179話
気が付いたら一週飛ばしておりました。申し訳ありませんです。
「今夜のアンは何時にも増して可愛いらしいね!」
うわぁっ。
ルーベンス様に続いて形どおりの挨拶を終わらせたら、こんな大勢の前だと言うのに、フィル兄さまが大声でお世辞を言ってくれてビックリ。
会場の貴族共の間じゃ、ワタシが出て来た直後から「プー、クスクス」とか「ナントカにも衣装だな」とか、そんな声で溢れ返ってると言うのにこの人ってば……。
「あ、有難う御座います、でんか……」
思わず頬が染まっちゃって、テレ隠しに俯いちゃったよ!
ワタシだって女の子だ。
それが例え無理矢理させられたモノであっても、着飾った姿を褒められればとっても嬉しい。
ただね、幾ら何でも場所と状況が悪すぎると思うんだ。
仮にも王太子でんかともあろう方が、こんな状況で民意(?)に反したことを堂々と口にするのはマズいよね。
「し、しかし、この様な場所で何時ものようなお世辞は不要かと」
そんなワケで、もう多少赤いのがバレてもいいやと顔を上げ、かんげんらしいことを言ってみる。
ワタシって臣下のかがみ!
と思ったら、明らかにガッカリとした表情になったフィル兄さまがその場で座り込むようにして片膝をついちゃった。
げげっ。
お、王太子でんかって、人前でこんなことしてもイイんだっけ!?
超ビックリなんですけど!
「アン、何時も僕が言っている事は単なる身内同士のお世辞などでは無いよ。今の言葉だって本心をそのまま口に出しただけなんだ」
いや、ちょっとフィル兄さまってば……。
折角注意して差し上げたと言うのに、どうやらフィル兄さまにおかれては周囲の貴族共なんかまるで眼中に無いご様子だ。
マジで勘弁してほしい。
このままじゃ、明日の朝には宮廷中でこの話が話題になっちゃうよ。
周囲にひしめく貴族共の中の、主に女性陣をチラッと見て溜め息。
王太子でんかであるクセに未だ決まった婚約者がいないこのフィル兄さまは、将来の王妃を目指しちゃうような輩から一夜の夢を得たいおバカさんまで、大量の女どもが常に付け狙ってる存在なんだよね。
だからそんな人と噂なんかになったら最後、今後に出席させられるイベントでは凄まじい報復を雨あられで食らっちゃうことが確定だ。
ううっ、考えただけでお腹にさしこみが……。
「アン、聞いているのかい?」
「も、もっちろん聞いておりますけれど……」
五フィート(約152cm)にも満たないワタシの背丈では、六フィート(約182cm)を超える長身であるフィル兄さまは何時も見上げる相手だけれど、さすがに膝をつかれちゃうと一気に目線の高さが合う。
そんな体勢のフィル兄さまが「逃がさないよ」とでも言いたげに目を合わせてきた。
いやもう、ちょっと、コレどうすんだ?
「悲しいな。ちょっと前までなら、こうして目線を合わせれば嬉しそうに抱きついてくれてたのに……」
げえっほ、げほげほ!
へいさ空間での身内同士のじゃれ合いを此処で言ってどうする!?
しかもソレ、ずっと昔の、まだワタシが学園に入る前の話だよね?
そりゃフィル兄さまは幼少の頃から馴染み深い人だし、外の人では唯一人、何時もワタシに優しくしてくれる人だから、自分の中では特別枠の人だ。
(つい最近、ルーベンス様も特別枠入りしたけどね)
その上この人は「女性は褒めてナンボ」って主義の人であり、会う度に服装だの容姿だのを褒め捲くってくれるので、何時もくすぐったくも嬉しい思いを味あわせてくれる人なのですよ。
母上と弟のクロ君を別にすれば、家人や使用人どころか、実の父親にすら褒められることの無い自分にとって、そんな人は正しく「特別な人」といって間違い無い。
これで懐かなかったらウソだよね。
だから確かに、歳が一桁台だった頃までは会う度に嬉しくなって抱きついてたし、正直に言えば今でも憧れの人なんだけど、幾ら何でもこんな場所で身内ネタをバラさなくってもイイと思う。
「幼少の頃ならばともかく、わたくしとて成長するものなのです。そろそろ大人になることを考えねばならない歳ですし、何時までも子供ではいられませんから」
とりあえず「そう言うお話は辞めてね」と、やんわりと否定系の返事をして様子見。
ついでに「抱きついてたのは幼少の頃の話なんですよー」っと、周囲のご婦人方にアピールすることも忘れない。
「大人、か。そうだね、アンだってもう十二なんだから、好きな男の子の一人くらいはいるのだろうね」
「はぁっ!?」
突然の妙な話に、様子見もクソも吹っ飛んだワタシの口から裏返った妙な声が出た。
いや、ちょっと、ホント、今夜のフィル兄さまはどうなってんだ!?
よりにもよってこの状況でそんなネタを振って来るなんて、どう考えてもイジメだよね?
「勿論、この様な場でそんな事を口にする事が出来無いのは判るけれど、そう言う話は出来ればもっと前に知りたかったな」
こっちがあたふたしてるのを残念そうな顔で見ながら、フィル兄さまは妙な話を更に進めて食い込んでくる。
軽くヤバい雰囲気だ。
ははーん。
これはフィル兄さま、久しぶりのイジワルモードに突入してるっぽいな。
頭の中でツピーンと閃き、マジマジとフィル兄さまのお顔を凝視すれば、確かに何時もとは雰囲気がちょっと違う。
なるほどねぇ、そう言うことでしたか。
フィル兄さまだって自分と同じ人間だから、機嫌が良いときもあれば逆のときもある。
特に最近は、密かにお付き合いしてると噂の某男爵令嬢の事で何か言われたりすると途端に機嫌が悪くなるらしいので、多分ここに来る前にその件で侍従とかに説教でもされたんじゃないのかな。
それでちょっとワタシを弄ってうさを晴らそうって感じだね。
突然出て来たように感じる「好きな男の子云々」って話も、そう言う前提条件があるならば納得出来るしさ。
「残念ですがそのような方はでんかを置いて他にはおりません。あまり妙なことを言われますと、昔のお約束の履行を求めますよ?」
しかーし、勿論こっちはソレに付き合う気はさらさら無い。
それどころか、幾らフィル兄さまと言えども大量の貴族共の前でこんな仕打ちをしたんだから、そうそう簡単には許さないって感じだ。
「昔の約束って、何の話だい?」
思いもかけない反撃(?)を受けて、フィル兄さまがちょっと考え込むように俯いた。
フッフッフッ……勝ったな。
昔の約束とは、幼少の頃に良くある「お兄ちゃんのお嫁さんになってあげる!」っと勝手に迫る例のヤツで、世間一般の幼馴染み事情に漏れず、このワタシもそう言うことをぬかしてた頃があったのですよ。
今思えば「王子サマ相手に何と言う無謀なことを……」と思うものの、空気を読むタイプであられるフィル兄さまは、こっちがそう言うことを言い出す度にご丁寧なお返事を下さって、舞い上がったワタシは「じゃあワタシが十八になったらお嫁さんに貰ってね!」なんて、神をも恐れぬ世迷いごとまで平気の平左で口走ったりしてたんだよね。
いやー、小っ恥ずかしいにも程があるわ! 穴があったら入りたいよ!
とは言え、例え幼児相手の口約束と言えども、何度も結婚の約束をしたのは事実。
身内ネタには身内ネタだ。
ここで更にワタシがその内容を披露すれば、幾らフィル兄さまとて知らぬ存ぜぬでは済みますまい。
そしてそんなことがくだんの男爵令嬢にでも聞こえちゃった日には『やっぱり私とのことなんてタダの遊びだったのね!?』っと、間違い無くしゅらしゅしゅしゅーって感じの修羅場に突入間違い無しだ!
何しろ、これでもワタシは「姫」の王族称号を持つ高い身分を持つ身である。
一介の男爵令嬢からすれば雲の上のお方だもんね。
そんなお方相手の話と聞けば、例えそれが単なる口約束だとは言っても、彼女には「本決まりな事実」に聞こえちゃうに違いない。
にゅっふふふ。
こっちも多少は痛い思いをするだろうけれど、肉を切らせて骨を断つ、正に最終兵器の発動ですよ!
さあフィル兄さま、どうお返事を返されますか?
「まさか僕のお嫁さんになってくれるって話かい?」
「ええ。そのまさかで御座います。聞くところによると、でんかはその御約束をすっぽかし、何処かのご令嬢ととてもご親密だとか。わたくしはその話を聞いて胸が潰れる思いで毎日を送っているのです!」
思い出した! と頭を上げたフィル兄さまにドドンと追撃を叩き込み、心の中で黒い笑いを浮かべる。
はっはっはっ、どうだ! 逃がさないよ?
しかもウマくすれば、これで明日からワタシは振られた女になれる。
その話が噂になれば、少なくともこの先のイベントで王太子狙いな女子連中の攻撃も躱せるだろうって言う二段仕込み攻撃なんだな、コレがっ。
さて、どう出るねフィル兄さま?
「アン、まさか君が僕の事をそこまで思ってくれていたとは考えもしなかったよ」
うんうん。そりゃそうだろうね。
周囲の視線を誤魔化す為か、わざとらしい大げさな仕草と共に両手でワタシの手を握ったフィル兄さまのお返事に取り敢えず肯く。
所詮はお子様だった頃の話だし、初めっから完全に兄妹って感じなんだから、フィル兄さまがそう言うのは当然だもんな。
でもそんな程度で誤魔化されたりなんてしてやらないんだからねっ。
「嬉しいよ。これこそ正にハッピーエンドだね!」
はえ!?
フィル兄さまが何かを言ったと思ったら、直後にガバッと抱き締められちゃって超ビックリ!
いいい一体、何が起こってるのぉ!?
「御集まりの皆様、全くの偶然ではありましたが、忌憚の無い御二人の会話とその内容をお聞きになられまして、此度の婚約発表に対する御納得も得られた物かと思います。正式な婚儀に至るまでは未だ数年御座いますが、将来において我が国を治められるであろう御二方に、どうか惜しみない拍手をお願い致します!」
おおおー!
突然のことに目を白黒させてると、ルーベンス様がトンデモナイことを言って、周囲が怒涛のように沸き上がった。
「こここ、婚約って、一体誰と誰が!?」
男爵令嬢のことなんて一気に頭の中からスッ飛んだワタシは、パニックになってフィル兄さまから離れようとした。
しかし流石に王太子でんかを力一杯突き放すわけにも行かず、フィル兄さまの腕の中でモゾモゾと抵抗するのが精一杯。
それでも何とか聞きたい事を口走りながら、周囲から見えないように腕をつねって逃げ出すと、三歩の距離を取ってフィル兄さまを睨んだ。
「それは勿論、僕とアンのことだよ。叔父上から聞いているだろうけど、今夜はその内々での披露の会だからね。しかし、アンにこんなアドリブ劇がこなせる才能があったとは思わなかったなぁ」
睨み付けたというのに、つねられた痛みまで全く感じさせないほどご機嫌な様子のフィル兄さまの口から出た言葉に愕然!
ワ、ワタシとフィル兄さまが婚約ぅ!?
全然、これっぽっちも、聞いて無かったよそんな話!
って言うか、だったら最初っからみんなソレを知ってたって言うことで、知らぬはワタシだけだったってことか?
「小芝居に協力してくれてありがとう」とでも言いたげなフィル兄さまの顔に、何時もの酷薄スマイルを浮かべた魔王様の顔を幻視して溜め息。
そうか。そう言う事だったのか。
このド派手な恰好も、夜会のしゅひんでの登場も、全てはその為だったんだ。
「そ、そうなのですか。いきなりのお話だったので、わたくし、本当の事とは思っておりませんでした……」
速攻でウソ八百を並べながら、何とか心の体勢を整える。
……ちくしょう、あのサディスト魔王様めぇ。
幾ら何でもこんな大事なことを黙ってるなんて、趣味が悪いどころの話じゃないって言うんだよね!
「アン、僕じゃ駄目かい?」
あまりと言えばあんまりだと、発作的に魔王様をマジで呪おうと思ったら、すいっと右手が引かれた。
アレ?
離れた筈のフィル兄さまが何時の間にかワタシの右手を掴んでますよ!
「だ、だめなんてことは全くありませんけれど、ワタシのような大したことの無い容姿の娘で宜しいのですか?」
どうでも良いことを言って、またドキドキし始めた心を落ち着かせる為に時間稼ぎ。
結婚なんて周囲が決めるモンだとは思ってたけれど、こうも突然に、しかも密かな憧れの王子サマとなんて衝撃が強過ぎる。
しかも周囲に仲良しアピールでもしたいのか、フィル兄さまの迫り方がやたらと本気クサいから尚更だ。
こ、こう言うのは出来れば、周りに人が居ない所でお願いしたいんですけど……。
何だか頭がクラクラしてめまいまでしてきちゃったし、とにかく落ち着いてものを考えられるようにしないとマズい。
おお、そうだっ。
こう言う時は深呼吸がキくって、前に顔ゲロ怖い騎士卿のじいさんが言ってたのを思い出したよ。
ヨシ、ならば深呼吸だ。
ひっひっふー、ひっひっふー……って、コレ深呼吸じゃ無いじゃん!
「アン……」
しかし内心でジタバタするこっちをつるっと無視して、味のある表情になったフィル兄さまが更にワタシの手をグイッと引いた。
あーれー。
ちょちょちょっとフィル兄さま、落ち着く時間くらい下さいよっての!
気が付けばスパッと両肘まで掴まれて、またもや顔がくっ付きそうなくらいに密着させられちゃったワタシは目を逸らすのが精一杯だ。
はぁ。なんかもう顔が赤いを通り越して真っかっかって感じなんだけど、どうすればイイの、コレ?
「アン。君は本当に可愛らしくて、同時に美しい人なんだよ。例え周りがどう言おうとも、この僕だけはそう思っていると、どうか信じて欲しい」
「フィ、フィル兄さまっ」
ぶふぉ! アセって思わず公の場では呼んじゃいけない名前で呼んじゃったよ!
だってこんなの反則だ。
整った顔立ちに白金の髪、男性なのにバッサバサな睫毛の奥から覗くエメラルドの瞳、そんな理想の王子サマにここまで詰め寄られた上に口説き文句みたいなことまで言われて、なんとも無い女子がいたら見てみたい。
「信じては貰えないのかい?」
がっちりとホールドされて、もはや真っ当な身動きも出来無くなったところに、フィル兄さまがワタシの瞳を覗き込むようにして顔を近づけてきた。
「し、信じます信じます、ハイ!」
お互いの鼻が触れ合うような近さでジッとこっちの目を見つめるフィル兄さまに何とか答える。
マズい。
何だか頭がボーっとしちゃって、まともにものが考えられなくなってきたよ。
しかもすうっと周囲のざわめきが遠のき、まるでこの世に二人っきりになったような気がしちゃって、フィル兄さまの瞳から目を逸らすことが出来無い。
「本当に?」
もう何も考えられなくなっちゃったワタシはダメ押しをカマしてくるフィル兄さまにウンウンと肯きだけで答え、それでも最後の抵抗とばかりにギュッと目を閉じた。
すると、むにゅうっと口が塞がれて生暖かいモノが舌に……。
ゲッ!
こ、これって接吻では!?
ほんの一瞬のことだったけど、どうやらワタシは生涯初めてのキスを経験してしまったらしい。
精神とか心とか、そんなものがドカンとスッ飛ばされちゃって、一気に身体の力が抜けた。
「好きだよ、アン」
あー、なんかもうどうでもイイや。
周囲の音など全く聞こえなくなった頭にフィル兄さまの甘い声だけが響いて、ワタシは全てをその場で放り投げた。
本日もこの辺で終わりにさせて頂きとう御座います。
読んで頂いた方、有難うございました。