の場所で待つ。

 屋敷の裏口は使用人などが利用するもので、頻繁に人が出入りする。フィロはそんな扉の脇で立ち続けていたため、何人かから不思議そうな目で見られることになる。

 木々に停まって囀ずる小鳥達を鑑賞し、何度目かの楽者交代を経たところで、サルマがフィロに声を駆ける。

「お待たせしたようで、ごめんなさい」謝っているようで、そうではない口調。

 今でこそサルマはメイドという職に就いているが、騎士爵とはいえ、元は貴族令嬢なのだ。平民にへりくだる必要性を感じないのは寧ろ当然と言えよう。

「付いてきなさい」

 屋敷本館の廊下を歩いていく。朝食の時間を越えて、掃除などで忙しく働いている使用人達とすれ違っていく。階段を上り、本館と別館とを繋ぐ渡り廊下を進んでいく途中、窓から中庭を覗くと、庭木を手入れしている奴隷と、彼らを指示する男が見える。

 サルマはフィロに対して特に話しかけたりはしない。貴族令嬢の凛とした姿勢のまま案内をしている。フィロは案内される先を知らない。それこそ、目的すらも知らない。しかし、別館である事、エルガーへの影響力を考えると、自ずと答えは出る。

「こちらです」

 サルマは立ち止まり、目的の部屋の扉をノックする。中からの許可する声を確認し、扉を開け中に入る。

「連れてまいりました」

 フィロはサルマの後を追うように部屋の中に入る。

「お初にお目にかかります、奥様」

 予想通りの人物を前に深々と礼をする。

 部屋の中にいたのは一人の女性。栗色のロングヘアを腰まで垂らし、窓際の椅子に座っている。

「こちらに来て座って。サルマ、紅茶とお菓子を用意して」

 その女性、チューレリア・マリート・ロノウェはフィロに向かって手招きをする。

「少しお話しましょ?」少女のように笑う。


 チューレリアと言う女性はロノウェ子爵の妻であり、およそ二年前にボルティノ男爵家から嫁いできた。今の歳は18で、一般的には子供の一人は居てもおかしくない年齢だ。しかし、ケラニスコと夜伽が行われることは無く、夜毎一人で慰めているのだ。貴族としては異彩を放つ夫婦関係と言えよう。

 ボルティノ男爵家は領地を持つ領地貴族であり、財務官を輩出する宮廷貴族であるロノウェ家との橋渡しの為に、次女である彼女は嫁がされた。夫婦仲は無きに等しいにも拘らず、姑や実家から子供の催促が絶えない。特に姑からは石女と蔑まれている。

 彼女は決して魅力が無いわけではない。ブロンドの髪の手入れは欠かさず、その艶めきは日の光に輝き、白魚のような肌は不健康的ではなく、仄かに浮かぶ頬の朱や薄めの唇の紅、柔らかな曲線の身体は深窓の佳人の言葉が当てはまる。社交界に出た時には幾人もの令息に声をかけられたほどだ。

 屋敷では本館に行くことは無く、この別館の資質で過ごす以外認められていない。外に出る機会は、年に数度ある伯爵家や公爵家のパーティーに連れて行かれるときか、ティータイムに裏庭に出るくらいだ。お付きの侍女であるサルマとは実家からの付き合いで、同世代という事もあり仲良くしている。それだけが救いなのだ。


 夜も更けてきた。今夜は特に冷える。月明かりは雲に遮られ、部屋の中はランプの明かりが満ちている。話し終えたチューレリアは固まった体を伸ばすように腕を伸ばす。

「ごめんなさいね。遅くなっちゃった」申し訳なさそうに眉を寄せる。

「いいえ。お話を聴けて光栄にございます」

「偶々貴方が仕事をしているところを見て、この人なら私の話を黙って聞いてくれる。そう思ったの」

「他言は致しません」

「ええ、信じるわ」

 チューレリアは微笑みながらフィロを見る。

「今度は貴方のお話を聞かせて。私が知っているのは実家の事とセルマのことくらいなの」

 白いテーブルの下でチューレリアは落ち着かない手を組みかえながら震わせている。視線もまた、フィロから下へと自信なさげに。

「明日は贅沢かしら? 明後日ならどう?」

「明日明後日と来客がございますので外せません。この寒い季節ではございますが、宮廷貴族であらせられます子爵様には用件のある方々が絶えません」

 フィロのその言葉にチューレリアは分かり易く肩を落とす。悲し気に睫毛を震わせている。

「ですが、その次の日でしたら大丈夫でしょう。家のこともございますので、一日中と言うわけにはいきませんが」

 チューレリアは花が咲いたように、顔を上げ笑顔を見せる。

「本当に? なら、その日に今日と同じ時間に来て。セルマを向かわせた方がいいかしら」

「そうですね。タイミングが分かり易いですから、僭越ながらお願いしたいものです」

「分かったわ。ねえ、セルマ。いいかしら。お願いできる?」

「勿論でございます」セルマは一も二も無く答える。仄かに喜悦を浮かべながら。

「では、本日はこのくらいで失礼いたします」フィロは席を立つ。

「ええ。きっと、きっとよ?」

 チューレリアの必死な確認に、フィロは思わず口角を上げる。

「ええ、勿論でございます」


 チューレリアはフィロが出て行った扉をしばらく見つめていた。セルマは何も言わず、テーブルの上の物を片づけている。

「迷惑でなかったかしら」

  ぽつり、と呟く声にセルマは一瞬手を止める。

「それはそうでょう。迷惑に決まってます」

「えっ。それはどうして?」

「貴女は自分の事しか話してない。フィロは相槌を打っていただけです。それに、本来仕事であったはずの彼を、命令として連れてきたのですし」

「そ、それは問題ね」動揺を隠せない。「来てくれなかったらどうしましょう」

  チューレリアの命ならば断れないだろうと思ってはいるが、セルマは長年の彼女との付き合いで、正しい答えを出す。

「大丈夫ですよ。同僚からも評判のいい、誠実な男です。約束は守りますよ」

「そうかしら。そうなら、いいな」

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