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はじめに
病院の一室、子や孫たちに囲まれながらベッドに横たわった人物は声になるかならないかも意識せずつぶやいた。
—長かった
彼を見取ってからというもの、時間の経過はどうも遅く感じた。
趣味に打ち込もうが、元悪友と談笑しようと、残酷なまでに緩やかな時間。
—でも、もういいのね。
そう。もうその時間も残り少ない。そのことは何より自身の体の衰えが語っていた。
—やりのこしたこと、あったかしら
抗いがたい、やさしい眠気を感じながらそう考える。
生前贈与、処分、友人へもけじめもしっかりつけた、筈だ。
あぁ。
そうだ。
「私」は。
—いえなかった。
言えなかった。
—伝える勇気すらなかった。
嫌われたくなかった。
—気づいてたのに
好意に、気付いていたのに。
あぁ。
—「あぁ、好きだったなぁ…」
そうして、意識は沈んでゆく。
『市川春音』の人生に、初恋の想いを秘めたまま、という実にありがちな幕が下りた。






