10話
今日は珍しく陽が照っている。人通りも多い。ここは貴族街である為に、そこまで多いというわけではないが、それでもはっきりわかる温度の分かれ目。
ブルネロ子爵家の紋章が描かれた旗を立てている馬車が、ロノウェ子爵家の門の前に停まる。
「通したまえ。ロノウェ子爵閣下と懇意にされているブルネロ子爵閣下ご自身が参っているのだ」
「しかし、今日は来訪を知らされておりません。今確認をさせておりますから少々お待ちください」
今日の門番はランドの当番のようだ。細い体で、立派な体躯で長い体毛を生やした馬に跨るブルネロ家の騎士に毅然と、いや辛うじて向かい合っている。きっと、彼の本心としては、さっさと報告でこの場を離れたワルトロに対する恨みつらみが募っている事だろう。
「ランド」
ワルトロが戻ってきた。
「大変お待たせしました。執事長に確認致しました。どうぞお通りください」
ランドは両開きの門を開け、馬車が通れるようにする。彼らの仕事はここまでだ。
馬車がほんの少し進んだところで、一本松のような執事長シャルトが出迎える。
「大変失礼いたしました。ここからは私がご案内させていただきます」
シャルトは後ろに待たせていた馬丁数名を向かわせる。そして馬車の近くへと赴く。
「執事、少し待て」
馬から降りた騎士が、馬車の扉を叩き、二言三言話しかけてから離れる。そうすると扉が開き、従者がまず降り、ステップの準備を済ませてからブルネロ子爵が悠然と出てくる。その後ろに三人ほど続く。
シャルトは傍に控えていた案内の執事にブルネロ子爵一行を任せ、自分は他の者達への指示に回った。
貴族の訪問と言うのは、慣例として最低でも数日は前から予告するものである。今回のブルネロ子爵一行は少人数であるとはいえ、全くの予告なしでの来訪だ。貴族を出迎えるにも、それ相応の準備が必要になる。これは子爵家としての威信にかかわることなので、休憩時間に入っていた従僕たちを全て稼働させ、厨房にも声をかけ、歓待の準備をさせる。
ある程度流れが落ち着いたところで、シャルトはようやくブルネロ子爵の元へと赴く。
「失礼いたします。執事長のシャルトでございます」
扉が開き、まず顔を見せたのは騎士であった。その厳つい顔は、並みの者であれば怯むこと間違いないのだろうが、この家の執事長は並ではない。
「閣下。執事長のシャルトです。通させます」
ブルネロ子爵は、部屋の奥のソファにどかりと座っている。
「失礼いたします」シャルトは一呼吸置く。「本日はよくぞお越しくださいました。ケラニスコ様も喜ばれる事でしょう。ですが、非常に申し上げにくい事なのですが、現在ケラニスコ様は公務の為、登城されております。お戻りになるのは夕刻を過ぎる事は確実です」
「いや、いい。待たせてもらうよ」
ブルネロ子爵は極めて冷静に答えている。それにシャルトは安心する。
「お待ちの間にお食事はいかがでしょうか。ささやかながら、ご用意させていただきます」
「うむ、そうだな。もうすぐ昼も近付く。私の従者や騎士にも出してくれ」
「勿論でございます。従者や騎士様は別部屋になさいますか?」
「いや、同室で構わない。いきなり来てしまったんだ。今日は無礼講でいこう」
「お気遣い感謝申し上げます。それではもう暫く、ごゆるりとお過ごしくださいませ」
シャルトはその場を去ろうとする。しかし、呼び止める声が飛んでくる。
「久々に屋敷を見て回りたい。本館だけで構わないから、見させてもらいたい」
ブルネロ子爵は何度もこの屋敷に来ている。ケラニスコとは、ケラニスコが子供の頃からの付き合いで、屋敷は何度もうろつき、勝手知っているものだ。しかし、最近は確かに屋敷内を歩いていない。密会ばかりだ。
「分かりました。アルムト」
シャルトはルームバトラーの一人の名を呼ぶ。
「ブルネロ子爵様、無礼を承知で申し上げますが、立場上配下の者を付けさせていただきます」
「うむ。当然の事だ。気にもすまい」
「ありがとうございます。こちらのアルムトをお連れ下さい。何かありましたら、ご自由にお使いください」
「ああ」
そうして初めて、シャルトは部屋を出る。足音はやや重い。
ブルネロ子爵は昼までの時間を確認し、アルムトに早速部屋を出ることを伝える。そして、従者を二人部屋に残し、兜を脱いだ騎士と従者とで屋敷内を見て回り始めた。
ブルネロ子爵家は武官を輩出する貴族家で、小さいながらも軍を持ち、騎士の数も一定数揃えている。王都から少し離れた南方公爵家、ネルヴァヌス公爵家と所縁のある伯爵家が後援に付いている領地貴族でもあるのだ。しかし、実際の領地経営は部下に任せきりで、ブルネロ子爵自身は王都で活動している。主に貴族同士の繋がりを強固にし、戦争が起きた際、少しでも自分の軍の損壊が少なくなりつつ、ある程度の功績が挙げられるように働きかけている。そんな中の楽しみとして、色遊びをしているのは許容範囲であった。あくまで自制心がある中で遊んでいるということで、特に問題視されるという事もない。その点を考えると、ロノウェ子爵ケラニスコもまた、国政に携わる者としての能力は悪くなく、趣味の所為で人を困らせることもない。対外的には有能とは言えないが無能でもない。ならば、多少の遊びは誰でもやっている事。慣例的に許されている。この国の王もまた、暗黙の了解としているという。
「花が、少ないな」
ブルネロ子爵が、中庭を前にして小さく言う。
「この季節に咲く花は古くなり枯れてしまったので、新しい苗や球根を植えました。春ごろにはもう少し華やかな光景になると思います」
「そうか。それを考えると、時間も経ったものだ」
ブルネロ子爵は中庭へと進み、中央のテーブルに席着く。周囲で働いていた使用人や数名の奴隷はブルネロ子爵の顔を知っているため、邪魔にならないように見えない位置まで下がっていった。
従者がブルネロ子爵に毛布を掛ける。
「アルムト、と言ったか」
「はい、閣下」
「執事長、シャルトは今忙しいのかね」
「お望みとあらば呼んでこさせますが」
「いや、それには及ばん。どちらにせよ、もう少しすれば会える。それより、君にも聞いておきたい。君はケラニスコをどう思う?」
ブルネロ子爵はさらりと尋ねる。
「ケラニスコ様は寛大で聡明であり、使用人としてお仕えさせて頂けることに望外の喜びを与えてくださるお方です」
「バオ。少し、周りを見てきてくれないか」
ブルネロ子爵は、側仕えの騎士に命令をする。バオという騎士はすぐさま意図を理解し、軽く周囲を回って、他に使用人がいないかを確認し、いないことを主人に報告する。
「聞き方が悪かったな。君はケラニスコに対して、不思議に思うことは無いのかね。例えば、そう」
ブルネロ子爵はアルムトを見るでもなく問う。
「世継ぎの問題とか?」
「申し訳ございません。そういった問題に関しましては、私が思うことはございません。ケラニスコ様は私の主人です。ブルネロ子爵閣下と言えど、譲れないものがございます」
「うむ。最もであるな」にやりと笑う。「さて、戻ろうか。帰りがてら、前に私が来たときから起きたことでも話してくれないか」
昼食はつつがなく終了した。ブルネロ子爵一行も、突然の来訪で完璧な対応など期待していない。むしろ、子爵相手にここまでできた使用人達を誉めるべきであると考えるほどだ。その後は、ブルネロ子爵一行は部屋に戻り、シャルトが来るのを待った。
「失礼致します」
シャルトが再びブルネロ子爵の前に現れる。一通りやるべきことを済ませたお陰か、やや余裕を持った表情である。
「ああ、シャルト。ご苦労だった。急ぎであった割には美味かったな。よい料理人である」
「ありがとうございます。料理長に是非伝えさせていただきます」
「ふむ、それで私が突然来訪した理由なのだが」
ブルネロ子爵は少し周りを見回す。
「お前たち、少し出ていなさい。ここは私一人で十分だ」
シャルトは部屋にいたルームバトラーを全て外に出し、ブルネロ子爵に確認を取る。
「私の従者たちは全て知っているよ。バオは君も知っているだろう?」
「ええ。閣下が最も信頼されている騎士ですからね」
「それでだがね」居住まいを正す。「今日は少し、君と話したいと思ってね」
「私とでしょうか」
「勿論、ケラニスコとも話すよ。ほら、従者をよく見なさい。うまく変装しているが、この前も連れてきたカリュガの子だ」
従者と一緒に控えていた女顔の人物がゆっくりと頭を下げる。偽の髪を被り、少し小奇麗な従者に相応しい格好をしている。しかし、奴隷である以上首輪は外せない。そこで、彼は襟の高い服を着ていた。
「ええ、気付いておりました。よくお似合いです」
「ふむ、この子は何を着せても似合う。ここ数年でもかなりの当たりだ。まあ、そんなことはケラニスコとでも話せばよい。君に聞きたいのは全く別の事だ」
「私が答えられる範囲であれば、答えさせていただきます」
「いや、そんなに緊張するでない。同じ子爵家とは言え、文官の家と武官の家。さらに言えば、同じ伯爵家が後援に回っている。出し抜こうなどとは考えんよ。なにせ、メリットがない」
「分かっております」
「いや、まずは世間話からいこう。シャルト、君はもう執事長がすっかり板についたな」
「恐縮でございます」
「元々鳴り物入りであったが、生来の勤勉さで他を黙らせる姿は、うちの使用人にも見習わせたいところだ。そうだ。君は以前、傭兵のようなものをやっていたと聞いたが」
「傭兵をやっていたのはごく短い期間です。元は剣闘士と言う卑しい身分でして。あるコロシアムで名をあげ、自由を買った後に傭兵団に所属しました。小さい所で、入ってすぐの戦で壊滅しましたが」
「ほう、何の戦かね」
「ポルベーレ砦の戦です」
「ポルベーレ、か。たしか、ヴァラナレスを攻めようとした戦であったな。あれは確かに酷い戦だった。ポルベーレ砦から攻めようとし、結局逆侵攻をくらうという大失態だった。確か、あの時は二つの子爵家が責任者だったはずだ。片方があまりにも愚かで、最後にはアントニア侯爵自ら処刑されたのだったな」
「お詳しいですね。私は前線で参加していたので、そういった事は知りません」
「いや、武官を輩出する家としては、戦の記録を見ることは仕事でもあるからな。数少ない書類仕事だ。これくらいはやらなければな。そうか、あの戦の生き残りなのか。それであれば、腕が立つというのも納得できる。ケラニスコが信用するわけだ」
「精一杯尽くさせていただいています」
ブルネロ子爵はにっこりと笑う。
「そうか。だが、気になる。ケラニスコとはどう出会ったのだ。戦に出るような下民と交流を持つ奴ではないぞ」
「ええ。特別面白い話ではありません。仕事が無くなり、剣闘士に戻るかと悩んでいた頃、丁度知り合いの奴隷商が小さな剣闘を開いておりまして。その近くで裏奴隷市が開かれておりました。そこにいらしていたケラニスコ様が、その時に買った男娼の為に、新しい護衛となる人物を探していると聞き、直接志願したのです」
「そうか。あの汚い通りで出会ったのだな。あそこにいる時のケラニスコはなりふり構わなくなる。おかしな話では無いか。だが、良き出会いだったな。貴様が志願しなければ、ケラニスコは優秀な人材をも逃すところだった」
ブルネロ子爵は満足そうに頷き、シャルトに柔和な態度で軽い礼を言う。
シャルトはブルネロ子爵の行動を甘んじて受け入れ、姿勢を改める。
「さて、口も温まったところで、本題に入ろうか」
「畏まりました」
シャルトは表情を硬くする。
先ほどまでは、気のいいおじさんといった雰囲気を醸し出していたブルネロ子爵が、貴族としての顔を取り付ける。
「最近、変わったことは無かったか」
「変わった事ですか」
「私も確実な情報を得ているわけではないのだから、下手なことは言えないのだ。しかし、忠告にでもなればと思ってね。ケラニスコは気の弱い奴だ。だから貴様に話しておきたかった」
「そういう事でしたら」シャルトは言い淀む。「少し前の事ですが、屋敷に身元不明の侵入者が現れました。すぐに衛兵が捕まえましたので、大して問題視していません」
「そうか」
ブルネロ子爵は目を閉じ考えを巡らせる。時折、その膨らんだ腹を摩っているのは癖なのだろうか。シャルトは知っている。ブルネロ子爵が摩っている所はかつて、領内の野盗を討伐する際に折った怪我の場所であることを。何か、重要な事を考える時に摩る場所であることを。
シャルトが退出し、数刻が過ぎた後、屋敷内にケラニスコの帰館を知らせる鈴が鳴る。煩いものではなく、何となく音に気付けばよいというもの。客が来ている時、その邪魔になってはいけないとの配慮から生まれた鈴の音だ。
「これはこれは、ブルネロ子爵。そろそろ来る頃だとは思っていましたが、まさか今日だとは。間が悪く召喚されてしまっていた所為で子爵を長らく待たせた事、深くお詫びいたします」
「いや、いいんだ。早く来てしまった私が悪い。しかし、君は良い使用人を持っているな。突然の来たのにもかかわらず、手早く丁寧な対応だった。素晴らしいよ」
「後で伝えておきます。では、このようなところではなく奥へ行きましょう」
ブルネロ子爵は騎士一人と従者を連れ、ケラニスコが案内するままに付いていく。
着いた先は例のあの部屋。前に来た時は薄暗い部屋で、いかにもよくないことを行うような場所だった。しかし今日はまだ陽が昇っているせいもあり、比較的明るい部屋だ。カーテンが締まっていて、風で揺れることが無いように、隙間のないように窓はガラスを嵌めたものになっている。
「もうすぐで品評会ですな。楽しみで仕方ないですよ」
ケラニスコはリラックスした様子で椅子に座り、にっこりと言う。そして、ブルネロ子爵にふかふかのソファを勧める。
「そうだな。私はやはり、この子を出すことにするよ」
「そうですね。そのカリュガ人は素晴らしい仕上がりですものね」
「いや、聞いてくれ。今日はサプライズを持ってきたんだ」
ブルネロ子爵はプレゼントを渡す親のような顔で身を乗り出す。
「おい」
ブルネロ子爵の奴隷がフードを外し、赤みがかった長い髪をおろす。
「お前にいい話をしてやる。お前の兄についての話だ」
「兄が、どうしたんですか?」
奴隷が口を開く。その事に子爵が何かを言うことは無い。
「いやな、お前の兄はお前を買い取るために、奴隷の身分で出来ることをしているようだ。出来ることと言ったら限られているだろう? そう、身を売っているんだ。君たちカリュガ人は優れた狩猟民族ばかりだ。君たちだって、元々は戦争を仕掛け、他の部族の物を奪って回っていた遊牧民族だ。そうだよ、剣闘士だよ。拳だと安いと言うので、剣を持って血を流しているのだと聞いたよ」
「そ、それで兄は今どうしているのですか」
奴隷の声は必死そのものだ。
「いや、私は分からない。得た情報はそこまでだ」
「ありがとうございます」
「うむ。実はな、もう少ししたら君の兄も買い取ろうとしているんだ」
「本当ですか!」
好々爺のように笑う子爵。
「ああ。既に剣闘の興行主に買われている状態だからな。なかなか難しい」
「それでも」
奴隷は膝を付き、涙を流し始める。「感謝します」と口に出す。
「うむ、うむ。落ち着くまで隣の部屋で休んでいるといい。今日は休みのようなものと思いなさい」
ブルネロ子爵は優し気に退室を促す。奴隷は感謝したように礼をしてから、ふらふらと歩き去っていく。
「随分と優しく使っているんですね」
「あの子はそういう風に使おうと思って買ったんだ。最初に、兄弟で奴隷になっていて、互いが互いを想いあっていると聞いた時から決めていたんだよ」
「ルノを向かわせましょう。たまにはあれにも気分転換をさせないといけませんよね」
「それは良い。男娼通し話せる事もあるだろう。頼むよ」
ケラニスコはルノのいる部屋に繋がる扉を開け、内側に設置されている鈴を鳴らして、石を重ねた冷たい通路に響かせる。
少し間が空く。
「お呼びですか、ケラニスコ様」
「おお。相変わらず美しいな」
ブルネロ子爵は分厚い手を叩いてるのを褒め称える。
「これはブルネロ子爵閣下。ご機嫌麗しゅう」
「ルノ、来てもらって悪いんだが、隣の部屋にブルネロ子爵様の大切な奴隷がいる。相手をしてやってくれ」
「畏まりました。以前にも会った方ですよね」
「そうだ。明るい話題で楽しく話してくれて構わない。君の気分転換もかねて、気楽にいくといい」
「お暇を頂くという事ですね。分かりました。それでは失礼します」ブルネロ子爵に振り向く。「ブルネロ子爵も、失礼します」
ルノの白い髪が陶磁の肌を滑り落ち、ネグリジェに引っかかる。それを耳にかけるようにして、髪を持ち上げるルノ。
「おう。一度でいいから触れてみたいものだ」
「さてルノ、早く行きなさい」
ケラニスコは愛しき奴隷を急かせ、改めてブルネロ子爵に向き合う。
「さて、何か話したいことがあるのですよね」
「ああ。実はさっき話したことだが、続きがあってね」
「ほう、本当のサプライズですか」
ブルネロ子爵は厭らしく口角を上げる。
「あの子の兄は死にかけていてね。品評会で最後に合わせてあげようと思うんだ。腕やなんかも取れていて、瀕死の状態。私のほうで秘密裏に医者を用意し、丁度品評会で死ぬように調整をしている所だよ」
「ほう、それでどうしたいのですか」
「ふふふ。これは私の美学の話になってしまうのだが。人は愛する人の死に相対したとき、そしてそれを哀しんだ時に美しくなれる。その精神状態の時に優しく抱きしめ、涙を拭う私。これこそ最高に興奮できるシチュエーションなのだよ」
「悪い人だね」
「まあ、私のこの癖も変態的だと認識してはいるが、君のその独占欲の強さもなかなかの変態性だよ?」
「否定はしません。ですが、会の人々は皆、このような人ばかりでしょう?」
「そうだな」
ガハガハと笑うブルネロ子爵。だが、その表情は長く保たない。
「何か、あったらしいな」
「ああ、侵入者の件ですか。大したことないですよ。何も問題ありませんでした」
「本当に大丈夫なんだな?」
「ええ、大丈夫です」
ふぅ、とブルネロ子爵は一息つく。
「まあ、後はゆっくり話そう。あの子が落ち着き次第帰るとするよ。次に会う時は品評会の時だ」