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パラレル・パースト

作者: 日百合那薄
掲載日:2019/05/23

 今日から高校生。意識はしていたが中学のセーラー服を探していた自分に気が付き、少し慌てながらも準備を完了させる。

「ヒーカーリーまーだー?」

外から大声で隣の家に住んでいるミコが呼びかける。私は靴を履くとすぐに扉を開け、彼女の姿を見てぎょっとした。ぎりぎりの電車まであと十五分。

「ミコ、中学生もう一回やるの」


 何とか間に合った。彼女の特技が早着替えでよかった。遅刻寸前、一本前の電車に乗ることができた私たちは、ドアの側のポールをつかんでいた。私は今日の予定の確認、ミコは指をポキポキと鳴らして過ごした。電車を降りて五分強歩くと学校に着く。学校までには幹線道路を一本横切らなくてはならない。春休み中に確認したところ、この信号は待ち時間が非常に長いので電車を降りたらダッシュするのが最も効率的である。今日は初日だしあまり目立ちたくないのでやめておく。

「ヒカリ! 青だよ! 走るよ!」

ミコが点滅を始めた横断歩道に突っ込む。どう考えても間に合わない。

そのときだった。突然周りの人、物の動きが止まった。音は止み、色もモノクロになった。私は驚いて辺りを見回す。すると、一人だけ色があってこちらに向かってくるのが見えた。黒いコート、赤いスニーカー。スーツや学生服ばかりの駅前には場違いな服装だ。しかもみんなが静止し、白黒になってしまった世界で動いている。この異常な環境、周りとは違う人物に対して私は特に違和感を覚えなかった。いったい何故か、この瞬間にはあまり気にならなかった。

「君、杉田ヒカリだね」

その人物は私の近くで立ち止まってこう言った。その声の主は女性のようだ。

「そうだそうだ、このとき私は性別を気にしたんだっけ。私は女だよ」

なぜ分かったのか。そして彼女の言葉はうまく理解できない。現実ではありえない言い回しなのだ。

「あの、このとき私はって、どういう意味ですか」

軽く混乱しながら何とか口を動かす。すると彼女は私に握手を求めるように手を伸ばして言った。

「十年先から来ました。杉田ヒカリです」


 彼女曰く、この環境は自分が作り出したものだそうだ。そもそも「時間」は居てはならないものの存在を許さない。一般人が過去に戻ってしまうとその人間が過去に戻ろうと思わないように過去が書き換えられてしまい、これによって最悪の場合未来が崩壊することもあるそうだ。しかし私は時間に一切の影響を及ぼさない不思議な存在――時間干渉不可な存在――であり、この環境は時間が止まっていて未来から彼女が来たことは現在に全く影響しないらしい。

「ここまではいいかな? いいよね、私このとき分かったもの。じゃあ本題に入るね」

彼女は今まで説明してきたときよりもまじめな顔で私を見つめて話し始めた。

「ミコも不思議な存在でね、十六歳から十七歳までの一年間、一般人の願いを叶えることができる特性があるんだ。あ、私みたいな時間干渉不可の存在やその他諸々の不思議な存在の願いは叶わないんだけどね。で、彼女のその特性は無自覚で発動するんだよ。しかも発動するための代償がある。彼女自身が受けた不幸分だけ願いを叶えられるっていう彼女らしい……彼女らしい代償。これから先、彼女は何度も死ぬ機会がある。だから過去の私にしかできない、彼女の護衛役をお願いしたい。君――過去の私なら、彼女に死んで欲しくないだろう。頼むよ」

少し早口で言い終えると、未来の私は私に頭を下げた。私が、受けたいのは山々だがミコのSPをするほどの技術がないと言うと、彼女は私にカードを一枚差し出した。黒くてプラスチックのような素材でできたカードには「二〇〇三年八月二日」と書かれていた。

「何ですか、これは。説明がないと分かりません」

「それは二〇〇三年八月二日の私に関する記憶。このチケットでミコを守る」


 一般人が過去に戻ると、時間によって一般人が過去に戻ろうと思わないように過去が書き換えられる。このとき、時間を書き換えるために莫大なエネルギーを要す。そのエネルギーは、昔に居た時間干渉不可の存在に関する記憶に由来する。時間干渉不可の存在に関する記憶がエネルギーに変換され消滅しても、時間には何も影響はない。その点に着目して未来で作られたのが「メモリーチケット」だ。時間干渉不可の存在に関する記憶を一日刻みにチケット状に加工したものだ。使い方は至って簡単。チケットを破るだけ。こうするだけでエネルギーがチケット使用者の思い通りに作用する。

「なるほど。そのエネルギーでミコが死なないようにするということですか。でもなんで私が護衛を? 今までの言い方だと他にも時間干渉不可の存在っていうのは居るのでしょう」

昔にも時間干渉不可の存在が居たと先ほど言っていたから、この世の中にあと何人かそういう存在が居るだろうと推測できる。また、彼女は私にしかできないとも言っていた。その理由とは一体何だろうか。

「きっとそのうちわかるよ。君が彼女をしっかり見ていればね。一年分のチケットとケースを渡しておくから、落としたり無くしたりしないようにしてね」

彼女は私に背を向けて歩き始めた。私はそれをぼーっと見ていた。誰も動かない白黒な世界に消えかけた彼女は、突然振り返って笑顔で

「そうだ! もうすぐ時間進み出すけど、ミコが轢かれるからメモリーチケット使ってね!」

と言った。

「えっ」

我に返ってミコに目を移す。それと同時に視界に色、動きが帰ってくる。彼女が点滅し、赤に変わった信号の半分まで到達する。私は訳も分からず「二〇〇三年八月二日」のメモリーチケットを破った。パリッという爽快な音と共にそれは火花を散らしながら消えていった。

「わっ、危なっ」

ミコが声を上げる。速度を上げながら近づいてきた軽自動車が彼女の前で不自然に急停止した。信号待ちをしていたスーツ服の集団は彼女のことにも気が付かずに手元のスマートフォンを弄っている。彼女は車に向かって何度もお辞儀をして向こう側まで渡り切った。私はチケットを破っただけなので彼女を守った気にはなれなかったが、向こう側で私を探してきょろきょろしている彼女を見たらなんだかほっとした。


 やった。ついに当たった。この子のために朝早くから夜遅くまで仕事をして来たのだ。それにしても景気づけの一回ガチャで超低確率の、しかも一点狙いしているキャラが出るとはついている。残った課金アイテムはどうしようかな。――今日はついているみたいだし二体目、いや三体目を狙っていこう。いや、にしてもいい天気だなぁ。


 あれから数日。この短い期間に彼女は何度も死にかけた。学校に不審者が入って来たり例年よりも早いツバメが彼女を貫きかけたりという具合だ。彼女がいつ力を発動するかわからないので必然的に私は彼女と一緒にいることになる。今日も朝から彼女と一緒に行動していた。常に目を離さないようにしているので、私に話しかけてくる女子はいない。怖い印象を持たれているのだろうが、気にしない。女子同士のなれ合いなんて――

「じゃーねー」

ミコから黒髪ロングの子と前髪ぱっつんの子が離れると私は即座に彼女のもとへ行く。

「ミコ、帰ろ」

いつも通りの放課後。ミコがクラスメイトと話し終わったら即座に駆け付ける私。友達ほぼゼロの私が人気者の彼女にくっついて離れないことを疑問に持つ者も少なくはないだろう。

「あの……高田さんいますか」

教卓のある方のドアのところに背の高い女の子がいた。どこかで見たことあるような気がする。呼ばれた高田ミコは帰り支度に夢中で聞いていない。まだ残っていた男子がミコを指差す。すると背の高い女子はちょっと声を張って「高田さん」と言った。

「ん? あっ、久しぶりだねー、貴音!」

たかね。「たかね」で思いついたのは年末ガソリンが例年より高値だったことだった。

しかし「またバレー部に入るの?」というミコの言葉でハッと思い出す。彼女は去年まで女子バレー部キャプテンをしていた剣持貴音。学年便りに時折載っていたのでなんとなく脳の隅にあったのだろう。

「久しぶり。あの、ちょっと屋上まで来てくれない?」

「わかった、行こう行こう。あ、ヒカリちょっと待ってて」

私の返事を待たずに二人は教室を出て行ってしまった。私も急いで教室を出た。そうして、屋上へと続く階段を上る彼女らをこっそりと見ていた。

「ねぇ、杉田さん。ミコちゃんが好きなのはわかるけど偶には……」

同じクラスのスレンダーポニーテールが話しかけてきたが聞こえないふりをした。好きでやっているのではない。これが私の使命だ。二人が屋上に出たことを確認し、私も階段を駆け上がる。ミコの声が聞こえるあたりで壁越しに耳を澄ませる。貴音の声が聞こえづらいのでもう少し、屋上に出るための扉に近寄る。

「バレー、怖くなっちゃって」

貴音の力ない声。元キャプテンとは思えない言葉。ミコに相談をしに来たのは明らかだった。なんで、と問う彼女。少し間があって金網に触る音がした。

「最後の大会で怪我したじゃん。それが最終試合だったから別に出られなくなったってわけじゃなかったんだけどね。でも私の怪我で負けちゃったんじゃないかなって」

語尾が震えている。ミコは「そんなことないよ」とでも返すのだろうか。もしそう返すなら、その答えは解決にはならない。

「そうだね。怪我がなければ、試合には勝てたかもしれない」

厳しい口調。いつもの明るい彼女のそれではない。咎める、責める、追い詰める。そんな言葉が連想される。そんな彼女の反応が意外だったのか貴音は「へ?」と間抜けな声を出す。彼女はミコが慰めてくれると思ったのだろう。私も同感だ。

「もし、怪我をしなくて試合に勝てたとする。もし、怪我をしなくて試合に負けたとする。もし、怪我をして試合に勝てたとする。全部現実じゃない。そうでしょう」

あのミコが、難しいことを言おうとしている。驚きもあったがそれよりもその先の言葉が気になった。

「今を生きる貴音が現実じゃないことを気にしても仕方ない。未来を見て。私は貴音が楽しそうにバレーしているのが一番だと思う。楽しくないならばやめてしまえばいい。したいことをするのが一番だよ。『もし』の過去にとらわれずに、ね」

しばらく静かになった。聞こえるのはカラスの間抜けな声。

「……ありがとう、ミコ」

望んだものとは異なる反応をされて困惑していた貴音だったが、ミコの話を受け入れたようだ。納得したかどうかは声だけではわからないが。

「別に気にしないで。力になれたならうれしいな」

彼女は普段通りの声に戻っていた。壁越しに彼女が微笑んでいるのが分かる。ほかに何かある、と彼女が尋ねると貴音はあー、と言った。話題を探しているのだろうか。

「……じゃあ、もう一つだけ」

金網から離れたのか、それが揺れる音がした。

「ミコ好き」

小声だが私の耳は確かに貴音の声を拾った。対してミコは私も貴音好きー、と返す。私は何故かもっとはっきりと声が聞こえるように、さらに扉に近づく。

「付き合ってください」

消え入りそうな貴音の声が耳に届いた。あれ、これ告白か。

「ん? どういうこと」

全く理解していないであろうミコの声。すかさず声を上げたカラスが貴音の次の言葉を掻き消す。

「あー、そういうことね。なるほどなるほど」

どんな説明をしたのか気にはなるが、それよりもミコの返事に興味を惹かれる自分がいた。

「ごめんね、私好きな人いるの」

彼女の返事に貴音と私がえっ、と声を上げる。私は急いで口を押えたが遅かったようだ。即座に扉が開き、屋上から貴音が顔を出した。目には涙が溜まっている。私と目が合うと少し驚いたような顔をし、すぐに屋上に顔を向けてごめんね、とだけ言って去っていった。しばらくして、私は何事もなかったかのように屋上に出た。隠し通そうと思ったわけではない。感づかれなければそのままにするだけだ。

「……聞いていたの?」

「うん。盗み聞きしてごめんね」

少し冷たい風が顔をなでる。ミコは謝るなら貴音に言ってね、と呟くと私の脇をすり抜けて教室に戻っていった。屋上の扉を閉め、私も彼女の後に続く。錆びた扉はとても動かし辛かった。


午後六時ごろに家に着いた。そのまま自室へ行き、着替えずに宿題を始める。しかし、今日の出来事が気になって思い通りに手が進まない。普段宿題が終わり次第自分の時間を作るが、今日は特別に順番を逆にすることにした。今日あったことを振り返ろうとする。しかし放課後以外はぼんやりとしか思い出せなかった。貴音がバレー部をどうこうする話ではない。彼女がミコに思いを伝えたことだ。別に同性が付き合うことを嫌っているわけではない。ただ、あの時ミコが貴音の思いを受け入れたとしたら、と考えると胸を締め付けられるような感覚があった。すぐ横にあるベッドに身を投げ出す。

「ミコを守れるのは私だけなんだ……」

天井をぼんやりと眺めながら、私は彼女のことを考えていた。彼女を守れるのは私だけ。私がいなくては成り立たない彼女の存在。私は彼女の一部になったような感覚。どこからか湧き出た嬉しさに悶えながら、私は眠りについてしまった。


「やっぱりヒカリには私がいないと駄目ね」

いつもより元気に振舞う彼女。彼女が今朝私を起こしてくれなければ電車に間に合わず、遅刻確定だった。

「まさか早寝遅起きしてしまうとは……。ミコ、宿題見せてよ」

私の言葉が終わる前に、彼女はそっぽを向いて自分の席に戻っていった。たぶん彼女も宿題をやっていないのだろう。あと二十分間で進められるところまで頑張ろう。私は集中し始めた。ミコが教室を飛び出していったことも知らずに。


先生が朝のショートホームルームのために教室の扉を開ける。その音に気が付き私は宿題を机に押し込む。一息ついて、ミコの席のほうを見る。

「ん? 高田は何処だー」

ミコの席には彼女のカバンが置かれているだけで、彼女自身はそこにいなかった。私は目を離した後悔と、早く彼女を見つけなければならない焦りで冷や汗が噴き出た。次の瞬間、私は教室の窓から飛び出していた。先生やクラスメイトは驚いただろうがそんなことを言っている暇はない。チケットを一枚破り、無事の着地と私の足が速くなっているイメージをする。チケットが火花を散らして、私のイメージ通りに作用する。私は走りながらもう一枚チケットを破り、彼女をイメージした。彼女が屋上にいることが分かる。仕方ない。私は本日三枚目のチケットを破り、屋上までジャンプする自分を想像した。大きく一歩踏み出して無事大ジャンプを果たし、ミコのすぐ横に着地する。彼女は私が突然現れたので目を丸くした。

「は? ヒカリ、今下から来たよね……」

私は冷静ではなかった。彼女と離れていたこの二、三十分のうちに彼女に何かあったらと思うと死んでしまいそうだ。私は彼女の前まで歩み寄り、抱きしめていた。彼女に触れると安心した。彼女は確かに生きている。鳥が彼女の頭にフンを落としていった。


「やばい、体操着忘れた。超やばい」

「え、マジかよお前。今日の体育担当の上田はやばいらしいぞ」

今朝確かに用意したはず。なぜ俺のカバンの中に入っていないのだ、体操着よ。サブバッグを漁る。ない。

「あっ、ロッカーにあるかも」

廊下に設置されたロッカーに走る。ロッカーを素早く開けると、母親によってきれいにたたまれた体操着が姿を現した。

「やった! マジやばい!」

俺の叫びに誰もが俺に注目した。少し気恥ずかしかったが、怒られなくてよかった。


私とミコは一限目が始まってからも屋上にいた。さぼりだ。彼女にはいろいろ説明しなければならない。彼女は鳥のフンをウエットティッシュでふき取りながら「なんで下から来たの」と尋ねた。私はチケットを取り出して見せた。

「このチケットは私の記憶」

「どういうこと」

「まあ、なんかエネルギーが詰まってるってこと。簡単に言うと」

「へー。で、それをどうにかするとすごいジャンプできるということね」

「まあそんな感じ。これを破りながら想像したことが現実になる」

私の言葉を聞いた彼女の瞳が輝いた。そして、自分の頭を指差した。

「……たぶん頭悪いのがどうにかなるとかはないと思うよ」

「違うよ! フンを完全になくして見せてよ」

なるほど、確かに。私は「二〇〇三年七月五日」のチケットを破る。ミコがじっと見つめる中、チケットは火花を散らして消えた。私が彼女の頭を見るとフンの汚れは消えていた。彼女は「すごい」とだけ言い、床に体育座りした。私もミコに倣い、彼女の隣に座る。

「なんでこんなもの持ってるの」

元々説明するつもりだったので、彼女の能力のことや十年後の私がこのチケットをくれたことをすべて話した。終わった後、彼女はしばらく何か考えるように唸っていた。そうしてしばらくすると私の方を向いた。

「今までずーっとついて来ていたのは私を守るためだったの」

私はうん、と短く答える。

「よくただの友達にそこまで出来るね。ヒカリはすごいよ。偉い」

彼女は私の頭を撫でた。私は少し恥ずかしくなった。しかし同時に心が少し痛くなった。そうして、ついこんなことを言ってしまった。

「もし、私とミコの立場が逆だったらどうするの」

言った瞬間、まずいと思った。場の空気が悪くなってしまう。急いで「別に答えなくていいから」と口走るが、それが追い打ちをするような状況になってしまった。

「私は……ヒカリなら助けるかな。他の人だったらずっとついてまで守らないかもしれない」

他の人の命がどうでもいいってことじゃないけどね、と小さく呟いた彼女は青空を仰いだ。


この学校の学校祭は六月一日と二日の二日間に渡って行われる。それまでに私たち一年生は七夕飾りを完成させたり、部活動の出し物の準備をしたりととても忙しい。私はミコにずっとついて行っていつの間にか出帆祭の司会者になっていた。出帆祭とは、各クラス、部活、団体が学校祭でどのような催し物をするかを発表する場である。五月中期になってから、私とミコの司会者練習が始まった。二人で台本を作り、二人で放課後残ってそれを覚える。偶に彼女の力が発揮されると私がチケットを破り何とか対処する。彼女と一緒にいると楽しかった。最近はこの原稿チェックの時間に彼女の横顔を見るのが好きだ。私の書いてきた原稿に目線を滑らせる彼女は美しかった。


まさか自分の存在を維持するために十年前に何度も戻っていろんな時間軸の私に接触しなければならないだなんて。私はここ二週間、毎日似た光景を見てきたことを思い出した。十年前に戻っては過去の自分にチケットを託す。どれくらいの間これを繰り返せばいいのだろう。

「どうしたの、ため息なんてついて」

ミコが私の背後から腕を回して心配してくれた。

「うーん。最近手当たり次第に過去の私にチケットを渡しているのだけれど、どの時間軸の私が今の私につながっているのか全く分からなくて。いつまで同じことを繰り返さなきゃいけないんだろうなって」

私は彼女が座れるようにソファーの隣に置いてあった新聞紙を退けて、そこを軽く叩く。彼女の腕が外れ、私の隣に座る。

「大丈夫よ。そのうち見つかるわ。いつか、未来へのチケットが私たちのもとに戻ってこない日が来る。頑張りましょう」

私に寄りかかりながらミコが言う。彼女のほんのり甘いに包まれながら、私はコーヒーを一口啜った。カーテンの隙間から夕焼け空が見えた。


学校祭初日。私とミコは司会者なので少し早めに学校に来ていた。

「緊張するね」

ミコが右手と右足を同時に出しながらロボットのように歩いている。私は彼女の手を取ると「大丈夫、大丈夫」と小声で言う。一度教室に行って、荷物を必要最低限持って出帆祭が行われる講堂に行く。私ももちろん緊張していたが、隣にミコがいるだけでだいぶ安心できた。講堂に着くとすでに何人かの生徒が照明チェックや椅子並べをしていた。私はとりあえず学校祭実行委員長に挨拶する。ミコも私に続いて「よろしくお願いします」と言う。委員長は「頑張って」とだけ言うとステージ脇に姿を消した。

「あっ、やべ」

二階席でライトを取り付けていた男子生徒が声を上げる。彼の手からライトが滑り落ちて彼女に向かって落ちてきそうだった。私は咄嗟にチケットを破ると彼がライトをキャッチするイメージをした。「危ねぇだろ! 気をつけろ」と別の生徒が叫ぶ声が聞こえたが、何とか彼はライトを落とさずに済んだ。ミコは私に「ありがとう」と言ってくれた。


危ない危ない。落とすところだった。下に女の子が居るしもし落としていたらその子に怪我をさせていたし、このライトも壊れてしまっていただろう。何とかキャッチすることができて良かった。あの状態から落とさなかったのはラッキーとしか言えない。来年度の生徒へにヒヤリハット報告書として残さなければ。


出帆祭の進行は順調だった。部活二つに一つくらいでミコが死にかけること以外は。きっと彼女の力でいい思いをしている奴がいるのだろう。そう思うと少し腹立たしい。メモに目を落とすと、次はホームルーム展の発表だった。舞台袖から私とミコが現れると二人に視線が集中する。何度も経験したのでそろそろ慣れたかと思ったが、やはり緊張する。一瞬ミコに視線を向けると、楽しそうに話していた。

「……なんですけど、ヒカリさん、いかがですか」

「あ、そうですね。やっぱりお茶は静岡だと思いますね。京都のお茶屋さんでは『静岡のお茶は質が悪いけど量は生産するよね』と言われて非常に腹が立ちました」


出帆祭が終わった。生徒たちはそれぞれの持ち場につく。私とミコは今回の学校祭で司会者以外の仕事についていなかったので、あとは学校祭を楽しむだけである。

「どこから回る? 私は――」

嬉しそうに話す彼女を見ているとこちらも自然と笑顔になる。突然倒れてきたパネルをチケットの力で止めながら「私もそこ行きたいな」とだけ返答した。学校祭開始のアナウンスが流れると、生徒たちが呼び込みを始める。にわかに音が溢れた廊下を私たちは進んでいった。生徒の密度や動きがいつもよりも激しいために一緒に歩くだけでチケットを消費する。今までチケットの残り枚数を気にしていなかったが、今日大量に使ったので家に帰ったら数えてみようと思った。

「ヒカリ、あれやろうよ」

彼女の指の先には美術部の展示。私とミコの要望には入っていなかったが無言で頷き、教室の中に入った。


中晩祭は学校祭一日目の夕方に生徒によって行われるショーのようなものである。私はあまり騒がしい場所に行きたくなかったのだが、ミコがどうしても行きたいというのでついていった。行ってみると笑いあり感嘆もありの楽しい時間を過ごせた。終わると「楽しかったね」とミコが話しかけてきたので、私は「うん」と言った。何故かステージ上からミコに向かって飛び道具が飛んでくるのは面倒だったが、本当に面白かった。そのまま帰路につく。一日目が終わったらと言って気を抜いてはいけない。家に帰るまでが学校祭だ。二頭のドーベルマンが追いかけて来たり車にひかれそうになったりしながら歩く。毎日のことなのでもう慣れた。一応ミコの家の前までついていきそこで解散、ここまでが学校祭である。私は家に着くといつも通り自分の部屋に行く。今日明日は宿題がないので自分の時間だ。一応勉強の習慣をつけるために週テストの勉強を二時間やって、午後八時頃に夕飯を食べる。その後いくつかドラマをチェックしてから自室に戻り、チケットの残り枚数調べる。貰った時に枚数を数えていないので何枚使ったかはわからない。いち、にい、さんと声を出しながら数えていく。

「よんじゅうに……四十二? あとちょっとしかないじゃん」

今日何枚使ったか、正確には分からないが覚えているだけで七十枚は超える。未来の私には連絡する手段がない。ミコと共に明日学校に行かなければいいだろうか。十年後の私は言っていた。十六歳から十七歳までの一年間、一般人の願いを叶えることができる特性がある。つまり残り約十か月。あと四十二枚で十か月を過ごさなければならないのだ。大変なことになった。まさか足りなくなるなんて。未来の私は現在の私に十分な分のチケットをくれたのだろうか。この事実を一応ミコにも伝えておこうとスマートフォンで彼女に電話する。

「はいもしもしヒカリ、何」

「あ、もしもし。さっきチケット数えたらさ、四十二枚しかなかった。どうしよう」

「へー。でも十年後のヒカリから足りなくなったら供給されない?」

十年後の私はこうも言っていた。

「『一年分のチケットとケースを渡しておくから、落としたり無くしたりしないようにしてね』って言ってた」

私は事の重大さに気が付いて青ざめる。一年分のチケット。十六歳から十七歳までの一年間に特性が発動すると言っていたから、たぶんそれ以降は発動することはないのだろう。つまり私に十年前の私がくれたチケット枚数は、私が今まで生きてきた日数と同じ。

「……ヒカリさ、もうチケット使わなくていいよ」

彼女が貴音と話していた時のような、いつものミコとは違う声を出す。

「いや、使うよ。使わないとミコは」

「わかってる。でも」

鼻をすする音が聞こえる。言葉も震えている。泣いているのだろうか。

「あと十か月を四十二枚で乗り切るのは辛いと思う。その気持ちはわかるけど――」

私は彼女を慰めるように話す。しかし、彼女は私の言葉を遮ってこう言った。

「ヒカリ! チケットを使うって意味、分かってるの?」

何故、突然彼女がそんなことを言ったのかわからなかった。私はどう答えようか迷って黙っていた。

「ヒカリの存在が、消えるってことだよ! 全部使い切ったら……」

使い切ったら、私が存在しなかったものとして扱われる。消えるのだ。

「私……消えるのか」

小さく声に出す。実感は全くなかった。

「ヒカリがチケットを使い切ったら、ヒカリは消える。ヒカリが消えたら、私は死ぬ。だからヒカリは、チケットを使わないで。私は死ぬ」

ミコが真剣な声で、こう言った。私は混乱してしまった。ミコが何を言っているのか、理解ができなかった。私の存在が消えるという意味がよくわからなかったから、彼女が死ぬ必要はないと思っていたのだろう。

「ヒカリ、落ち着いて。私が死ねば――」

「ふざけたこと言わないで! まだ何か道はあるはず」

「ない。きっと引き籠ったとしても何かの拍子に私は死ぬと思う。その都度チケットを使っても、きっと間に合わない。あきらめよう」

彼女は冷静なのだろうか。それともただ諦めているだけなのだろうか。声色だけではわからない。彼女がわからない。気づくと私も泣いていた。私が消えるというのは依然として理解できなかった。

「とりあえず、私は最後の学校祭を楽しむよ。死なない限りはね」

何がいけなかったのだろうか。何故使いすぎてしまったのか。心当たりは全くない。

「それなら私は、ミコを守る」

「……好きにすれば」

私は電話を切ると、勉強机に向かった。机の上に散乱したチケット。「二〇〇二年六月二日」のチケットの上に「二〇一八年六月一日」のチケットが現れた。残り四十三枚。


 爽やかなわけがない。今日ミコが死ぬとわかっていながら爽やかに振舞っていられるほど私は強靭なメンタルを持ち合わせていない。

「おはよー」

ミコは相変わらず元気だ。登校中に死んでしまうのではないかと思い、チケットをいつでも出せるようにしながら私は彼女の後を急ぐ。


 学校に着くまで密かに三枚のチケットを消費した。昨日の電話の後では彼女の前で堂々とチケットを破るわけにもいかなかった。学校祭二日目は一般公開ということで、生徒たちの気合は一層高まっていた。「すごい気合いだね」などと話しながら自分たちの教室に向かう。廊下では飾りつけ作業が行われていた。昨日生徒がたくさん通ったので、一部の飾りが外れてしまったのだろう。

「あっ」

脚立を使って高い場所の飾りつけをしていた生徒の手から、画鋲の詰まった缶が落ちる。その真下にはミコが。私はチケットを破った。画鋲は散乱することもなく、ミコを避ける様に地面に落ちた。

「こんなことでは死なないって」

彼女が私の方を見て言う。そうは言っても、彼女が痛がる姿を想像すると辛い。私はミコの言葉をさして気にするでもなく、教室のドアを開けた。残り三十九枚。


 一般公開開始の時間になると多くの人が学校を訪れた。晴天に恵まれたためか、先生によると例年より人の集まりが良いそうだ。私とミコは昨日見ることができなかった体育館に向かった。しばらくすると十二時の音楽が聞こえた。私たちは持参していた弁当を食べた。学校祭が始まってからすでに十二枚のチケットを使っていた。残り二十七枚。


 午後は私が疲れてしまったので、教室の隅でミコと共に休んでいた。休んでいるだけでも彼女は不幸を引き寄せる。突然将棋の駒が彼女のほうに吹っ飛んで来たり、教室を二つに分けるための壁が倒れてきたりと大変だった。一般公開が終わる頃にはチケットの残りは四枚になっていた。その後、講堂に集まる間に二枚使用してしまった。残り二枚。


 楽しめるわけがない。私達十三ホームルームの七夕飾りが入賞したかどうかなんてどうでもいい。他学年のホームルーム展の結果などはもっとどうでもいい。最後に学校祭のテーマソング、賛歌をバンド所属の生徒が歌う。どうでもいい。あと二枚。私が消える実感は未だにわかない。でも、二枚しか残っていないということは、ミコの死も近いということ。肝心の本人は終始目を輝かせて楽しんでいた。文化祭実行委員長の話も済むと、一斉に片づけムードに包まれた。私とミコは、特にすることがないので屋上に行った。屋上からの夕日は綺麗に見えた。空全体がオレンジ色に染まっていた。

「……あと二枚なんだよね」

ミコが言う。私は黙って頷く。

「ヒカリが使おうが使うまいが寿命はあとわずか、か」

彼女はフェンスに指をひっかける。指の隙間から僅かに錆が落ちる。

「なんで、こんなことになったんだろう」

私が彼女の後ろから呟く。ミコが振り向く。彼女の顔に夕日が当たる。

「無駄遣いしすぎたかもね。ほんのちょっとしたことでもチケットを使ってしまった」

自覚はあった。明らかに怪我レベルで済むことをチケット消費で解決していることが多々あった。しかし止められなかった。

「そうだね……。でもミコにもしも何かあったら私――」

彼女がフェンスから手を放して私のほうに歩いてくる。私は彼女から目を逸らす。

「何言ってるの!」

私の顔は掴まれて、無理やり彼女のほうへ向けさせられた。

「今特に怪我もなく元気なのはヒカリのおかげ。それだけは忘れないで!」

そういうと彼女は私を抱きしめた。私も覚悟が決まった。彼女と触れ合えるのもこれが最後。私は二枚のチケットを幸せに生活している未来のミコの姿をイメージして二枚一思いに破くことにした。彼女は私の覚悟も知らずに、力いっぱいに私を抱き締める。私は彼女の肩を軽く持って、私から離れるように軽く押す。そうして、カードケースから最後の二枚、「二〇〇二年九月二十八日」と「二〇一八年六月一日」のチケットを出す。私の生まれた日と、文化祭一日目のチケット。二枚を重ねて彼女を見つめながら、破いた。彼女は両手を組んで、私の目を見ながら叫んだ。

「最後くらい、私の願いを聞いて! ヒカリが一生、幸せに暮らせますように!」

ミコの体がふらつき、後ろのフェンスに当たる。今まで寄りかかっても全く問題のなかったそれは、彼女の体重を支え切れずにぼろぼろと落ちる。私は、彼女に手をのばs


 朝起きると、食卓の端にカードケースがあった。昨日会った十年前の私たちは、私の時間軸ではなかったようだ。

「はぁ……いつになったら見つかるんだろう」

頭を掻きながらまだ重い瞼を持ち上げて、洗面台に向かう。

「あ、ヒカリおはよ。どうだった……カードケース返ってきちゃってるか」

このカードケースの中には、二〇二八年までの私に関する記憶が入っている。もちろん十年前四千枚くらいは使ったが。このチケットを過去に持っていくと、時間に応じてチケットの枚数が変化する。十年前に持っていけば、〇歳から十五歳ちょっとまでの日数と同じ枚数になる。私――二十五歳の私はここ二週間一日一回十年前に戻ってカードケースを手渡す。私の未来につながっていればカードケースが私の元に戻ってくることはない。だが、つながっていなければその時間軸に存在しないものとされ、私のもとに返ってくる。

「また今日も十年前に戻るのか……怠い」

私は彼女の横で顔を洗う。今私が存在しているということはいつか私につながる過去が見つかるということなのだろう。全く心配する必要はないのだ。毎日全く同じことを過去の私に伝えられれば。


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