17. ユウの手紙
その日、ユウくんに会っていこうと思っていたのだけれど、なぜかどこを探しても彼は見あたらなかった。
仕方がなく、受付の看護師さんに、どうやったら連絡を取れるか、と尋ねると、手紙なら取り次ぐことが出来る、と言われた。
電話もメールもダメらしい。わたしは宛先を教えてもらって、そのまま大人しく親と一緒に家へ帰った。
帰ってから、わたしは数日をかけて、ユウくんに長い長い手紙を書いた。
直接は言えなかったこと、訊きたかったことは数え切れないほどあって、いくら書いても、手が止まることはなかった。
わたしは納得いくまで何度も何度も書き直し、その度に自分の優柔不断さや、ぼんやりした性格にうんざりした。
けれど諦めることなく、最後には書き上げて、それの入った封筒をポストに入れた。郵便を出すなんて、幼稚園の頃、友だちだと思っていた子に年賀状を出したとき以来の気がした。
それからまた、二週間ほどが過ぎた。弟も退院し、家は弟中心に回り出す。
時間が経つにつれ、わたしはますます隅へと追いやられていき、居場所はなくなっていく。
そして、それでも何となく平気な顔をして過ごせるようになった頃になって、ようやくユウくんから、長い返事が届いた。
まさか返ってくるなんて期待していなかったので、正直驚いた。
丁寧な彼の文字と文章を、わたしはゆっくりと眺めた。
「早河ゆか様
寒い日が続きますが、いかがお過ごしですか。矢本悠です。
先日はお手紙、ありがとうございました。返事を考えているうち、すっかり時間が経ってしまいました。遅くなってすいません。
孝太の性格のこと、気になったことと思います。結論から言えば、確かにそういうことはあるらしい、と聞きます。
翼がなくなることで、確実にその子の「何か」が変わってしまいます。
性格、行動、考え方、呼び名は様々ですが、手術の前後で、その子の目に見えない「何か」が変化するのは、間違いないです。
ただそれは、医学的には何も証明されていません。
今後もされることはないし、むしろ不可能でしょう。あんな大手術を受ければ物事の捉え方が変わるのは当然だ、と言えばそれまでですし、誰もその変化が、翼の喪失に原因があると断定することは出来ません。
施設の連中にも、そうやって変わり果てていった奴が何人もいます。
もっとも本人は、何も変わっていない、とはっきり言います。彼らの親や担当の医師も、そんなことはあり得ない、と口をそろえます。
でも端から見て、明らかに違っているのです。
人間として薄っぺらになっているというか、何か大切な、心のパーツが抜け落ちてしまっているというか。そういう印象を受けます。
そして、何より嫌なのが、そういう性格の方が、世間的には『好ましい人間』であるかのように受け入れられることが多い、ということなのです。
これは長期治療の患者であっても、実は変わりありません。
長期治療でも最終的には翼が脱落するのですが、その結果、患者はひどく虚無的な性格になることが多いです。
その落差は、手術で取ったときとは比較になりません。中には、廃人のようになることすらあります。
あまりに変化が露骨な場合は、また改めて別の治療が施される場合もあるらしいです。
しかし、何しろ長期治療で家族の元からも長らく離されているので、少々変化があったところで家に戻る頃には誰も気づかない、というのが実情です。
それから、僕のことを気遣ってくれてありがとうございました。
今はまだ最終段階には至っていませんが、恐らく僕も、近いうちにそうなるでしょう。
そしてなったら最後、こうして手紙を書くことも出来ません。
数ヶ月に渡って専用の病棟に入れられて、外へ出ることもままならなくなります。
最終段階が近付くと、患者は次第に空への憧れの気持ちが胸に湧き上がってきます。
前も話しましたが、僕もたまにそんなことを考えるときがあります。
翼というのは腕や足のようなもので、動かしていないと筋肉が強張ってくるように感じられて、そわそわするのです。
なまった身体を伸ばして、力一杯使いたくなります。
でも、もしそんなことをしたら看護師や医師たちが僕の元に押し寄せてきて、取り押さえられるに決まっているので、いつも少し震わせる程度で我慢しているのです。
これが本当に最終段階になったら、我慢が出来なくなって思い切り翼を大きく開いてしまいます。
そうしたら最後です。
さて、お手紙にもあった誠のことですが、あの日はまだ迷いがあって話せなかったことについて、ここで書いておこうと思います。
僕自身もあの日以来、色々なことを考えてきましたが、それはおおむね、お手紙の中でゆかさんが想像していたとおりのことです。
恐らく誠の件は、故意の事故、もっと正直に言えば、殺人に近いことだったのだろうと思っています」