1. 翼人症候群
わたしの弟が翼人症候群と診断されたのは、十一月十日のことだった。
わたしは母さんと一緒に、付き添って病院へ行った。
「典型的な症状ですね」
白い板のような顔をした医者は、弟の背中を診ながら言った。
弟の肩胛骨は、素人のわたしが見てもはっきり分かるほど異常に盛り上がっていて、弟は触られる度にじんじんと伝わってくる痛みを堪えて俯いていた。
「これはこのまま進行すると、場合によっては骨が皮膚を突き破って外に出てきます。そうでない場合でも、肩胛骨の形成に支障が起きて、突起は大きくなる一方です。
突起が大きくなりすぎるとその周囲を包む筋肉にまで影響が生じて、腕が上手く動かなくなったり、背骨が歪んで真っ直ぐ立てなくなることもあります。
少なくとも、そのまま放っておいて治癒する可能性はありません」
医者は母さんの方を向いて話していたけれど、母さんを見て話しているとは到底思えなかった。母さんのことを、母さんの形をした人形だと思っているのかも知れない。
母さんは心配そうに弟を見やり、小声で医者に訊いた。
「……あの、この子は、バスケットボール部に入っていまして、またやれるようになりたいんですが」
「バスケ? 出来るわけないじゃないですか」
医者はそう言うと身を震わせて笑った。
「スポーツなんかよりまずはこの突起を何とかすることを考えないと」
母さんは黙った。弟の顔は影になっていて見えなかった。
「それでは、今後の治療の方針について説明しますね。方法としては三つ考えられます。
まず一つ、このまま通院を繰り返していただきながら経過を見守り、治療を行う。これは患者さんにもご家族の方にも負担は少なく、また医療費も比較的低額に抑えられます。
ですが、治癒の可能性は著しく低まりますし、ほぼ間違いなく後遺症が残ります。完治の確率は二パーセント未満ですね」
診察室の壁には、ありとあらゆる病気の患部を写した不気味な写真が貼り付けられていた。
どれもこれも毒々しい色で刷られていて、まるでその病気の苦しみを強調するために撮影したようだったけれど、不思議なことに患者の顔は一枚も写っていなかった。
写真の隅にはプライヴァシー保護のためとかなんとか小さな文字で書いてある。しかしどちらかというと、患者の顔なんか不要だと主張しているように思えた。
「次の方策としては、入院して長期療養、という手段があります。これは患者さんへの負担は最小です。専門の病院を紹介して差し上げますから、そちらへ入っていただき、ゆっくりと治します」
「どれぐらい時間はかかりますか」
「最短で五年、長ければ八年以上ですね。また、治療費もかなりかかります。
さらにこの手法の場合、根治というよりはむしろ安全な状況で一旦完全に発病させ、その後、山を越えて終息させる、という形になります。つまり、行き着くところまで行かせてしまう、ということです。
そうすれば、後は治る方にしか進みませんから。
もちろんそのままになってしまって一生完治しないという可能性もある程度ありますが、とはいえ人体に対する悪影響は最小限に食い止められますので、私としてはこの方法がお勧めです」
「それでは……もう一つの方法は」
母さんはすっかり怯えてしまって、おずおずと尋ねていた。
「もう一つの方法は、専門の病院に入院後、手術ですね。何だかんだ言って、最もスタンダードな手段です。手術の例は極めて多いですし、成功する確率も高いです」
「確実、ですか」
「百パーセント治る医療なんてないんですよ、お母さん」
医者はあくまでも平板な顔で言った。
「医療費も一般家庭で払えない額ではありません。退院までの期間も……どんなに長引いても精々二ヶ月でしょう。完治の確率は、九十パーセント以上です」
以上三つの方法がありますが、どれになさいますか、と医者は母さんに向かって言った。選択肢なんかないようなものだった。
弟は浅黒い背中を晒したまま、動こうともしなかった。