第1章⑺
和也は担当振りが行われた夜、阿久津から引き継ぎを受けたことを自分なりにノートにまとめていた。
櫻井 愛美の基本的なプロフィールや明日から仕事のスケジュール。
そして、今受けている現場での大まかな動きなど。
「とりあえず、これ全部を頭に入れてミスしないようにせねば!」と独り言を言いながらテスト勉強でもしているように熱心に机に向かっていた。
翌日
和也は目の下に隈を作り、眠そうに通学路を歩く。
「今日は確か櫻井さんが参加しているアイドルグループの合同レッスンの現場に同伴だ。」
自分一人で確認するように呟きながら歩いていると「おはよう!」と後ろから声を掛けられる。
和也は振り返るとそこには莉里と愛美が立っていた。
「おはようございます!星野さん。それと、櫻井さん。」
「ん?うわっ、目の下に凄い隈が出来てるよ!」
莉里が和也の目の下を指をさすと少しだけ心配そうな表情をした。
和也は「ハハッ、昨日ちょっと寝れるのが遅くなっちゃって。」とおどけて笑ってみせる。
そういう彼に対して莉里も「ダメだぞ!今日からマナっちのことをしっかりと支えなくちゃいけないんだからね!」とわざとらしく愛美にあえて聞かせるように言う。
愛美は別に興味がないという感じに両手でカバンを持ち、その場に立っている。
それから、三人は一緒に登校し、学校内では日常的な時間が流れていく。
和也はこの日の授業中、睡魔はあったが居眠りをすることはなく。だが頭がボーッとしていて授業をしっかりと受けることは出来ていなかった。
この日に授業でとったノートを見返した時に何を書いてあるか解読を余儀なくされたのは少し先のテスト勉強での話しだった。
雨宮先生から簡単な連絡を受けて、放課後になる。
「フゥー。」と息を吐き、前の席の愛美に声をかける。
「櫻井さん。」
「なんですか?」
「今日のスケジュールなんだけど、これからレッスンだよね?」
「私のスケジュールを管理するのが君の仕事なのに、私に確認しないで。」
「あ、ごめん。なんという、か話しの流れ的な物を作ろうと・・・。」
和也が話しかけているのに愛美は一度も振り返ることなく帰りの身支度を整えている。
回りくどい言い方をする俺が悪いのか?と和也は愛美の態度に一度、苛立つがその感情を飲み込むと「レッスンをするスタジオなんだけど、まだ俺、地元から出てきたばかりだから一緒に連れて行ってもらえないかな?」と低姿勢に愛美に言う。
「私は別に付き添いとかいらないんだけど、君はそれが仕事だし今回だけは一緒に行きましょ。次からはちゃんと覚えてね。」
「ありがとう。助かるよ。」
愛美の冷たく上からものを言う態度に和也は内心ではイライラしていたが表情と言葉では感謝を告げた。
そんな二人の様子を莉里は苦笑して見ていた。
和也の初めての仕事の同伴には長谷川が立ち会うことになっているが、長谷川とは現場での待ち合わせとなっていた。
愛美と和也は彼女が少し先を歩き、彼が後を歩くという形。二人のことを知らない人が見ると和也が愛美の後をつけている変質者に見えそうな図だった。
二人は帰路に着くように歩き、途中の最寄り駅から電車に乗り込むと二駅移動する。
レッスンスタジオは移動した駅を出て数分のビルの地下にあった。
無事にスタジオに着くと長谷川が軽く手を挙げて和也と愛美に合図を送る。
愛美は軽く会釈しスタジオ内に向かう。和也は長谷川に近付く。
「よかった。櫻井くんが一緒に来てくれたんだね。」
「なんとか、一緒に連れてきていただきました。」
和也は苦笑して長谷川に言う。
「すまないね。でも櫻井くんも悪気はないんだよ。何か自分の中にあるモヤモヤから君に冷たく当たってしまっているんだと思う。年頃の女の子だからね、許してほしい。」
長谷川は笑顔で和也をなだめるように言う。
別に顔色には出した訳ではなかったがこれまでに多くの人を見てきた目なのだろう。
和也が隠そうとしている憤りを見抜いての言葉だったように感じる。
そんなやり取りをしていると別の事務所のアイドルとマネージャーたちが数組、スタジオに集まり始めた。
そのアイドルは雑誌のグラビアやテレビなどで見たことがある人物ばかりだった。
愛美が所属するアイドルグループはAQUA PLANET'sは新人アイドルから人気あるアイドルまでが所属する。
その中でも圧倒的な空気を漂わせる数人がいた。
松原 雪乃
若手アイドルの中でも幅広い年代のファンを持つ。
歌やダンスもかなりの物で彼女の独特の雰囲気も合わさり確固たる地位を気づいている。
柊 夏美
このグループでも最年少メンバー(12歳)ながらも高い運動神経と持ち前の明るさから男性ファンよりも女性ファンが多く付いていて、ダンスに関してはグループ内では一番のポテンシャルの高さを持つアイドル。
葛城 沙耶
前年の夏の全国高校野球でイメージガールを務めた経験のあるアイドルで、同じ年には複数のCMに出演したことからその年のCM女王に認められたアイドル。前二人に輪を掛けて清純派のイメージが強い。
そして、最後の一人が八乙女 麻依
彼女だけは何故か別格の空気だった。
そこにいるだけで幸せにさせるような、そんな何か例えることすら出来ない存在。
現在、このグループ内では不動のセンターとして立つアイドル。
そんな絶対的な存在を有するグループに愛美は在籍しているのだと、和也は認識すると何故だか他人のことながらに震えが来た。
「進藤くん。それじゃあ、僕らも仕事を始めようか。」
長谷川はそう話しを切り出す。
和也は我に返るとすぐに「はい!」と返事をする。
長谷川は自分の着ているスーツの胸ポケットから手のひら大の箱を取り出すと和也に渡す。
和也は首を傾げながらもそれを開けると中身を取り出す。
中には和也の会社での名刺が入っていた。
「まず君の仕事は挨拶回りだ。よし行くぞ!」
「は、はい!」
和也は長谷川の後を付いてレッスンが始まる前のアイドルとマネージャーたちに挨拶回った。
長谷川が先に話しを切り出し、和也が「本日から櫻井 愛美の担当マネージャーになりました。進藤 和也と言います。よろしくお願いします。」と挨拶をする。
そんなに多く頭を下げた訳ではないが寝不足と過度な緊張から頭がクラクラしていた。
一通り挨拶を終えるとダンスレッスンが始まる。
長谷川と和也は他の事務所のマネージャーと共にフロアから出る。
フロアから出るとマネージャーたちの動きはそれぞれだった。携帯を片手にその場を立ち去る者、ドリンクやタオルを用意する者、手帳と時計を確認しながら他人と話す者。
和也は何をしていいのか分からずその場でただ彼女たちのダンスレッスンを窓越しに見ることしか出来なかった。
フロア内
「櫻井さんの今度のマネージャーってちょっと変じゃない?」
「ああ、私も思った!この間のマネージャーさんがかなりカッコいい感じだったからなんかより、変に感じちゃうよね?なんか体格も丸いし・・・。」
と何処からか声が聞こえてくる。
愛美は聞こえないフリをしていたがそこに夏美がやってきた。
「愛美ちゃん!愛美ちゃん!」
「なに?夏美。」
「新しいマネージャーさん!なんか可愛いね。」
キラキラとした瞳で愛美を見る。
夏美には和也のことが遊園地なんかにいるマスコットに見えているのだろう。と愛美は感じていた。
「そんなに気に入ったなら、あげようか?」
「えっ、いいの!やったぁ!」
夏美は本当に嬉しそうにその場でピョンピョンと跳ねる。
「なに、バカなこと言ってるの?櫻井さんもマネージャーくんに失礼よ。」
「雪乃さん。」
「雪ちゃん。」
「私たちにとってマネージャーは一緒に仕事をするパートナーなんだから、あげるとか冗談でも言ってはダメよ。なにがあったのかはわからないけど、彼は新人さんなんだから大切にしなくちゃ。」
雪乃が愛美に少し説教気味に言うと愛美は誰にも聞こえないような小さな声で「私が望んだことじゃない。」と呟いた。がすぐに笑顔を作ると「ごめんなさい。少し冗談が過ぎたみたいです。夏美もごめんね。」と謝る。
そんなやり取りをしているとフロアに先生が入ってきたことで和也の話しはそこで終わる。
そして、彼女たちは先生からその日のレッスン内容の説明を受けるとそれぞれが各自のフォーメーションに着くと一度目の通し練習が始まった。
和也はレッスンする愛美を見ている。
外から見ていると何回も振り付けの確認や反復した練習、身体は絶対に疲労しているであろうことは目に見えてわかる。
でも彼女はとても楽しそうでそして何より輝いて見えた。
結局、その日は愛美のレッスンをただ見ていることしか出来なかった。
「社長。マネージャーって何をすれば良いんでしょうか?」
和也が長谷川に訊ねる
「マネージャーの仕事はとても難しくてね。コレをすれば正解だからっていう答えがないんだ。ただ言えることは君が櫻井くんのことを考えること、櫻井くん自身よりも櫻井くんのことを考え、寄り添えば自ずと見えてくると思う。根気のいる仕事だけど、君は推薦されるくらいの人物だ。期待しているよ。」
「櫻井さんのことを考える・・・。」
和也はレッスン終えて出て来る愛美、額には薄っすらと汗をかいていた。
「お疲れ様。」
「・・・。」
和也の労いの言葉に愛美はペコリッと頭を軽く下げると更衣室に入っていった。
和也はそれ苦笑しながら見送っていると続々と別のアイドル達も出てきた。
そのアイドル一人一人に和也は労いの言葉をかけた。
長谷川は先に事務所に帰り、和也は愛美を事務所で用意した寮に送り届ける為に一緒に帰路に着いていた。
二人の距離は相変わらず離れていたがその帰路の途中で和也は愛美に「俺は頼りにならないマネージャーかもしれません。」と話しを切り出す。
愛美はピクッと肩が動くがやはり和也の方を振り向くことはなく歩き続ける。
「でも櫻井さん。俺、頑張ります。君のことを考えて、いつか頼ってもらえるように努力します。ですから、俺に君のマネージャーをやらせてください。」
「・・・。社長の決定なんだから仕方ないでしょ、好きにすれば。」
二人はその後は何も話さずに歩き、目的地である寮に着くと愛美は「お疲れ様。」と振り返りはしなかったが和也に労いの言葉を寮内に姿を消した。
「うん。ありがとう。」