15. 術後
ユウくんの言ったとおり、弟の手術は大した問題もなく無事に終わった。
そして二週間後には、何事もなかったかのように退院することになった。
手術後の弟は、これまで取り憑いていたものが落ちたかのようにこざっぱりしていた。
数日は背中の痛みが残っていたみたいだけど、それがなくなったら途端に食欲が旺盛になって、あれを食べたいこれを食べたいと母さんを困らせていた。
困るといっても、母さんだって苦笑半分、喜び半分といったところだったけれど。弟の話に、ハイハイと機嫌良く応対していた。
娘がどうしようもない分、父さんも母さんも昔から、弟のことばかりを心から可愛がり、愛しているのだ。
だから二人とも、弟の病気が分かった時には、もう目も当てられないくらいに落ちこんでいたものだった。
「わたしが病気に罹った方がよかった?」
いつだったか、弟が入院した後に、家で母さんに訊いてみたことがある。母さんは服にアイロンを当てながら、こちらを振り返りもせずに応えた。
「別に」
ここ半年ぐらいで唯一の、まともな会話だと思う。
でも、わたしじゃなくてよかったと思う。
わたしだったら治療するのも億劫だし、何かと手間がかかるし、お金を出す気にもならないし、かといって、放っておく訳にもいかない。一番面倒くさいだろう。
手術の後三日ぐらい経って、わたしもまた父さんたちについて、弟のお見舞いに行った。
その日は天気もよく、心地よい風が吹いて、施設周りの森からは鳥の朗らかな鳴き声が聞こえてくるぐらいの、のどかな休日だった。
「あれ、姉ちゃん?」
ベッドで身体を起こした弟がずいぶん気さくに話しかけてくるので、わたしは何だか拍子抜けしてしてしまった。
父さんと母さんは弟に近寄ると、何かごちゃごちゃと事務的なことを話しかけている。
弟の身体の向こうには窓が開いていて、真っ白なカーテンが靡いて揺れていた。その外には、大きく枝葉を広げた樹木があった。
包帯が厚く巻かれた弟の背中には、翼の跡すら見あたらなかった。
わたしが病室の戸口の辺りで立ち止まって、弟と父さんと母さんの姿を眺めていると、背後から弟の担当医師が入ってきた。
すると、それに気づくなり父さんと母さんは、まるで教祖様でもいらっしゃったみたいにして、泣き出さんばかりに頭をぺこぺこ下げだした。
やがて、父さんと母さんは医師に連れられて、どこかへ出て行ってしまった。
そうして病室には、弟とわたしだけが残された。
「どしたの姉ちゃん。こっち来なよ」
少しはにかんだような笑みも浮かべながら、弟はそう言ってわたしを呼び寄せた。
若干違和感を覚えつつも、わたしは弟のそばまで行った。
「……どう? 大丈夫?」
あやふやな笑顔でそんな気の利かない質問をすると、弟はすぐに応えた。
「何とかね。ずっとベッドの上だから、身体がなまってきそうだけど。でも背中は全然平気だよ。初めから翼なんか無かったみたい」
「へぇ……」
「生活もすぐに普通に出来るようになるし、処置も上手くいったから、運動も問題ないってさ。すごいよなあ。あんだけデカいもんがくっついてたのに、手術で簡単になかったことに出来るんだから」
弟はそうやって語り続けた。
わたしはそんな弟に、妙な違和感を覚え続けていた。
弟は、わたしの目をまっすぐに捉えて言う。
「とにかく、今は病気になる前よりすっきりしてる」
「ふぅん……よかったね。じゃあ、またバスケ出来るかもね」
わたしは少しでも感じの良さそうなことを言ってみようと思って、試しにそう話しかけた。
弟にとっては重要なことだろう。弟は小学校低学年の頃から、ずっとバスケに打ち込んでいたのだ。
高学年ぐらいまでは、夢はプロバスケ選手だった。さすがに中学に入ってからは言わなくなったけれど、でも今でもこだわりはあるに違いない。
わたしにはそういう深く興味を向ける対象が何もないから、いいな、と以前から思っていた。
すると、弟は眼を可愛らしく真ん丸に開いて、小首を傾げた。
「バスケ? ああ、まあ、そうだね」
「え?」
「まあ……あれは遊びだからね」
弟はさらっとそう言ってのける。
わたしは言われたことの意味が分からず、怪訝な顔で問い返した。