死ねねえなぁ
昨日の昼間、医者に呼び出された。健康診断の胸のレントゲンに白い影が映っているとの事。確たるものではなく、写り方によるかも知れないが、二人の医者が見比べて、これは……となったらしい。
昨日は夜勤明けの後、普段なら休みの日が、午前中だけ出勤という日だった。それは翌日たる今日もそうで、昼までの勤務が続き、明日は待望の休みという形態。
予定はいっぱい立てていたけど、事は命に関わるかもしれないとなって、急遽予定変更。そこで私はレントゲンフィルムを片手に、かかりつけ医の元に向かう事にした。その女医は年老いて廃業しかけているが、初見の確かさには定評があり、何人もの人を救ってきた。いまだにレントゲンや超音波の診断に近所の人が集まる医院の老医だ。
結果、再度のレントゲン撮影をして、何も無いとの診断を得た。もちろん精密検査をした訳でもないから、無事とは言えないが、概ねセーフというところか。どうやら血管の写り込みが靄状に見えていたらしい。
万が一、後から癌でしたとなっても良い、それぐらいにはこの医者を信用している。そんな町医者が引退するのは、町の不幸だ。でも歳には勝てない……おっと話がそれた。
その医院に向かう道すがら、私の頭はグルグルと動き続けていた。
まずはじめに考えたのは『やべぇ、ガン保険入ってねぇ』だ。最悪癌だとして、痛いのは嫌だが、家族に経済的負担をかけ続けるのも嫌だと思った。
次に、明日(昨日の明日は今日ですね)の半日仕事終わりで、肉体労働から即『王将』に行って、ビール大ジョッキを飲みつつ、餃子とチャーハンを食べる予定が、無理っぽいって事を考えた。
まぢかよ! 楽しみにしてたのに。でも明後日(しつこいけど今日の時点では明日ね?)は休みだから、明日(以下同文)は食べに行って、明後日総合病院とかもありか? と計算した。
『サクッと死にたいなぁ』と念慮した。
人生に幕を閉じるのは、まあ有りかな、とは思った。これまで病気に人生を踏みにじられる経験も無きにしもあらずーーやつらは不意に全てを台無しにするのだ。
日常生活に土足で上がり込んで、全てを台無しにする。人生を捻じ曲げる。だから予防に努めないといけないのだが、怠惰な生活習慣は中々直らない。
かかってしまったら人間は『あゝ、そうですか』と不幸の先読みをして、江戸の火消しのように悲しみの延焼を防ぐしかないのだ。
あきらめも救いの内、悲しいけど病気に関してはそう思う。与えられたステージで、小さな幸せを見つける方が建設的だ。
だが、子供は……まあ奥さんがしっかりしてるから大丈夫か。育った姿を見られないのは残念だが、致し方なし。私の奥さんなら大丈夫、その信頼は固い。
それを育てるであろう奥さんは……と考えると、
『奥さんにどう言おう』
というのが次にきた。子供は父親が無くともいけるだろう、でも奥さんの支えは誰がする? 車に乗る前に電話で話そうとしたが、そんな時に限って電話は通じず、かといってLINEで知らせるような内容では無い。
そこで老医の元に向かう前に一時帰宅すると、買い物から帰ってきた奥さんに、預かってきたレントゲン・フィルムを見せて、二人で検討しようとした。
でも奥さんはあまり話に乗ってこない。ただ、
「大丈夫、大した事ない」
と言って、子供の幼稚園がどうとか、買ってきた服がどうとか言うのみ。余りの噛み合わなさに、奥さんの動揺を見た気がして、取り敢えず医院に向かったが、その間に、
『ま、最悪死んでもしゃーなし』
が、
『死ねねぇなぁ』
に変わっていった、やはり人の死ねない理由って家族なんだな、と確信したというお話でした。
で、本日無事に肉体労働の後、生ビール(大)とレモンハイ二杯で上機嫌に、つまみは餃子とチャーハン、レバニラ炒めと蒸し鶏、そして無事だった事を祝う奥さんと、子供の笑顔でした。