二話
フィリッポの仕事はいたって平穏だった。本当に何もない。起きようがないのだ。行商が来るだけで、その周期も一定だ。盗賊だって、こんな田舎に何も期待していない。あったとしても食料だけ。しかし、そういう時のために、盗賊に渡す余剰食料は備蓄してある。近くに根城を持っている盗賊はいるが、この村の村長は黙認し、ある程度の食料を渡すことで襲われないようにしている。こんなことは、よくあるのだ。
彼の仕事は、もっぱら村の女達の機嫌取りだ。顔立ちはよく、社交的で街のことを知っている彼は、人気ものになるまで時間はかからなかった。男たちがいい顔しないかと思ったが、女たちいわく、わかってはいるが、無関心なのだそうだ。
「この村にもね、派閥とかがあるのよ」
「派閥…ですか」
「村長派閥とそれ以外。まあ、それ以外は少数派で、殆ど発言力なんてないんだけど。でもね、それが子どもたちにも影響しているのよね」
村のことを語るのは、アンネ・エルピエータ。村で年に一度行われる祭りで、舞を舞うことを許され、それを後世に伝える役目も担っている天才舞子。しかし、それ以外はからっきしなので、驕り高ぶることがなく、優しく母性のある人物。
「わかりやすいのは、村長の息子のジャンくん。いいもの食べているからよね。体も大きいし、力も強い。将来は兵士になって英雄になるんだって言ってたわね。年の離れたお兄さんがいるんだけど、彼は街に勉強しに行ったっきり。あと一年は帰ってこないわ。帰ってきたら村長交代だけど」
ふふ、と。
「話がそれたわね。ジャンくんは村長さんの息子だからって、自信満々なの。だから、他の男の子たちもみんなついていくのよね。アズーレオ戦士隊とか言ったかしら」
一人ひとり、アンネは説明していく。
リーダーはジャン・アズーレオ。11歳になる男の子で、自信家だ。
軍師はルカ・エルフォート。ジャンとは生まれ月が近く、一番の幼馴染。ずる賢く、戦士隊の作戦は、彼が考えている。嫌味なことを言うことも多いが、自分にはできないことを簡単にできてしまうジャンのことを尊敬し、それでいて隠れ蓑にもしている。
ロレンツォ・エルパンナは怠け者。他にすることがないから、なんとなくジャンたちに着いて行っている。しかし、そんな性格なのに、面倒なことは押し付けられがちである。
パオロ・エルファリノは力自慢。同世代の中で一番体が大きく、自信家だ。それでもどうしてジャンの子分になっているかというと、彼は頭の出来が良くない。考えるのが苦手なのだ。本人もそれをわかっているからこそ、ジャンにすべて任せるのだ。
「こんなところかしらね」
「なるほど。愉快な感じですね」
「愉快なだけなだけならいいけどね」
「といいますと?」
「いいえ。なんでもないわ。ただね、あの子達は愉快なことだけじゃないの」
「たとえば、少女を虐めるような?」
「知ってたの?」
「ええ」
「あれはね、しょうがないの。だから、あまり深掘りしないで」
アンネは悲しく、辛く、痛ましい表情に、少女の面影残るその顔を歪める。
フィリッポはそれ以上は話さなかった。きっと何も出てこないと確信していたからだ。
「あの子はね、とても可哀想な子。今は、どうしようもないのよ」
「そうですか。私もあまり知りすぎないほうがいいかもしれませんね」
さて、とフィリッポは立ち上がる。そろそろ仕事をしなくてはいけない時間だ。
次の日。フィリッポは朝から部屋に籠もっていた。この村に来てから、やっと整頓する時が来たのだ。部屋を見渡せば、食べかけのリンゴに、鳥の骨。木の破片や土が大量。埃も多い。元々汚かったが、それに加えて彼の生活が加わり、悪臭立ち込める部屋となってしまった。最近では、村の悪ガキ共が大声で臭いと叫んでいる。
「流石に、な」
生ゴミだけはすぐに片付けた。虫も湧くし、何より匂いがキツい。
「あとは」
元々倉庫の役割をしていたので、ある程度は箒で掃いてしまえば済む。これで最低限は保てるだろう。
「こんにちは」
扉は開けっ放しだった。埃が舞っているし、ゴミ出しの間隔が短い。そのほうが都合がいいのだ。
「あなたは…」
「マリエーナです」
「エルプリオさんのところの…?」
彼女は新妻で、妊娠中だ。明るく、そばかすのある顔が特徴だ。
「はい。いつも夫がお世話になってます」
「お世話になっているのはこちらですよ。立ち話もなんですから、入ってください。お茶くらい出しますよ」
綺麗になったばかりの部屋への客人一号は、マリエーナとなった。
「今日はお掃除ですか」
「はい。今日は商人も来ないですし、外での手伝いもないようですので」
「ここ、倉庫でしたもんね。家具もないですし、大変じゃありません?」
「いえ、寝る場所があるだけマシですよ。それに、ベッドだけは早くに揃えたので」
どうぞ、とフィリッポはカップを差し出す。
「ありがとうございます。いい香り」
「チゴの実とタキタ草をブレンドしたものです」
「美味しい…チゴの実って、あの苦くて酸っぱい?」
「はい。チゴの実は、そのままでは食べられませんけど、乾燥させて、使う前に軽く炙ると甘酸っぱくなるんです。それに」
「ポカポカします」
「はい。体を暖かくする効果もあるんですよ」
「詳しいんですね。習ってたりとか?」
「いえ、趣味です。実家にいた頃に本で読みまして。数少ない本のうちの一冊が、茶の入れ方の本だったんです。全く、あの人達はなにを考えて買ったのやら」
「街の人って、そうなんですか?」
「いやいや、流石に街でも本は高価ですよ。だからこそ、おかしいんです」
ふふ。マリエーナは微笑む。「面白いです」
「妊婦さんにはうってつけのハーブティーなんです。良かったら持って帰りますか?」
「ぜひ、と言いたいところですけど、私は淹れ方なんてわかりません。また来たときにご馳走してください」
「わかりました」
「それに、夫はこのような匂いは嫌いだと思うんです」
「そうなんですか?」
マリエーナの表情に影が差す。
「あの人は、自分のテリトリーに変なものがあると、怒って捨てちゃうんです。匂いもだめ、服もだめ、花もだめ。私の物なんてほとんどないですよ」
「それは…なんというか。神経質なんですね」
「ほとんどいないくせに、んー、だからこそですかね。すぐ気付くんです」
「あれ、旦那さんって、そんなに家にいないんですか?」
「はい。ご飯と寝る時以外はいません」
「仕事はそんなにないと思いますけど」
「それは…その。あ、遊んでいるんじゃないですかね」
「遊んで?」
「えっと、誰かとお酒飲んだり…?」
「知らないんですか?」
「えっと…」
歯切れが悪い。これ以上はやぶ蛇になるだろうと感じ、フィリッポは追求を止める。
「このハーブティーには名前はあるんですか?」
「これにですか。ここに来てからブレンドしたので、チゴタキタティーとかですかね」
「名前のセンス無いですね!」
「そんなに笑わないでください。なら何か良いのがありますか?」
「タチゴティーとか?」
「好きに呼んでください」
他愛もない話が続いていく。
やがて、日は暮れる。
「そろそろ帰ります」
「送りますよ」
「大丈夫です。むしろ、夫に見られたほうが怖いです」
「わかりました」
りーん。虫の音が響く。
足元の埃が転がっていく。