始まりの日
「……だ、大好きだよ」
クリスマス時期ということもあり、街は色とりどりのイルミネーションに彩られ、歩く人々はそんな街に呼応するように妙に賑やかだった。
そんな賑やかな街の中にいるのに彼女のその言葉はしっかりと俺の耳に届いた。
彼女は頬から耳まで真っ赤になり、潤んだ眼で真っ直ぐに俺のこと見ている。
思えば、彼女とはいろいろなことがあったな。とか彼女との出会いから今現在のことまでを思い返しながら夜空を見上げた。
この話しを始めるならば、高校の入学試験の会場からだろう。
俺と彼女とそれを取り巻く人達の物語をゆっくりと語ってみようと思う。
「おい。カズ」
いかにもスポーツ少年という感じの坊主頭の生徒が男子にしてはあまり身長が高くなくかつ肥満体型で眼鏡をかけた生徒に話しかけた。
このお世辞にもかっこいいとは言えないこの「カズ」と呼ばれた彼は進藤和也。
和也は話しかけられたことに気が付いておらず、そのまま歩いて行こうとしたがスポーツ少年が和也の肩を掴んだ。
「オワッ!!」
和也は驚きのあまり思わず大きな声を出してしまった。
「タケちゃん。ど、どうしたの?」
和也にタケちゃんと呼ばれたスポーツ少年、本名は大河武という。
「どうしたの?じゃないだろう……」
武は呆れた表情で和也を見るなり、「大丈夫かよ?」と聞く。
和也は何のことか分からずに首を傾げると武はため息をついてから和也に向ってビシッ!という効果音がつきそうな勢いで右手の人差し指でさした。
「歩いてる時、人が話をしている時に何か考えたり、ボーっとしたりするのやめろ。お前の悪い癖だぞ」
「ご、ごめん。」
和也は本当に申し訳なさそうにまん丸した身体を小さくして謝った。
武は「分かればそれでいいんだ。」と言いそれ以上は和也を責めなかった。そしてすぐに彼は話題を変える。
「それよりもだ、カズ。見てみろよ。」
武はさっき話していたよりも少し小声で話しながらさっきまで和也をさしていた指が彼等の目の前を指した。
彼の指すの先にはこの近隣では見かけない制服を着た女子がいた。
和也はこの時、その女子を見て「綺麗な女の子だ。まるでテレビで見る芸能人みたいだ。」と考えていた。
彼女は丁度職員室の前で先生らしき人と会話していた。
「……がありますので、出席日数を調整させてもらいながら通わせていただきます」
前半は何を会話していたかは聞き取れなかったが、和也と武はその横を通り過ぎようとした。
「分かった。スケジュールが出たら、すぐに向こうの担任教師に報告だけはするように」
彼女は「すいません。スケジュールがありますので、これで。」と言い、先生にペコリッと頭を下げて、和也たちと同じ方向へ小走りで和也たちを抜いていく。
小走りで抜き去っていた彼女のブレザーのポケットから何かが落ちた。
和也はすぐに気がつき走って落ちた物を拾い上げる。
落ちていたのは小さなクマのキーホルダーがついたカギだった。
「どうしたんだ?」
「うん。さっきの女の子が落としたみたいなんだけど……」
「ふぅ~ん。まあ、俺らはこの後試験あるしさっきの美人ちゃんと話していた先生に預けるしかないな」
武に言われて和也は「そうだね」と言い、一旦、職員室にカギを預けることを納得するがすぐにカギを握りしめて彼女が走り去った先を見る。
「タケちゃん。俺、やっぱり届けてくるよ」
「はぁ?お前、試験はどうするんだよ?」
「大丈夫だよ。まだ走っていって間もないし、それにカギなんかなくしちゃったらすごく心配だと思うし」
和也はそういうと彼女が走り去った後を追いかけるように走った。
武は後ろから何かを叫んでいたが和也の耳には入っていなかった。
和也は廊下を走りながら彼女の姿を必死に探すが全く見つからなかった。
向かう先の方からスーツを着た四十代くらいの男性が歩いてくる。
その男性の脇を走り抜けると男性は「おい、君、」と和也を呼び止める。
和也はすぐに止まったものの「早く彼女を探さないといけないのに……」と内心焦っていた。
「君、今日入学試験を受ける生徒さんだよね」
「は、はい。そうです」
「何を慌てているか知らないが廊下を走るの良くない。誰かとぶつかったりしたら危険だよ。まあ、試験で緊張したりしているからかもしれんが気持ちに余裕をもって行動しなさい」
和也は「すいません」と言いながらペコリッと頭を下げて謝るとその男性は「で、何をそんなに慌てていたんだい?」と首を傾げながら和也に尋ねる。
落し物のカギの話とさっきの彼女の特徴を伝える。
「そんな感じの子なら、さっき西側の昇降口から出ていくのを見たな」
「本当ですか。あ、ありがとうございます」
和也はまた頭を下げてから西昇降口に向かおうとする。
しかし、男性がそんな和也をさらに呼び止める。
「君は試験を控えているんだろう。試験会場の教室に行かなくっていいのかい?いろいろ準備もあるだろう?」
和也は左腕にした時計を見ると試験まで若干時間があるが普通ならすでに教室に入っている時間帯ではあった。
和也は一瞬だけ教室に行くことも頭によぎったがすぐに笑顔で男性に「でも、カギがなくって彼女困ってしまうかもしれませんから、僕は大丈夫です。開始時間までには教室に戻りますから」と言い残してその場を足早に後にする。
男性は目を丸くして彼が歩いていく後姿を見ていた。
西昇降口を出て和也はそこから近い校門である裏手側の門を目指した。
裏手側の校門を出てすぐに彼女を見つけることができる。どうやら誰かを待っているようだった。
ただ待ち立っている彼女の姿なのにその姿が美しくてつい見とれてしまう和也。
彼女はセミロングのカールがかかったふんわりとした黒髪が微かな風でふわりと揺れ、その髪を押える細い指と手。白くて透き通る肌が本当に綺麗だった。
彼女はゆっくりと和也の方を見る。
和也と彼女の視線が交わり合い、その瞬間ガコンッとまるで心の中にある壊れかけの古時計の針が再び動き出したようなそんな感覚が和也の中で広がっていた。
「あの…何か?」
凄く不愉快そうな表情で彼女は和也に話しかけてくる。
和也は声をかけられたのにも関わらず、いまだに彼女を見つめ何の反応も出来ずにいた。
さらに彼女の中で和也の不信感が強まっていき、表情は引きつっていく。
その時、校舎の方からキーンコーンカーンコーンというチャイムが鳴る。
そこでようやく、和也はハッという表情を浮かべて持っていたカギを彼女に渡す。
「こ、これ」
「あ、私のカギ……」
「あの廊下で落とされたので、すすいません。俺、し試験がありますので」
和也は緊張から早口で彼女にカギを持っていた経緯を説明するとその場を走って去っていった。
走って教室に向かう中「緊張して早口になっちゃったよ!」とか考えながら必死に教室まで急いだ。
彼女は和也が走り去った後、渡されたカギを見て顔を曇らせた。
「わざと落としてきたのにな……」
彼女はそう小さくつぶやくとそこに黒のアルファードがやってきた。
アルファードからはスーツを着た若い女性が降りてきた。
「マナちゃん。遅れちゃって、ごめんなさい」
「いえ、こちらこそこんな遠くまですいません。立花さん」
彼女は和也から受け取ったカギをカバンの中にしまうとペコリッと頭を下げた。
運転手の女性 立花と言われた彼女は「全然大丈夫だよ。次からは道に迷わないから」と少しだけおちゃらけったように言う。
彼女は口元に手を当てクスッと笑う。
「じゃそろそろ行きますか」
「はい。お願いします」
立花はアルファードの後部座席のドアを開けると彼女はそれに乗り込む。
乗り込んだ後、彼女は車内から校舎を見ていた。
時は過ぎて、4月になり全国各地の小中高大の学校で入学式が行われる中、私立桜陵学園高等学校でも入学式が執り行われていた。
そんな入学式が執り行われている中、別室に和也は中学の制服を着た姿でいた。
和也の目の前には入学試験にであった四十代の男性が座っていた。
「君に会うのは入試の時以来だね」
男性は目の前に用意されたお茶を一飲みすると和也は今の異様な空間に緊張していた。
男性もそんな和也の様子から少し真面目な表情をして「本題に入ろうか」と優しい口調で話を始めた。
和也は真っ直ぐに男性を見る。
「君はあの日、試験の一時限目に間に合わなかったね」
「は、はい。僕はその試験に出ることはできずに不合格になったと思っていました」
和也はうつむき膝の上で握り拳を作り話しをしていた。
男性は和也のその姿を見てある疑問を投げかけた。
「君にあの試験日に言ったよね。試験前に準備があるのではないか?とね。でも君は試験の前には戻ると言って彼女を追いかけた。そして、彼女にカギを渡すことはできたが、君は試験に間に合わなかった」
「……はい」
「君は自分の進路を投げようとしてまで彼女を追いかけた理由を聞きたい」
「理由ですか」
和也は顎に手を当てると少し考える。
男性はしばらく考える和也のことを見ている。
「彼女が可愛い子で、もし親切にしたら何かあるんじゃないかって下心でもあったかい?」
「……下心」
確かに綺麗な女の子でつい見とれてしまったのは事実だが、彼女が可愛かったから届けたのか?
「たぶん違うと思います」
和也は考えているうちに否定の言葉が思わず口をついて出る。
男性はニコッと笑う。
「いや悪かったね。つい君の真意を聞きたくて失礼な発言をしてしまった」
男性は頭を下げると「君が誠実な人間であの日、彼女のためだけに動いていた。そんな君だから僕は君にあることを頼みたくて、その見返りに特例として我が校の入学を認めたんだ」と語る。
和也は「頼みたいこと?」と首を少し傾げながら男性に聞く。
「そう。君には入学してから一年間、都内近郊にある本キャンパスのあるクラスに入ってもらいたいんだ」
「え?で、でも、いきなり下宿なんて……」
「ああ。いきなり言われても焦る気持ちも分かるが下宿先は我が校が運営する寮があるし、学費の方も君が在学する三年間を免除する。経済的負担は君の家やご両親にかけないことは約束しよう」
和也は男性のことを不審な目で見た。
普通の高校の入学生にここまでの待遇を用意する彼に胡散臭さを感じても仕方がないと思う。
それを感じとって男性は「その代わりに君には本キャンパスに行き、ある人達のマネージャーを一年間お願いするって訳です」と和也が不審がっていたために待遇の代価を伝えた。
和也は目を見開き丸くする。
「マネージャーですか?」
この時の和也はマネージャーが本キャンパスにあるという運動特待生の部活動のマネージャーだと思っていた。
運動特待生と一緒に部活動をするのは当然無理がある和也の体型や性格からして運動部系ではないからである。
だがマネージャーならば、と和也の脳裏によぎる。
この誘いを受け入れれば三年間の学費は免除になり、第一希望のこの学校に入ることが出来る。
和也は「す、少し考えさせてもらっても良いでしょうか?」と言い、その場の勢いで結論を出さないという選択をする。
男性はニコッと笑うと「ああ、もちろんだとも」
彼はそう言ってから胸ポケットから革の名刺ケースを出して中から自分の名刺を和也に差し出す。
「私も本キャンパスの方に戻らなければならないので返答は私の携帯に連絡して下さい」
和也は男性から受け取った名刺を見る。
私立桜陵学園高等学校 本キャンパス 特別支援学科長 安元晴臣
和也は安元との出会いから始まる怒涛の学園生活があるなんて、この時の彼は知る由もなかった。