PAPER 2 ニュー・スピーク New Speak 1
入国する為のパスポートを手に入れたので、しばらく、この街に滞在するつもりでいた。
肌で感じるのは、きっとこの国には自由があまり無いのだろうなあ、と思った。
「デカイTVだな」
ホテルは安い場所を選んだ。
TVを流していると、どうやら地元の農産物などのCMが流れていた。
ベッドは二つある。サービスで、ホテルの中には、お茶のパックがあり、金を払えば、冷蔵庫からスポーツドリンクなどを取り出す事が出来た。
「まあいいや、不法移民だと思われないようにしないとな。それにしても、凄い国だな。この国じゃ軍事産業が発達していて、若い兵士を前線に送り出して、沢山、金儲けが出来るそうじゃないか。一つ、私も志願兵にしてくれないかな」
「えっと、……傭兵とかは雇っていないそうです。防衛軍、専用の大学を卒業しないといけないとか……」
バイアスが、淡々と告げる。
「なんだそれ?」
「学歴重要らしいですよ。兵士は教育も必要ですから」
アイーシャは鼻を鳴らす。
街を見れば、でかでかと国旗が飾られていた。
この街では、犯罪件数も少ないらしい。
ラジオやテレビからは、やたらと明るい調子の音楽が流れてくる。
「まあいいや。しばらくは、この国を拠点にしていきたいな。表層的には平和を維持しているみたいだし、何より、警察が多いのは良い事なんじゃないか」
「まあ、確かに警察多いみたいですね。交通事故の件数にも神経質みたいだし」
TVからは相変わらず、愛国心を煽る歌詞の曲が流れていた。
でかでかと、この国の宰相らしき人物の顔が映る。
「しかし、恐ろしいものだな。全体主義国家ってのは」
アイーシャはあくびをすると、そのまま、ベッドに潜り込んだ。
†
隣室の奴が煩い。
殴り倒してやろうかと思うくらいにやかましい。
恫喝して黙らなければ、歯の一、二本くらいへし折っても構わないだろう。
アイーシャはドアの壁を蹴る。
「おい、お前のその何だか分からない録音を止めろよ、今すぐにだっ!」
中から、小心そうなワイシャツを着た男が出てきた。
「す、すみません。私、ジャーナリストでして。自分の録画したものを、聴いていたんです。たまたまイヤフォンを壊してしまって……」
「音量考えろよ。ふざけるなよ。此処、安ホテルだから壁薄いんだよ」
腰の低い男だった。
アイーシャは名刺を貰う。
「ボブって呼んでください」
「おい、名刺にはクリストファー・アンジェリカって書かれているぞ。何をどう略称したらボブになるんだ?」
「偽名なんです。ボブもニックネームです。……本名は、言えないです。何しろ。幾つかの政府や政治団体、宗教団体、各国の極右組織、武器商人などから狙われていまして……」
「ふざけているのか?」
彼女は、この弱々しい男の手足の一本でも、折ってやろうかと考えていた。
ボブと名乗った男が流しているノート型パソコンの画面は、街が炎に包まれている映像が流れていた。その映像の中では、燃え盛る炎を身にまとった一人の女が、空高くから地上の人間を生きながら焼き殺して回っていた。
「私は残酷で非道なこの世界を正確に報道して回ろうとしているんです。すると、色々な人達から狙われて、よくヒットマンに襲われるわけです」
「…………。ちなみに、その画面に映っている女、グリーン・ドレスだろ…………。そうか、有名なんだな。ちなみにその街の虐殺には、私も相棒として参加したんだが。奴の方が目立つんだな」
「軍事大国『グリズリー』ですか? 民間人の殺害は最低な行為ですが、あの国自体が軍産複合体の顧客だったので、色々な企業が混乱を来たしたらしいですよ」
「デカくて、大きな国だったからな。ドレスがミサイル沢山撃ち込んできて笑えるとか言っていたな。ちなみに、大統領を名乗る奴の館を占領してやったぞ」
「そうみたいですね。沢山の機械の怪物達が民間人を殺して回って、あれは地獄の光景でした」
「ドレスよりも、私が女子供、老人、病人、障害者とか殺したんじゃないかなあ……。あの頃は荒れていたからなあ。ドレスは基本的には軍隊と戦っていたな」
ボブを名乗る人物は、躁状態になって、その当時の光景を悲しげに、しかし楽しそうにも話してくる。
「おい、何で、この私が映っていないんだ?」
アイーシャは、ボブを羽交い締めにする。
「俺、実は炎の天使グリーン・ドレスに憧れていまして、グリズリーの大統領と軍事産業には、ざまあみろって思ったわけです。他国の資源を略奪して成り立っていた国ですからね。貧困格差を広げていたわけですし。ああ、俺、善悪両方あわせ持つ人間ですよ。軍隊の奴らが炎の天使の手から放たれる爆弾によって燃えていくのは爽快でしたね! しかし、機械の怪物を使っている能力者の映像や写真は撮れなかったんですね」
「……炎の天使……? 緑の悪魔って通称よりも、そっちの方が広まっているのか? そしておい、お前、何で私の顔が広まってないんだ? どういう事だ? お前らのワークは半分寝ていても、成立するのか? やっぱり新聞、TV関係者は怠け者の集団なのか?」
ボブはアイーシャの両手を握り締める。
「お願いです。もしよければ、この俺をボディ・ガードしてくれませんか?」
アイーシャは、少し困惑した後に。
「私は兵士崩れの傭兵なんだが。金次第で受ける。それだけだよ」
二つ返事で返したのだった。
これで、今、受けているビジネスは二つも掛け持ちしているという事になった。
†
あくまで、ボブの護衛は副次的にやるもので、自分は別の依頼主からのビジネスの為に、この国にやってきた事を告げる。ボブはそれでも構わないと答えた。
場合によっては、すぐに別のボディーガードを付けるべきだ、とも。
ひとまず、アイーシャは携帯しているネズミやトカゲの死体に機械の装甲をかぶせて、ボブの警備をさせる事にした。
これから、この街の近くから行ける地下鉄から、地下世界へと向かわなければならない。
この国に電波ジャックして、真実の報道を伝えるというのが、ボブの目的みたいだ。彼は各国の言論統制に敵愾心を抱いており、メディアによる仮想現実の支配から国民が抜け出す事を念頭に入れているみたいだった。
バイアスに警護させても良かったが、地下世界は、正直、自分一人では心もとない。更に、バイアスは戦闘能力こそあるが、判断能力に乏しい。
デス・ウィングから貰った小包を開くと、ボードリヤールという哲学者が書いた書籍である『透きとおった悪』という本が出てきた。便箋付きで、読み終えたからやる、と書かれていた。パラパラ難しい単語が多い。
アイーシャは本が苦手なので、ボブにやる事にした。
彼はそれを受け取ると、感慨深げにページをめくっていた。
「アイーシャさん、貴方、映画『未来世紀ブラジル』は見た事はありますか?」
「無い。私はTVはゲームにしか使わない」
「そうですか。独裁体制を批判したSF作家のオーウェルは未読ですか?」
「知るわけないだろ」
三人で、中華料理店に入る事になった。
「この国は言論統制が敷かれていまして、『ニュー・スピーク』を連発しているんですね。矛盾語法の事なんですが。たとえば、民主主義が素晴らしいと言って、独裁体制にする、とか、そんな事ばかりを垂れ流すんですね。流すミュージックにまで規制がかけられていて、とにかく明るく前向きで、政治的で無い歌詞とメロディーの曲を流すようにしているんです。街で雑貨店や本屋、チェーン店に行くと流れています。正直、病んできますよ」
「そうなのか、心の病院なんだな、この国は。……もっとも、私には関係が無いけど」
「言い得て妙ですね。そうだよ、此処は精神病棟だ。監獄だ。街を見渡せば、監視カメラばかりが置かれて、テロリスト防止の張り紙が駅のホームや自動販売機にまで貼り付けられている、ああ、何もかもが狂っている」
「私は数日の間、先の依頼人からの仕事を行ってくる。何度か、お前の下から離れる事があるかもしれない。出来る限りの事はするが、基本的には最初の依頼を重視する」
アイーシャは露骨に、この男が、命の危険に晒されている事を疑って掛かっていた。けれども、金を貰えるのなら、受けるべきだ。
†
街の様々な場所に国旗が飾られていた。
祖国を愛する軍国歌を流し続けるラジオが至る処に置かれている。
この国は素晴らしき、平和と秩序を重んじているのだとTVでは報道されていた。
このように、ことさらにそういった事を強調しているのは、おそらくはこの国がまったく違う様相の社会なのだろうなあ、と、彼女は漠然と思った。
アイーシャは、この国の名を覚えるつもりは無い。
出る頃には、忘れているのだろう。
†