11. 天使の家
「ユウくんは落ちこまなかったの?」
「……よく、分からない。落ちこんでるのかも知れない。自分でも、自分の気持ちがはっきりしない。アイツが死んだってことが、未だにピンと来てないんだ」
ユウくんは、そんな自分の感情が罪であるかのように呟いた。
でも、実際そういうものだと思う。
映画やドラマじゃないんだから、身近な人が亡くなったからといって、すぐに泣き叫んで嘆くことが出来る人なんて、そうはいない。
現実には、誰かが死んだ後も何となく日常が過ぎていって、そしてふとした瞬間、その誰かがいないことに気づいたらやっと初めて、虚しさに襲われるぐらいのものだ。
わたしが唯一親戚筋で仲のよかった父方のおじいちゃんが亡くなったときも、そうだった。
葬式で悲しんでいる素振りすら見せられなかったので、わたしは周りから、変な目で見られたものだった。
わたしは話を戻そうと、こう尋ねた。
「事故じゃないとしたら、何なの?」
「……分からない。二通り考えられると思う。誰かが病室の扉を開け放して、アイツを意図的に外へ出したか、それか、アイツ自身が何らかの方法を使って自分の意思で扉を開けて出ていったか。単純な事故だ、っていうのが、納得できないだけ」
「自殺か……他殺?」
「他殺というか、事故を誘発した人間がいる、というか」
「そんなドラマみたいなことって、現実にあるの?」
「……なくは、ないよ」
ユウくんは意味深に言った。
「何にしろ、少しぐらいはそういう可能性を疑ってもいいはずだろ? なのに、警察はあの日の後ろくに捜査に来る様子もないんだ。だから違和感があるっていう、ただそれだけの話だよ。疑ったって確かめようがないことなんだけど。でもこんなこと、ここで他の誰かに話したら変な目で見られるだけだから」
そう言ってユウくんは、口を噤んだ。
わたしはそんな彼の顔を、ぼんやりと見つめる。
彼は眼を細めて、どこかここじゃない遠くの方へ視線を向けていて、時折その長い睫毛が、小さく震えていた。
「……弟のとこ、行かなくていいの?」
不意に思い出したように、ユウくんはわたしに言った。
我に返ったわたしは、慌ててソファから腰を上げる。
すると彼は言った。
「つれてってやるよ。場所、分からないだろ?」
ユウくんも立ち上がると、また先に病室の戸口へ向かった。
わたしもその後を、足をもつれさせながらついていった。
わたしたちはしばらく黙って、廊下を手術室に向かって歩いた。
たまに車椅子に乗った患者さんや、疲れ切った表情の保護者らしい人たちとすれ違う。みんな暗く、どんよりとした空気をまとっていた。
そう、きっと中庭の辺りまで出てくるだけの元気がない人も大勢いて、そういう人たちは、病室のあるこの棟にずっといるのだろう。
いや、むしろ彼らの方が多数なのだ。ただ、彼らは目に付かないから、気づかれていないだけだ。
ユウくんはまた、ぼそりと呟いた。
「……『天使の家』事件って、知ってる?」
わたしは彼の背に揺れる美しい翼に気を取られながら、聞き返した。
「え?」
「三十五年ぐらい前に起きた、翼人症候群についての事件。たぶん、表だっては資料とかもあんまり残ってないと思うけど。大変なことが起きたんだ。この病気のことって、どれぐらい知ってる? 調べたりした?」
「ネットとか、市立図書館に入ってる本とかは読んだけど……」
「じゃあ、ざっくりしたところは知ってるか。ある時期から患者が急増したっていう話は?」
「見た憶えがある」
「……『天使の家』っていうのは、昔全国に数カ所あった、ここみたいな翼人症候群の治療施設の名前。今ではもう、誰も呼ばなくなったけど。
元々この病気の患者は、差別的な扱いを受けていたんだ。それに対して、患者とその保護者の団体が結成されて、差別撤廃運動が行われたんだよ。
それが今から、四十年ぐらい前のこと。
『天使の会』っていう名前で、患者同士の親睦会もやっていたらしい。
当時は海外に行かないと治療が受けられない状況で、それを何とか打開するために、彼らはいろんな手を打った。
その努力は最終的に実を結び、この国にもここを初めとして、いくつかの施設が出来た。
差別の眼差しは弱まり、患者は格段に暮らしやすくなった」
「へぇ……」
わたしと彼は病室棟を過ぎ、となりの棟に移る。
床が理科室や手術室みたいな、緑のリノリウム張りになる。漂う匂いも少し変わってくる。鼻をつく、強い消毒薬の匂いだ。
「それで終わればよかったんだけど……その後の活動が、少しマズかったんだよな」
「マズかった?」