PAPER 8-2
何処かで、救急車のサイレンの音が鳴っている。自分達のもとではない。交通事故でもあったのだろう。繁華街からは、相変わらず、人々の喧騒が渦巻いている。
大量の血溜まりが、歩道橋の上を流れ、数滴の赤い血が、下の道路に落ちていく。車のフロントガラスに落ちて、少しパニックになっている運転手もいたみたいだ。
ヴェンディは蒼褪めた顔になっていたが、声は震えていなかった。
血が、濁流のように地面を染め上げていく。
戦闘中、この歩道橋を通り過ぎていく者達は何名かいたが。それにも関わらず、二人は此処を戦いの場として選んで、一般市民に危害を加える事無く、戦い続けていた。
「あ、ポッパっ! 今日の夜、会えなくなったの、ごめんね。……ううん、ポッパは何も悪くないよ、良い彼氏だよっ! 私、ちょっと体調が悪くなっちゃって……。気にしないでね、デートはまた今度、……それから明日の講義にも出られないかも……」
彼女はスマートフォンを片手で持ちながら、満面の笑みを浮かべていた。
「あ、そうだ。ポッパ、今度会ったら、手作りの肉じゃが持っていくね。大根嫌いなんだよね、みりんでちゃんと味付けして、お肉、多めにするね。それから、イチゴマフィンも作っていくよ」
そして、電話を切り、小型通信機をスカートのポケットに入れる。
左腕は、アビューズの斬撃によって、肘から上を見事に切り落とされていた。
腹も深く、抉られている。
彼女はカーディガンで、器用に左腕の切断面の付け根を止血していく。
「御使いの……、なんだっけ? 何故、貴方は私の邪魔をするのかなあ? 貴方が守ろうとしていた奴、国の為に殺さなければならないんだけどなあ?」
「俺も分からない。ただ、お前を見ているとブチ殺したくなってきただけだよ。自分を見ている感じで嫌いなんだ。俺は仲間の為に暗殺者をやってきたが、気付いたんだ。俺はな、俺達に依頼してくる、政治家とか、大企業の社長が反吐が出る程、嫌いなんだってな」
「ふん、気が合うわね。私も上司はあんまり好きじゃないな…………」
彼女は切断された、左腕の傷を押さえていた。
おそらくは、痛みによって、発狂しそうになるのを押さえているのだろう。彼女は奥歯を噛みしめ、アビューズを睨み付けていた。
「でも、私にはお前の考えが理解出来ない。誰だって、何かに仕えている。お前の考えが、私には理解出来ない…………」
アビューズは、自身の刺身包丁を、何度かくるり、と回転させる。
そして、敵を威嚇する。
「もう俺は、御使いを辞める事にしたから、好きな事をやる事にした。だから、お前を殺した後、この国を支配している連中も殺す」
「お前の上司も、この俺が殺してやるぜ」
バークス議員、あれは、この国にとっての癌そのものだ。そして、……アビューズは、バークスが交渉している武器商人達や大企業の社長連中も殺害するつもりでいた。
対峙するヴェンデッタは、不可解な顔で、アビューズの瞳を覗き見ていた。
「私には、この国が必要なんだけどなあ?」
「愛国心とかがあるのか?」
「愛国心? 無いよ? そんなもの」
ヴェンデッタは、微笑む。
「私は普通の生活を守りたいの。今の彼氏と……将来的に結婚するかもしれない。その為に、私は私と恋人、周りの数少ない友達の為に、誰が犠牲になっても構わない」
本来ならば、失血死やショック死しかねない程の激痛に苛まれる筈なのに、片腕を失い、内臓を損傷したヴェンデッタは、にこやかに笑っていた。
彼女自身が妄執のように目指す、何処にでもいそうな、平凡な女子大生、といった雰囲気を、取り繕っていた。
「私はこの国から手厚く保護されている、将来も約束されている。多分、それはエリート意識なのかもれない。だから、私は生涯、暮らしに困る事は無い。たとえ、貧富の差がどれだけ開いていってもね」
「ふん……、そんなに日常が欲しいのかよ」
「お前を始末して、彼氏と早く会いたいのだけど。これだけ負傷して……、しばらく会えないかもなあ……。交通事故にあったとか、しようかな? 嫌われた、とか思われるかな? でも、心配もかけたくないし、これまでだって上手くやっていった……。っていうかさ、お前のせいで、醜い傷口が残ったら、彼氏に、この腹の傷とか見られるだろ? ふざけやがって、頭蓋を割って脳漿を虫に食わせてやる……っ!」
彼女は器用に、マグナムに右手だけで銃弾を込めていく。
「軍事用医療が発達しているから、左腕は繋いで貰う。今の技術なら、傷跡も残らないとか……。お前は無残に死ねっ!」
引き金が引かれる。
強い反動が彼女に圧し掛かるが、彼女はバランスが悪くなった片腕だけで、平気で引き金を引き続けていた。
アビューズも、人間業では無い事を瞬時に行った。
飛んできた弾丸を、刺身包丁で切り落としていく。
「俺の方が、お前よりも強いっ!」
アビューズの一閃は、ヴェンデッタの喉に触れる。勢いよく、血が噴き出す。弾丸の一発が、彼の左肩をかすっていた。それで、少しだけ急所がそれた。
煙幕。
アビューズは、一秒に近い時間、気を取られていた。
僅かな、油断。
……まずいな、……。
飛んできた二発の銃弾をかわせなかった。
それぞれ、脇腹を削り、膝をかすめる。
煙幕から出ると、敵の姿が見えなかった。
転がっていた筈の、彼女の左腕も無い。
……完全に逃げられた……。
元々、ヴェンデッタは、アビューズの事なんてどうでもよかった。
自身の向ける感情を、相手もこちらに向けているとは限らない……。
†
……アビューズと言ったかしら? 私の平穏な日常の為に、奴は殺す。
彼女はマグナムに銃弾を込めていく。
切断された腕は、氷を大量に詰め込んだクーラー・ボックスの中に入れてある。
医者の下に向かわなければならない。……専属の軍医がいた筈だ。……。
えぐられた、腹は、ムリヤリ針と糸で縫った。いつ内臓がこぼれ落ちてもおかしくない。
政府に刃向かう奴らは、皆殺しにしてやる。
彼女は呪文のように唱える。
「私の日常を乱す奴らは殺す。私の平穏を乱す奴らは殺す。私の将来を邪魔する奴らは殺す。私の未来を妨害する石ころ共は惨殺する……っ!」
彼女はバッグから手帳を取り出す。それは明日のスケジュールが書かれたものだ。カレンダーにもなっている。この記録を読んでいると元気が湧いてくる。
「ああ、そう。そうそう、私の役目はファントム・コートの始末だった。あの御使いのクソに構っている暇なんて無いんだったわ。あは、あははははは、彼への報告書は送っておく。他のもっと有用な奴が彼を始末すればいいんだわ。私はファントム・コートと、その護衛を殺す。それが私の任務だった」
†
愛国心なんて何も無いが、幸福になってやる。
医療の民営化によって、医療費が上がり、国民の平均寿命が下がっている事も、彼女は知っている。
この国を牛耳っているのは、政治家ではなくて、政治家に献金を行っている大企業だという事も知っている。
ホームレスへと転落した者達は、収容所へと送られていっている事も知っている。それどころか、バークスの今度の政策によって、ありとあらゆるマイノリティー達が殺されていく事も知っている。
そう、この国の裏側は、大体、知っているのだ。
そもそも、この国の支配者層の会議にも、ボディー・ガードとして、何度も、出席している。
そこら辺に、発癌性物質である遺伝子組み換え食品や、他国から安く輸入した放射能汚染物質が安価で売られている事も知っている。
戦争をしている国同士が共謀して、戦争をビジネスの道具に使っている事も知っている。その為に、国民が兵士になって銃弾で死のうが、それで各国の政治と資本家が儲かる事も知っている。戦争が金儲けの為のプロレスで、国家同士を支配している者達は傷付かず、国民だけが死んでいく事も知っている。そして、この国に表現の自由なんてものは存在せず、反戦平和を訴えている者達は、テロリストとして徹底して粛清され、報道の自由も、言論の自由も、何も無い事も知っている。
この国の邪悪さと残虐性、利己性を知っているが故に、この国に尽くすのだ。
平凡で凡庸な人間として生きる為になら、悪魔に魂さえ、売るだろう。それはきっと、力に目覚めてしまって、この国の裏側を知ってしまった時から、自分はそのようにしか生きる事が出来ないのだろう、と思ったわけだ。




