一話
カルローナ大陸と名付けられた土地がある。広大な土地のなかに、山脈もあれば広大な湖もある、神に祝福された大陸。カルローナとは、この大陸に存在していたエズメン人が用いていた、古代エズメン語で豊穣を意味する『ケルレノーナ』から訛り出来たものだ。
現在、カルローナ大陸では大きく分けて四つの大国が存在する。様々小国や部族も存在するが、小国の殆どが四大国のどれかの属国等になっている。部族は多くの場合、外界との交流を絶っているので把握しきれていない。
神湖大国フィラノ。大陸一の水量を誇るケロム大湖の資源を以て、他の国に対抗しうる影響力を保持している。国民の殆どがケロム大湖での漁をしているため、平均的に筋力、体力の水準が高く、兵士の質も高いとされている。
大森林の国ケヅィエ。ア・ピラルの森の程近くに王都を建て、森の資源をふんだんに使い、国力を上げてきた国だ。秘密の戦力を抱えているとの噂があるが、その審議は未だに定かではない。
荒野の国ラガルレスタ。隣国のパブロア帝国と広大なる荒野を挟んでいる、戦争の絶えない国。毎年帝国より受ける侵略戦争により、彼の国の経済は緩やかに破綻の一途を辿っていると言う。
軍事大国ネウラモス。他三国に比べ上位の軍事力、国力を持つ。三国のそれぞれの王が、ネウラモス国王の発言を容易に無視できない程の影響力を放っている。北に聳えるカルロッテ山脈から降りてくる風は肌をひび割れさせる程の寒さだ。それ故に、作れる作物は限られている。ネウラモス王国の食事情は、隣国との国境に程近い農村が頼りになっており、僅かな危険を孕んでいる。
四国の関係は非常に複雑であり、決して穏便なものではない。軍をもっての戦争はないが、政治による戦争は激しく、水面下で様々、黒々とした目論見が蠢いている。
「ウルモ様の御父上、エヴェンタ侯爵家が治めております、エヴェンタ侯爵領はフィラノとの国境に位置しており、交易都市を三つ抱えている非常に豊かな領地でございます」
地味なローブに身を包み、 大きな銀縁の丸眼鏡の学者は真顔のまま続ける。
「ウルモ様はエヴェンタ侯爵家の長子でございますが故、学ぶことは尽きませぬ。ですが、ウルモ様は非常に優秀であられます。御立派な侯爵になられることでしょう」
「御託はいい」見るからに高価な衣服の少年ウルモは学者を笑う。「取り入りたいのなら、もっと愛想を良くすることに努力すべきだな」
「いえいえ、とんでもございません。私は一学者に過ぎませぬので」
ウルモは深々と頭を下げる学者に、つまらなさそうな視線を向ける。
「それで、地理関係はいいんだ。歴史をもっと知りたい」
「ですが、ウルモ様。今は地理のお時間でございます」
「僕のお願いが聞けないと言うつもりかい?」
「私にそのような大それたことを思う気持ちはございません。ただ、侯爵閣下のお決めになられた事に則しているまででございます」
「つまらないやつだ」
ウルモは子供らしからぬ態度でため息をつく。
(せめて、我が家が侯爵位でなければ。そう、伯爵位ならば、もう少し自由に動けたかもしれない。贅沢を言えば、子爵位。しかし、侯爵位でなければ、こうして優秀な学者を雇うことも出来ないし、書物も手に入らない。今を贅沢だと思わなくてはならない)手元に在る上質紙に手を当てる。(全くもって、ままならないな)
ネウラモス王国首都オーラスにある、ロノウェ子爵邸。ロノウェ子爵家はネウラモス王国にて、文官として仕えてきた歴史を持つ。ネウラモス王国歴の中では、一時伯爵位にまで上り詰めたとされているが、現在では零落した貴族として知られてしまっている。
現在のロノウェ子爵家当主、ケラニスコ・マリート・ロノウェ子爵は、月明かりが窓から差し込むベッドの上で、自らのいきり立っているモノを隠そうともせず、息を整えている。
「今日も最高だった。やはり、君は私にとって欠かせないようだ」ケラニスコは、隣で目を瞑っている人物に囁きかける。「愛しているぞ」
ケラニスコの口付けの為か、その人物は目を開け口付けを受け入れる。
「旦那様。もうそろそろ寝なくては、明日の業務に差し支えてしまいます」
「それもそうだが、君の寝顔を見て興奮してしまった。これでは仕事になりそうもない」
「仕方ないですね」彼は優しくケラニスコの頭を撫で、「あと一回だけですよ」と耳元で囁きかけるのだ。
ケラニスコ達が公然の秘密の夜遊びに興じてい最中、ぼわっとした間接照明が数個ある寝室で、一見高級娼婦かと思うほどのネグリジェに身を包んだ貴婦人がいた。彼女は、その美しい顔に影を落としながら、ベッドの脇にある小さな机で書き物をしていた。
彼女の名前はチューレリア。娼婦などではなく、このロノウェ子爵家の第一婦人である。まだ幼さの残り香がする端正な顔立ちをしており、その体は男好きするものだ。ボルティノ男爵家の秘蔵の子女であり、密かに何処かの伯爵家の次男だか三男だかが狙っていたと噂されているほどの人物。
彼女は、この家に嫁いでより毎晩こうして寝室にいる。しかし。
「もう、二年目。寂しい」
貴族としての責務を考え、彼女は憂う。
「お義母様、今夜も無理そうですわ」
ロノウェ家の姑は、やや離れた土地にある別荘で暮らしており、年に数度本邸を訪れては、数言チューレリアを毒づく。ロノウェ家に嫁いで半年までは、優しいとまでは言わなくとも、特別何かされると言うこともない関係だった。
「申し訳ございません。ご期待には応えられそうにありません」
チューレリアは日記を書いていたペンを置き、薄暗い光を放つ月を求め窓際に近付く。
「どうしてこんなにも辛いの? お父様はどうしてこの家に嫁がせたの?」疑問は潰えない。「私は何のためにいるの?」
チューレリアは窓枠に爪を立てるように手を添える。
「変えたい」唇が窓ガラスに付くほど近付け、そう呟く。
「あら」彼女は気付く。「彼は見たことがないわね」
朝陽が差し込み、道には仕事に向かうもの達がぱらぱらと行き交い始める。貴族街の外側、位の低い貴族が屋敷を立てる場所の前には、町人達も通る。勿論、貴族街と町人の住む地域との間には壁が存在するが、壁際には外に出るための小さな門がいくつかある。それはそのまま屋敷の門になっていることが多い。
ロノウェ子爵家の門も、その『壁の門』の一つを利用している。その門の両脇には門番がいる。
「もうすぐ引き継ぎだ。最後に面倒だけは起きて欲しくないものだ」髭の生やした門番がもう一人に言う。
「そうですね。まぁ、いつでも何もないのが一番ですが」
「それ言ったらお仕舞いだろう」髭の門番は不機嫌そうに鼻息を出す。「この後はどうするんだ?」
「少し片付けないといけない仕事がありますので、それを終わらせてから帰ります」
「お前もまだ若いからな。残業は程々にしろよ。癖になるからな」
もう一人の門番は若い青年。線が細く、白い肌をしている。
ぽつりぽつりと、他愛もない話をしていると、彼らの後方より、朝勤務の門番二人がやって来た。
青年は衛兵室へと向かい、衛兵長の部屋の扉を叩く。
「フィロです」
「おう、入れ」
「失礼します」
衛兵長は気の優しそうな壮年の男だ。執務机で山となっている書類に丸眼鏡を以て対処している。
「門番の引き継ぎは問題なく完了しました。昨夜頼まれておりました書類が、まだ完成しておりませんので少々お時間いただけないか、お願いに参った次第です」
「ご苦労。あの書類なら、ここでやっていくといい。ついでに話し相手になってくれ。美人秘書もいないのでな」
衛兵長は、にっかりと笑う。
「私は男に興味ありません」フィロは言う。
「俺だってそうだ!」衛兵長は心外だと眉を寄せる。「話し相手がほしいだけさ」
「わかりました。書類は持っていますので、このまま始めます」