第1章⑼
昨今、日本には数多くのアイドルが誕生して各地で活動している。
アイドルの活動と言ってもそれぞれで、地元を拠点にライブや町興しなどをメインに活動する御当地アイドル。大きなミュージックレーベルと契約してCDや全国的に活躍するアイドルグループ。ミュージックレーベルとの契約はないが劇場を独自で構えている劇場アイドルグループ。この他にもいろいろな方法で活動している個人やグループがいる。
アイドルとファンが一番に距離を縮めるイベント。
それがハイタッチ会や握手会と呼ばれるもの。
エイジプロダクション所属アイドルとしてのそのような握手会やハイタッチ会は普段は実施しないのだが、愛美はAQUA PLANET'sにも所属しているために握手会の参加することになった。
そして、今回は同じ会場で別のグループも合同で握手会を開催するという異例の状況の中で開催されることになっていた。
ブースも通常の半分で行われるため、握手をする為に作られたレーンと呼ばれる待機列形成エリアにAQUA PLANET'sの人数なら通常一人が配置されるところに今回は二人ずつ配置されることになった。
レーン分けは現場に着いてからグループプロデューサーから割り当てられるらしい。
和也にとっては初めての握手会現場、そして初現場が異例という既にハプニングまで起きていた。
和也は寮の玄関で愛美が出てくるのを待っている。
待っている間に、「とりあえず、櫻井さんの邪魔や迷惑にはならないようにしなければっ!」っと心で誓う和也。
すると寮から愛美と莉里が出てきた。
「おはよう!」
莉里は元気に和也に挨拶をする。
「二人共、おはよう。星野さんは今日はオフじゃなかったっけ?」
「アレ?君、私のスケジュールも覚えてるの?」
「ま、まあ、なんとなくなんですが・・・。」
「本当はオフなんだけどね。でも、事務所に呼び出されててね。ちょっと顔を出さなくちゃいけないの。」
「なるほど。」
和也は莉里と会話しながらも愛美をチラッチラッと見た。
愛美はそんな視線を気にすることなくスマートフォンに目を落としていた。
莉里が和也の異変に気づき近寄る。
「どうかした?」
「櫻井さん。なんか今日はいつもに増して綺麗ですね。」
「ああ。握手会は自前の衣装らしいからかなり今日は気合い入ってるんじゃない?ってか、それ直接本人に言ってあげれば?」
「い、言えないっすよ。間違いなく怒られそう。」
「そんなことないと思うけど・・・。」
莉里は「じゃっ!?私は先に行くね。二人共、頑張ってね。」と告げて事務所に向かった。
和也はその場から莉里に軽く手を振り見送る。
「じゃ、じゃあ、俺たちもそろそろ行こうか?」
それまでスマートフォンを見ていた愛美は和也を見ると「そうね。」と言いながら手に持ったスマートフォンをカバンにしまうと二人は握手会の現場へと向かう。
和也と愛美が現場入りするとすでに現場入りしているメンバーがいた。
八乙女 麻依と葛城 沙耶。二人は準備を済ませて会話をしている。
「おはようございます!」
和也は麻依や沙耶、その場にいるスタッフ全員に聞こえるように挨拶する。
「おはようございます。」
愛美も和也に続くように挨拶をする。麻依も沙耶も挨拶を返してくれる。
愛美は麻依を見るとあのインタビュー後に言われたことを思い出す。
「あなたは幸せ者よ。」
彼女の言葉の意味することが愛美には今も分からない。
麻依と沙耶はこちらに近づいてくる。
「櫻井さん。それにマネージャーさん。プロデューサーから連絡で本日のレーン振り分け変更なんですが、あちらの掲示板に振り分け表の掲示されてますので確認をとのことです。」
「これから来た方にも同様に案内をお願いします。」
「はい。分かりました。ありがとうございます。」
「ありがとうございます。」
和也と愛美は二人からの連絡を受けて、掲示板の方に向かった。
掲示板に張り出された振り分け表を確認する。
愛美が振り分けられるレーンはBレーン、先ほど会話をした沙耶と同じレーンだった。
和也はあまり気にしてはいなかったが、愛美の表情には明らかに緊張の色がとって見れた。
「俺、これから来た人の案内するために入り口あたりで連絡の手伝いしに行こうと思うんだけど、櫻井さんから離れちゃっても大丈夫?」
「・・・。」
「櫻井さん?」
「えっ?なに?」
和也は「えっと、これか来た人の案内を」と言うと愛美は「ああ、うん。お願い。」と返事をする。
「じゃ、じゃあ行ってくるね。」
和也は愛美の異変に首を傾げながらその場を離れて、連絡の手伝いに向かった。
愛美は自身の左腕を握ると下唇を噛み、しばらくその場に立ち尽くす。
「・・・。」
愛美はカバンからスマートフォンを取り出すと電話をかける。
「もしもし、どうした?」
受話器越しに阿久津の声が聞こえてきた。
愛美は少し震えた声で「ごめんね。あの声を聞きたくて電話を掛けただけなの。」と告げる。
「愛美。・・・正直に言うよ。こういうことは困るんだ。俺は君の担当じゃないんだ。今の担当は進藤くんだろう?」
「そうだけど、それは私が望んだことじゃないんだよ。」
「俺に連絡する前に進藤くんに話をするのが常識だろう?君のために頑張っている進藤くんに失礼じゃないか?」
「もういい!?」
愛美は大きな声を出すと阿久津との通話を切った。
大きな声を出したことにより、その場にいた全員が愛美を見る。
和也も入り口から走って愛美のもとに駆け付ける。
「どうしたの?櫻井さん。大丈夫?」
和也は心配した表情で声をかけると愛美は和也を睨む。
その目に思わず仰け反りそうになる。
「あなたがうちの事務所に来たから、私は・・・っ!?」
「・・・。ごめん。」
和也が謝ると愛美はその姿を見て自分の心の中に罪悪感が生まれ、その場を走って去っていた。
残された和也はその場に膝から落ちた。
そんな不安定な状態の二人をよそに時間は刻々と過ぎていき、握手会の時間が近づいてきた。
各レーンにアイドルたちは待機する。
Bレーンでも、愛美と沙耶が通路を挟んで向かい合わせで待機していた。
「櫻井さん。今日は一日よろしくね。」
「・・・。はい。よろしくお願いします。」
愛美の表情は明らかに曇っているのが目にとって分かる。
スタッフが「それでは開場しまーす。」と声で合図を送る。
和也は斜め後ろの少し離れた場所で待機している。
レーンが開放されてファンが流れるようにレーンに入ってくる。
ファンは沙耶の前へと移動してくる。
彼女の人気は本当にすごいもので今、目の前に広がる光景からハッキリと分かる形で現れている。
そして、それを見せつけられる愛美。
愛美の前にもファンは並んでくれているが二人のファン数は圧倒的に違い過ぎた。
和也はレーンの振り分け表を見てからの愛美の異変にその光景を見て気づいた。
「俺はバカだ。」
愛美は自分の前に来たファンに対応しているが、その表情には曇りが差していた。
彼女はあの振り分けを見てから、こうなると分かりながら不安を一人で抱え込んでいた。
「俺がマネージャーなんだ。櫻井さんの異変をそのままにしてどうするんだ。」
和也は愛美に近寄ると目の前にいるファンと握手を終えるとすぐにファンと彼女の間に入る。
愛美は和也に対して「ちょっと、なにしてるの?」と少し怒気まじりの声で和也に言うがいつもの嫌悪感だけの言葉とは違う。
「すいません。一旦、櫻井 愛美はレーンから外れます!」
「勝手になに?」
和也はレーン入り口のスタッフと並んでいるファンに向かって言うと愛美の左腕を掴むとレーンから離れる。
和也はレーン脇の休憩スペースに行くと愛美を椅子に座らせる。
愛美の身体が突然、震え始めた。
和也はその場に屈むと彼女の右手の甲に自分の手を乗せる。
「ごめん。櫻井さん。気づいてあげられなくて、」
和也は本当に申し訳ないという顔をするとその場で頭を下げる。
そんな和也の姿を見ると愛美の目から涙が溢れ出ると視線を自分膝に落とした。
「あれ?なんで・・・。」
泣くつもりなんてなかった彼女が自分の目から出た涙に驚く。「悪いのは進藤じゃない。現実を見せられて、その場で何もできない不甲斐ない自分が悪いって分かってる。」と心の中では分かっている。
和也は愛美の頬に手を伸ばすと頬を優しく摘み引っ張る。
予想外の行動に愛美は目を丸くして和也を真っ直ぐに見る。
愛美が見るのを確認すると
「櫻井さん。俺の不甲斐なさは後でもっと謝るし、社長に俺から櫻井さんの担当を戻してもらえるように話しをする。」
「えっ?」
「君の担当になってから、自分なりに努力はしているつもりでもやっぱり俺じゃあ力不足は否めないって感じた。櫻井さんにはもっと力になってくれる人が必要なんだと思う。だから、今日この現場が終わったら社長に話してみるよ。」
和也は笑顔を愛美に向けた。
「でも、今はまだ俺が担当だからこの握手会を一緒に乗り切るために言わせてもらうね!この握手会は櫻井さんにとってはチャンスだと俺は思うんだ。目の前にこれから超えていかなくちゃいけない人がいる。」
「超える?」
「うん。現状は確かに彼女の方が人気はあると思う。それは現在の光景を見れば明らかだけど、何もしないでただ差を見せつけられるなんて今後の櫻井さんのためには勿体無いと思うんだ。」
「今後の私のため。」
「この状態だから出来ることをやろう。葛城さんのファンの方との握手は本当に流れるように行われている。それこそ一言を言えるかどうかだと思う。こちらの列は割と落ち着いてるから握手しながら軽い会話なら出来る時間のゆとりがある。今回は今いる櫻井さんのことを応援してくれているファンを大切にする。その上でもっともっと櫻井さんの魅力を知ってもらえる握手会にしよう。地道にコツコツとって本当に櫻井さんには申し訳ないけど、今の俺に出来るアドバイスなんてこれくらいしかないから。」
和也がそう言うと愛美は自分の胸に左手を当てる。
軽く息を吸い込んで、胸の鼓動の音を感じ、右手の甲に乗せられた和也の手の温度を感じる。
「ねぇ。進藤くん。進藤くんは今、私のマネージャーだよね?」
愛美は和也に聞くと和也は頷く。
「もし、私にファンの人が一人もいなくて売れる見込みのないアイドルだったら」
「だったら俺が君のファンの第一号として、君のことを応援していくよ!俺はアイドル櫻井 愛美のマネージャーだから。」
和也はそう言い切ると愛美はまた視線を膝に落とし「・・・・う。」と何かをつぶやくように言うとすぐに顔を上げて立ち上がる。
「戻りましょう。ファンの人が待ってる。」
愛美は自分で歩き出してレーンへと戻っていった。