閑話(リーゼロッテ)1
閑話は一話で済ます積りでしたが、長くなってしまいましたので続けます。
すみません。
なお改訂版の方は18話まで進めました。
話の筋や設定を大きくは変えてないので再読は不要かと思います。
「西聖王国南部の件は頭が痛いわね。不味い動きだと聞いたから卒業式を投げて戻ってきたけれど、予想以上だわ」
実家の執務室で資料を読み込んでいた私は現地から来た分厚い報告書を放り投げて溜め息を吐いた。
討伐士協会総裁のグランツェン殿下から相談を受けた父が色々と計画していた事を聞きつけ、一枚噛ませろと資料を出させたまでは良かったものの、ここまで酷い状況だとは思わなかったのだ。
ヴィヨンからリプロンまでの陸路整備に投資すれば、西聖王国王宮があからさまに潰しに掛かって来て停滞。
更に現地の討伐士協会はその西聖王国王宮と癒着している第一軍で、アテにならないどころか妨害工作までしてくる始末。
おまけに隣街のヴィヨンでは水棲魔物のスタンピードと来た。
「これで上手く行ったら奇跡だわ。まあ向こうも南部連合騒ぎに関係している商伯家の関与は排除して当然だけど……」
そう。一番の問題は南部連合だ。
確かに最早まともな形では各地から徴税する事すらままならない状況の西聖王国は既に腐りきっている。
かと言って、旧聖王国から引き継いだまま、王宮がほとんど投げっ放しで捨てている南部をそのまま王無しで独立させても上手く行くとは思えない。
同じ様に王の居ない都市連合が存在出来る最大の理由は地の利と、その地のせいで常に多くの強力な魔物の脅威に晒されているからだ。
そうでもなければ、互助会的な国家組織なんて今の世にあってはまず保たない。
この混沌とした世にあって国を治めるには、強烈なカリスマや誰もが認める権威、または圧倒的な暴力など、そう言った資質や特質を持つ王が不可欠なのだ。
そうでなければ、例え纏まったとしても瞬く間に崩壊が始まってしまうだろう。
しかも南部と言えばあのランスがある。
G商会が西聖王国南部での本拠を置いているあそこは、知る人ぞ知る半大陸でも有数の人身売買拠点だ。
あの街の闇は深い。
裏で西聖王国王宮がコントロールすると言われるあの街の闇に手を付けるには相当の覚悟が必要になるだろう。
しかしそれを一掃出来なければ、内側に西聖王国王宮が仕掛けた爆弾を抱え込む事になる南部連合は間違い無く潰されてしまう。
「随分と御悩みの様ですが一息入れられては如何ですか?」
常に気の利く従者のアルバンがお茶と共に現れたので礼を言うと、無言で紙二枚の資料を渡された。
「思った通りね。父は遂に討伐士協会に本格的に関わる積りだわ」
「恐らくで御座いますが、総裁殿下は商伯家に協会の収益業務を委託する事で腐敗を最小限に抑えるお積りなのでしょう」
「当然よ。総裁勅許でも無ければこんな事は出来無いわ」
資料の一枚にあるのは討伐士協会が集めた魔物素体と魔石をG商会が引き受けた場合の予測だ。
全て任された場合から五割程度まで、一から四の各軍管区ごとに細かい数字が載っている。
そしてもう一枚は現状の数字で、それを見た私はあまりの落差に眩暈がした。
協会第一軍を仕切るデュバルとやらが西聖王国の後押しで副総裁になって以降、子飼いの商会などを使って大規模な汚職に手を染め、巨額の資金を西聖王国に流している事は聞いていた。
しかしまさかこれ程とは……。
「デュバルとやらはこの差額の一部を還流させて、西聖王国に協会資金を牛耳らせたワケね」
「討伐士達個人にとってはたかが一二割の事でも、掻いて集めれば巨額になります。しかもこれはあくまでも討伐素体関係のみのお話ですから、他を含めればそれどころでは無いでしょう」
「そうね、貴方の言う通りだわ。ところで具体的な計画書が無いのはどうして?」
「御当主様は計画をリーゼロッテ様に改めて一から委任すると仰られました」
「何ですって!? では父はこの件から手を引くと言ったの?」
「はい。何でも緊急事態が発生したとの事で御座いまして、暫くの間は城に篭られるとの事です」
「緊急事態、ね。また暗殺案件?」
「全く判りかねます」
木で鼻を括ったようなアルバンの答えに笑う。
商伯家を率いる父は暗殺依頼が出て狙われる事が良くある。
そうなれば父に関する情報は例え身内相手でも全てがシャットアウトされ、それは自分やアルバンとて例外では無い。
G商会の膨大な情報収集&分析能力のお陰で先手が打てる事は多いけれど、後手を踏んで引き篭もらなければならない事態となれば尚更だ。
「でもこんなG商会を挙げての一大プロジェクトを任せっ切りにするなんて、あの人らしくないわね」
「取り敢えずは南部連合地域のみの話で宜しいのでは? 恐らくあの地域は近い将来、討伐士協会の四つの軍管区から離れる可能性が強う御座いますので、モデルケースとしては打ってつけかと」
やや困った顔をすると、即座に出て来たアルバンの妥協案に肯く。
南部連合に肩入れし、デュバルとやらと対決姿勢を強める総裁殿下であれば、間違い無く該当地域を切り離して第一軍を囲い込む筈だ。
現在移動中と聞く第二軍の目的が境界線の要となるリプロンの抑えである情報は入っているので、それは最も可能性の高い未来と言えた。
「そうね。取り敢えず父と話して決めるわ。ありがとう、アルバン」
「勿体無いお言葉で御座います……ところで」
本格的に引き篭もってしまう前に父と話し合うべきだと椅子から立ち上がると、そんな私を珍しくアルバンが止めた。
何かと思って顔を見れば、そっと一枚の紙片を渡してくる。
先程の数字資料もそうだけれど、こう言う場合に渡される紙片は完全秘匿事項だ。
「これ何?」
「例の御友人に関係致します事で、先程看過出来無い情報が入りました」
「御友人? まさかマリーの事?」
「はい。西聖王国南部ヴィヨンの近郊、アレの町に於いて三日前、ギガ・リッパー数十体が沸くガッシュから小規模スタンピードが発生したものの、一人の女性討伐従騎士が単独で全てのギガリッパーを殲滅し、同時に日に千体の魔物を斬り捨てる偉業を成し遂げたとの事でありまして、その者の名前がマリア・コーニスとなっております」
「それ本当なの?」
「間違いは御座いません。ただそこにあります通り、報告では背格好があの御方より大分小振りです」
「怪しいわね。詳しく調べて」
「畏まりました」
マリア・コーニスと言うのは、将来の重要なビジネスパートナーで私の数少ない友人でもあるアンナ・マリアンヌ・ブロイが西聖王国の南西端、マルシル王国との国境近くにあるペリエルと言う王領の街で討伐士登録をした際の偽名だ。
家を出奔したら目立たず騒がずひっそりとオルフスまでやってくる約束になってたのに、もしスタンピードで単独一等功なんてハデな真似をしたとなれば、こちらの方も対策を立てなければ少し不味い。
何故なら、そもそも私が西聖王国南部の事に首を突っ込もうとした理由はアイツが大量に秘匿する精製済み討伐魔石を効率良く売り捌く為だからだ。
無免許で精製された討伐魔石を売り捌くにはそれなりの工夫がいるものの、総裁殿下直結の案件に絡めれば多少の事は目を瞑って貰えるので、先々の事も考えてアイツ名義で幽霊商会でも作る積りだった。
しかしもしアイツが有名人になったのなら、そんな脇の甘い体制では無く、正々堂々とした形にする必要がある。
「あの脳筋馬鹿、もし本当だったらタダじゃおかないわ」
毒を吐きながらも少し気分が上向いた私はアルバンと共に自室を出た。
共に付け合った愛称で呼び合う程の友人が世間に認められるのは単純に嬉しい。
これが本当の事であれば討伐士協会を通じて何か祝いの品でも贈ろうかと思った。
◇◇◇◇◇◇◇
翌日の昼下がり、私は旅支度を整えて護衛や従者達と共にオルフス中央駅にいた。
昨晩に父と話し、取り敢えずは南部連合地域に関してのみ、昨日の件を引き受けると約束したからだ。
決まったからにはグズグズしていられない。
何しろ事はあの討伐士協会の業務改革である。
さっさと現地に飛んで計画を作り上げなければ、何時何処から横槍が入るか判った物じゃ無い。
「御嬢様、これを」
通常は日に一本しか出ない討伐士協会所有の専用装甲列車に乗り込み、急遽予約した貴族用の特等室に入って旅装を解くと、アルバンがお茶と共にそっと手渡した紙を受け取る。
見れば昨日話に出たマリア・コーニスの資料だった。
さっと読めば名前も出身地も生年月日も、私が知るアイツの偽プロフィールと全く同じなのに討伐従騎士と言う立場と背格好だけが違う。
明らかにおかしい。
しかも信じられない事に本当に一日で千に迫る数の討伐をこなしており、お陰で協会のブレイブ勲章を受けたとまで書いてある!
「冗談じゃ無いわよ!」
「お、お嬢様?」
「アルバン、とにかくそこに座って!」
疑問顔のアルバンを椅子に座らせると、私は会話が漏れない様に一気に風系魔法を行使した。
「これは……これ程の事をされれば、今我々が重要な話をしている事が周囲に筒抜けになるのでは?」
「内容さえ抜けなければ問題は薄いわ。逆に今この件を話して対策を打たないとマズいのよ。それよりこの紙にある話は全部本当なの?」
「一切の間違いは御座いません」
自分も椅子に座り、深呼吸をして乱れた感情を整えながら話の口火を切ると、アルバンが情報内容に太鼓判を押した。
成る程ね。
まあ疑っては居なかったけれど、これが本当だと言うなら討伐士協会の件なんて放り出しても対策を考えねばならない緊急事態だ。
「そう。だとしたらこの件、今後の商伯家の行く末を左右する一大事よ。アレに連絡を付けてくれる?」
「アレ、とはまさかリーゼロッテ様の切り札であられるあの御方ですか?」
「今切らなければ後手を打つわ。アレにマリーを追わせてオルフスまで連れて来る様に言って」
「か、畏まりました。しかし……」
「今此処でハッキリ言うけど、私が商伯家で上げた功績の八割はあの娘のお陰なのよ」
「……成る程。それがリーゼロッテ様がマルシルで営まれていた極秘研究室の正体で御座いましたか」
「そう、ソレよ。もう処分したけれど、あれは私が紛れも無い魔法の鬼才であるマリー一人の為に作った物なの」
極秘情報を告げると珍しく表情を崩したアルバンに、更なる決定的な話をしながら肯く。
アイツ以外は他に人っ子一人居ないあの王都郊外の屋敷は、私がマリーの願望を叶える為に用意した秘密の隠れ家だった。
恐ろしい程の魔法力で研究機材どころか設備の一切をストレージに仕舞い込み、なおかつ地精や風精を従えて見張り役にするアイツにはそれだけで十分だったのだ。
しかしそこから出て来た幾つかの魔法陣が私の商伯家での立場をグンと押し上げた。
例えば最初に手掛けた輸送用ストレージ魔道具の魔法効率を三割向上させて二割程積載量を上げた魔法陣は、今や我がG商会に無くてはならない物になりつつある。
これがG商会全体に広まる過程において、どれ程交渉材料として役に立ってくれた事か!
交渉事は上手いがただそれだけと、密かに笑っていた叔父達の驚いた顔は今でも忘れられない。
似た様な事を積み上げて家中が私の信者だらけとなった今では笑い話だけれど、今の自分が商伯家で実質ナンバーツーの位置にあり、小煩い連中を抑えて次代の当主の座も手にしたのはマリーのお陰なのだ。
「あの御方がそれ程の人物であったとは思ってもおりませんでした」
「たかが学院の魔法課程の生徒だものね。普通なら誰だってそう思うわよ」
驚いた顔のアルバンにさもありなんと片手を振って答える。
当然だ。
でもね……。
「あの娘の描く魔法陣はとても綺麗で基本に忠実だけど、それは逆に既存の魔法の知識はその程度ってコトなの。ただし、それはあくまでもその背景にある理論が無茶苦茶でなければの話よ」
「無茶苦茶で御座いますか……となりますと、まさか!?」
「そのまさかよ。新たな法則を発見してるとしか思えないの。これがどれ程の事か判るでしょ?」
「一度でもその様な事を成せばそれだけで一生安泰だと言うのにそれを何度も……正しく鬼才ですな」
「そうね。だからこの件、私も本気にならなければいけないのよ」
マリーが描く一見無茶苦茶な魔法陣は未だにその根本の理論構成すら判明していない。
自壊術式を盛り込んでブラックボックス化しているアレらの原形は子飼いの魔法研究者達にすら見せていないからだ。
いずれ誰かが解析するだろうけれど、世に出した物は既に自分の名で魔法士協会の非公開特許を取っている。
マリーが稼ぎ出した額に比べれば、非公開特許取得に掛かる大金も手数料程度のモノでしかないので当然の処置と言えた。
「しかし、一体どれ程の額を報酬としてお渡しになったのですか? 私が知る限り、左程の額が動いた形跡は無いのですが」
「あの娘は研究馬鹿なのよ。研究費用と相殺だと思ってるから、報酬としては銅貨一枚渡してないわ」
「それはまた随分と剛毅な御話ですな! いや、流石に高貴な御方は違う」
感心した声を出すアルバンに肯きながら、マリーの金銭感覚が「高貴な」どころか「馬鹿」の領域にある事は黙っておく。
アイツは屋台で買い食いする時ですら値切る様なヤツなのに、こう言う大金が動く事にはまるで無関心なのだ。
こちらから話をしても相手にしないし、それは先の魔法士協会における特許の話をしても同様だから困ってしまう。
『それはサラに上げたモノだから勝手に使ってイイよ』
何を話してもこの一言で全て済ましてしまうので本当に困る。
話し合いの末、幾つか公開した特許から得た収益をマリア・コーニス名でG商会にプールしてはあるものの、アイツはそれにも全く手を付けない。
もうその辺の騎士の生涯収入程度には成ってる筈だと言うのに、このままでは溜まる一方だ。
まあその特許公開のせいで、名義を持つ私の魔法位が勝手に上がった事に付いても「それは良かったねぇ」と笑って済ます様なヤツだから、その運用もこちらでやらなくてはならないのでしょうけれど……。
「しかしそうなりますと不味いですな。あの御方には既に総裁殿下の目付けとして、協会第七席のバルリエ卿が付いておられるそうです」
心の中でマリーの金銭感覚に呆れていると、アルバンから看過出来ない話が出て来て驚く。
「まさか次期総裁候補に名前が挙がったのでは無いでしょうね!?」
「未だその段階では無いでありましょうが、師が剣鬼様であられる事は既に知られておる様ですので時間の問題かと」
「オマリー・ブーツェンとか名乗る例の極め付けの変人ね。だとしたらとても不味い事態だわ」
「しかし背格好を大幅に変える魔法などありませんし、未だ本物と御決めになるのは尚早では?」
「アイツの魔法にはちょっとした秘密があるから、その位は出来ると考えた方が現実的なのよ」
こちらの言葉に更なる驚きの表情となったアルバンを見ながら溜め息を吐く。
正直に言って頭が痛かった。
幾ら単独一等功を獲ったとは言え、そもそもスタンピード討伐へは初参加であるマリーに、討伐士協会でほぼ最高賞に近いブレイブ勲章が出されたのは総裁殿下の介入があったからだろうと思う。
それはつまり、総裁殿下がマリーの確保に名乗りを上げたと言う事だ。
今密かに問題化しつつある討伐士協会次期総裁候補の件を考えれば、ソレに巻き込まれるのは非常に不味い。
しかもソレを持つ者が敬意を表して「勇者」とまで呼ばれるあのブレイブ勲章をたった十三歳で貰った以上、今後のマリーの身柄は様々な勢力との奪い合いにもなるだろう。
「ならば未だ未確認では御座いますが、こちらの情報も御覧下さい」
色々と考えている内に、最早公王殿下に直接匿って貰う以外に手は無いのではないかと思い始めた所でアルバンが口を開いた。
「補足情報かしら?」
「はい。この様な事態になりましたのならば、看過出来無い事項が載っております」
「こ、これは!」
何かと思いながらそれを見た私は瞬間的に天を仰いだ。
ピッと破って渡された手帳の紙片には未確認情報が五項目に渡って書かれており、それぞれに細かい但し書きが付けられている。
都市連合の首魁、オストマーク家の実弟アーベルから印章指輪を得た事。
旧聖王国大金貨を使用した事。
真昼の夢を使用している事。
銃の腕前が尋常でない事。
髪色が黒で瞳の色が薄青である事。
他もそうだけど、中の一つは見逃す事など絶対にあってはならない事だ。
「本当に冗談じゃないわ」
頭が痛い。
幾ら出奔して気が楽になったと言っても、これはやり過ぎだ。
どれ一つ取っても看過出来ない情報を読み込み、それをアルバンに返した私は心の中でアイツを罵しりながら前を向いた。
「これらが全て本当で、しかも他の連中も入手できる情報なら一刻の猶予も許されないわ」
「はい。特に師から白刃剣を譲られている事が本当であれば、途轍も無い騒動と成る事が必定でありましょう」
「そちらもそうだけど……」
やや興奮した面持ちのアルバンの言葉に溜め息が出る。
確かにアルバンの言う通り、剣鬼と呼ばれるあの変人が自身に「白銀の騎士」と言う二つ名を齎した伝説の剣を譲ったとあらば、大問題どころの騒ぎでは無い。
それは独りで一軍に匹敵するとまで言われるあの男が、マリーを同等の実力を持つ者として証明した事に他ならないからだ。
この事が広まれば、アイツは半大陸中の全勢力が身柄の確保に血眼になる存在になってしまう。
しかし、本当に頭の痛い問題はそちらではない。
「問題なのは最後の方よ」
「ま、まさかそれは!?」
自分が天を仰いだ本当の理由をぼかしながら口にして、更に心の中でマリーに悪態を吐く。
一瞬で察したアルバンの態度でも判る通り、アイツが抱える本当の問題はソレなのだ。
だから入手の難しい隠蔽魔道具まで渡したのだし、そもそも瞳の色の件は父親にも隠せと言われていた筈なのにどうした事なのか?
「あの娘は正真正銘の本物なの。だからこそ好きに生きさせるには匿わないとダメなのよ」
「なんという事か! まさかそれ程の御方であられようとは、このアルバンめの目は節穴で御座いました!」
マリーの正体を知ったアルバンが目を輝かせて大きな声を上げた。
さもありなんと思いつつ、しかし同時にふとアイツの気持ちにも気付いた私は盛大な溜め息を吐いた。
恐らくマリーは出奔したからこそ、父親の言い付けを全て捨てたのだ。
それが自分を守る為であるなどとは知らないのだから、むしろ当然の事ではないか。
この件は事情を知る私が、最後に会った際にでも釘を刺しておくべきだったのだ。
何という失態!
これではアイツを考え無しと笑う事など、到底出来そうも無い。
「私が良いと言うまでこの件は絶対に秘匿して。それから一旦旅行はキャンセルするから、公王殿下に直接お会い出来る様に手を打っておいてくれる?」
「申し訳ありません、少し取り乱しました。殿下との御会見の件はお任せ下さい」
こちらの溜め息を態度への注意と受け取ったアルバンが居ずまいを正した所で話を切り上げ、風系魔法を解くと、普段の慇懃無礼さを取り戻した彼は早速部屋から出て行った。
既に冷め切った紅茶を飲みながら一息吐く。
これでアルバンとの共闘体制は出来たものの、ブロイ家以外にもあのオストマークまで主敵となる事が判ったのだから油断は出来無い。
こちらの切り札に近い公王殿下にお出まし頂いたとしても、果たして何処まで通用するだろうか?
しかもマリーとその実母の正体はこちらにとって最後の切り札である以上、例え公王殿下にも打ち明ける訳には行かないので、交渉は別の事を主題にする必要がある。
「そう言う意味ではあの剣の話は朗報なのよね」
独り言を呟いて紅茶を飲み干し、椅子から立ち上がった私は帰り支度を始めながら考えを纏めた。
実父である総裁殿下と対立しない形で公王殿下にマリーを保護して貰う為には少し工夫がいる。
でもあの白刃剣の継承者となれば話は随分楽になる筈だ。
私はそう結論を出すと、部屋内に出した品々を全て仕舞って外へ出た。
「父の件で公王殿下に御会いする事になったから、一旦街内の屋敷に戻るわ」
配下の者達に適当な理由で指示を出し、様々な手配りを整える間にもマリーの件が頭から離れなくて苦笑する。
アイツは自分が何者であるのか、本当の事を一切知らされていない。
それは多分、父親であるブロイ家当主のユーリ殿下がアイツを世の中から護る為だったのだと思う。
しかし出奔した後はこの私が居場所を作ってあげなくてはならないだろう。
そう。商伯家に集まる莫大な情報を精査し、各所で暗躍したアイツの実母の正体を知るこの私が、だ。
それは私達二人の将来を守る為でもあるし、同時に自分が密かにマリーに寄せる想いの為でもある。
私は決意を新たにすると、駅構内の貴賓用廊下を歩く足を速めた。
本日もこの辺りで終わらせて頂きとう御座います。
読んで頂いた方、ありがとうございました。