10. マコトの死
「マコト?」
唐突に彼にそう言われて誰のことか思い出せず、わたしは首を傾げる。
彼は苦い顔で続けた。
「マコトだよ。屋上から飛び立って死んだ。ニュースで流れたりしたか?」
「あ……うん。結構何回か見かけたし、ネットのニュースにも出てたけど、割とすぐに聞かなくなったかな」
「死亡理由は何だって言ってた?」
「理由? 普通に、事故って……」
そう応えると、ユウくんはやっぱりそうか、とだけ呟いて、また俯いた。
わたしは首を傾げる。
マコトくんの事件は、民放の夕方のニュース番組でも数回取り上げられていた。
けれど、扱いはごくあっさりしたものだった。色々事情もあって、大々的には報道しづらいのかも知れない。
彼の名前はもちろん出ず、ここの近辺の風景が雰囲気程度に映されて、管理責任を巡り、院長を何とかかんとか、と言っておしまいだ。一通りの話が終わると、すぐに次のニュースへ移っていった。
マコトくんと彼の友人たちの間に起きた大事件は、そんな手続きを経てたちまち無数にあるその日のニュースの群の中の一つと化して、みんなに忘れ去られていったようだった。
「どうかした? 事故じゃないの?」
わたしが訊くと、彼はちらりと周囲を見廻した。そして、ソファから腰を上げて言った。
「じゃあ……歩きながら話そうか」
そのまま彼は本棚の方へ真っ直ぐに向かうと、シェイクスピアの本を戻して、あっさり図書室から出て行こうとした。わたしは慌てて、その後を追った。
患者の行き交う廊下を黙って歩く彼は、まるで翼をそびやかしているかのように見えた。
当然、そんなつもりは彼にはないのだろう。背中にあんな大きなものが付いていれば、重さの関係で胸を張らざるを得ない。
けれど、あまりに大きなその翼は彼の身体を必要以上に大きく見せていて、それが却って、彼の負担になっているようにも感じられた。
「……大体、そんな事故ってあり得るか、と思って」
「え?」
前置きもなく彼が話し出したので、わたしは聞き返した。
わたしたちは一階の廊下を抜け、階段を上り、長期療養の患者の病室がある棟へと、足を踏み入れていた。
白いまっさらなドアが、いくつもいくつも並んでいる。次第に看護師と多くすれ違うようになってくる。
無表情のまま、ユウくんは呟く。
「最終段階に近付いた患者って、窓が一つもない専用の病棟に押し込められて、そこで症状が寛解期に達するのを待つだけなんだ。室内で拘束されて、ドアには鍵を掛けられて……後は万一外へ出ても飛び立ったりしないよう、病棟の出入り口にも鍵を掛ければ、閉じこめるのは簡単なはずだろ? 大体この施設は何十年も翼人症候群の患者を診てきているんだから、ひょいひょい取り逃がしたりしてたら、とっくに問題になってるはずなんだよ」
小さめの声で話しながら、ユウくんは手近なドアを開いて、中へ入っていった。わたしも恐る恐る後に続く。
そして部屋の中を覗き込み、わたしはすっかり驚いてしまった。
病室はまるで、どこかのホテルの一室のような、小綺麗な造りになっているのだ。本棚や大型のディスプレイ、応接用のちょっとしたソファまで置いてある。もちろん個室だった。
「そこ、座って」
彼に言われるまま、わたしはそのソファに腰を下ろした。
彼も真向かいに座る。そして、顎に手を当てると、むっつりした表情で考え始めた。
わたしは黙って、彼の言葉を待つ。
「……なのに、マコトの件については扱いが簡単すぎる気がするんだよ。普通だったら、想定外の事態だってもっと大騒ぎして、警備を厳重にしたり、システムを整備したりするもんじゃないのか? いや、そこまでする気がなかったとしても、せめてポーズとしてそれぐらいやらないと、色々世間的にマズいと思うんだ」
「ユウくんは、マコトくんと仲良かったの?」
わたしは何となく、そう尋ねた。彼は顔を上げる。
「話さなかったっけ? 俺とアイツは、ちょうど同じ時期にここへ入院したんだよ。手術の患者は年に何人も入ってくるけど、長期療法はあんまりいないから。同時期に入院するってすごく珍しくて、だから仲良くなったんだ。ここへ来て四年ぐらいの間、ずっと一緒に過ごした」
「そう……」
わたしはそう言ったきり、何も慰めの言葉もかけなかった。
こういう時、気の利いたことを言うのがとても苦手なのだ。
「……どんな人だったの?」
「マコト? うん……俺よりはずっと、溌剌とした感じだった。まっとうというか、ちゃんとしてるというか。要するに、いいヤツだったよ。ここでも友だちが多かったし。だから俺以外のヤツには、アイツが死んで落ちこんでるヤツが、まだ大勢いる」