170話
「申し訳御座いません……」
「べっつに誰も傷付かなかったんだから、もうイイって言ってるじゃん」
「しかしこのままでは気が済みません。どうか私めに罰をお与え下さる様お願い致します……」
「ええぇー?」
ホールの床にぺったりと平伏するデボラさんに困ってワタシは頭を抱えた。
何を言っても「自分が悪い。罰をくれ」の一点張りで、それがずっと続いちゃってるんだよね。
どうでもイイおっさんとかならまだしも、デボラさんは二十台半ばくらいに見える美人系のお姉さんだから、何だかとっても気まずい。
誰かに頼ろうにも、地下から戻った子供達は唖然とした顔で見てるだけなので頼りにならないしさ。
「そもそもアッシの顔を見た瞬間に間違いだったと退いたんでやすから、罰もクソも無いんじゃないですかねぇ?」
台所からカップやティーポットを運んで来たロベールさんが「まだやってたのか」って感じで助け舟を出してくれた。
そりゃもうかれこれ四半刻(約15分)はやってるんだから、誰だって呆れるよね。
「ロベール殿の御配慮、真に忝い。しかし間違いとは申せ、高貴な御方の従者である貴殿に剣を向けるなど言語道断っ。ましてや戦いの原因が私を襲うものであったと聞けば……」
しかし、やっぱりデボラさんの反応は変わらない。
更に珍妙な事を言ってこっちを困らせるだけだ。
ちょっと前の血生臭い惨劇も何処吹く風、降参ポーズのロベールさんを筆頭にシラーっとした空気が流れる中、隅っこで蹲るニャンコが大あくびをした。
こっちはついさっき剣呑な決意を固めたばかりだってのに、この雰囲気ってなんなの?
ワタシはこれ見よがしに大きな溜め息を吐くと、ロベールさんの入れてくれたお茶を飲んだ。
そもそもこのデボラさんってヒトは、ロベールさんに忍び寄ってた例の捕虜二号だ。
レティを見送った後、強制隷属首輪を嵌められてるせいでボーっとしたまま座り込んでた(このテのブツをカマされるとそうなる)ソイツに声を掛けようと思ったら、ちょうどロベールさんが戻って来てね。
話を聞けば、ソイツが件のデボラさんだとか、元討伐士協会の騎士でロベールさんと顔見知りだとか、色々と誤解っぽい話が出て来たので、さっさと首輪を外してお話したら、何故か判らないままにこうなっちゃったのですよ。
「あー、もうっ。だったら背中に懲罰用隷属紋を刻んじゃうけどイイ?」
「ははっ。その様な事でありますれば、喜んで受け入れさせて頂きます!」
色々と面倒臭くなって来たので、浪人なら大抵嫌がる懲罰を提案すると、何故だか嬉しそうな顔になった彼女がその場でササッともろ肌脱いじゃったからビックリ。
コラコラ、若い女がこんな所でいきなり何やってんのよ!
「ハイハイ、野郎サマはみんなちょっとアッチ向いててねー」
隷属紋にも色々あるけど、ここで言うヤツは良く臣下の者に懲罰で使われるモノで、消されるまでは様々な制約に縛られる事になっちゃうブツだ。
一度受け入れちゃうと、途中で許されない限りイヤでも一年くらいは続いちゃうから、浪人であるデボラさんはその間仕官が出来なくなっちゃうってのに、なんでそう嬉しそうなのかね。
とは言え、言い出しっぺである以上は今更冗談だとも言えない。
男性陣にそっぽを向かせてる間に、ワタシは立ち上がってデボラさんの背中にチャチャッと隷属紋を刻んだ。
「有難う御座います! まさか貴女様の様な方に隷属紋を刻んで頂く日が来ようとは夢にも思っておりませんでしたっ」
背中に触ってみた際に感じた魔法力の強さやその流れ方から、このヒトが生半な実力の持ち主では無い事に気が付いてビビッてると、隷属紋を刻み終わったデボラさんが妙な声を上げた。
「ちょっとちょっと、いきなりナニを言い出してるのよ!?」
「マリー様はシルバニアのベアトリス女王陛下の御身内っ。その様な方に直接隷属出来るなど、これ程の栄誉は滅多にある事ではありません!」
うわっ、コイツってばマジですか。
思わず立ち上がって怒ったのに、逆に御褒美だと言わんばかりのドヤ顔で返してくるデボラさんがウザいです。
いやもうホント、勘弁して欲しいわ。
「マリーお姉ちゃんって、ホントはお姫さまだったんだ!?」
「やっぱり高貴な御方だった……」
そうこうしてる内に、可愛い兄妹までもが「女王陛下の身内」って言葉に反応して参戦して来ちゃったから、場は一挙にカオス状態だ。
年少三人組はヒソヒソ話し始めてるし、エレナちゃんなんて凄いキラキラした目でこっちを見てる。
これはマズい。
この辺でなんとか手を打っておかないと、この先どんな状態になっちゃうか判ったもんじゃないよ。
「それウソだから! デボラさんも得体の知れない噂を鵜呑みにした思い込みは辞めてよねっ」
速攻で椅子に戻り、ビシッとデボラさんに指差しまで入れて大声を出す。
子供達を叱るのもナンだし、元凶を責めるのは基本だよね。
「しかし千体斬りのマリー様と言えば、非公式とは言え王族であられる事をベアトリス陛下が御認めになられたお方と聞いておりますが?」
ところが、流石と言うか何と言うか、デボラさんが即座に突っ込みを入れて来ちゃってもうウンザリ。
ぬにゅうん。コイツってばなんでそんな細かい話まで知ってるんだよ。
「それは陛下の冗談なんだよ。ワタシは陛下の直臣閣下に直接その話を聞かされてるんだから、間違いの無い事実なのっ」
だがワタシだって負けていない。
こっちはアルマスのオネエにバッチリ経緯を聞いてるんだから、そんな根も葉も無い噂話程度じゃ退かないもんね。
「なんと、それは意外な……」
しかし決定的なセリフを出してあげたって言うのに、デボラさんは己の非を認めるどころか小声で唸ったまま首を捻るだけだ。
なんだかなぁ。
ワタシが小者だった事がそんなにショックなのかね。
それともコイツって、何かこっちの知らない情報でも持ってるのかな。
「すっげぇ! センパイって、千体斬りなんて二つ名持ってんのかよ!」
デボラさんの反応を訝しく思ってたら、大人しくなった彼女を尻目にもっと煩いヤツが声を上げた。
「ああ、もうっ。アンジェはチャチャ入れないでよ。あとその二つ名呼びは禁止だから!」
「何でだよ。千体斬りなんて超カッコイイ二つ名じゃんかっ。今までに千体の魔物を斬り捨てたって事だろ?」
ダーッと片手を振り上げ、ついでに立ち上がって喜ぶアンジェにガックリ。
あーあ。反応が判ってただけに、コイツにだけはその二つ名を聞かれたくなかったよなぁ。
「馬鹿言ってんじゃねえっ。ウチの姫サンの渾名はなぁ、戦場にあっては常に日に千体の魔物を斬り捨てる事から付いた名よぉ!」
どうやってアンジェを押さえようかと考えながら、そっと深呼吸をして精神安定を図ってると、今度は何故かロベールさんまでもが参戦!
しかも大声を上げた上に、ビシッとアンジェに指差し攻撃までカマしちゃってますよ。
マジで最悪……。
「ひ、日に千体……」
「強いとは思ってたけどケタ外れだよね」
「凄えっ、凄過ぎるぜっ」
「マリーお姉ちゃん、すっごーい!」
フンスと鼻息も荒く、ドヤ顔なロベールさんの言葉を聞いた子供達が一斉に喚き出した。
年少三人組だけなら一喝で黙らせられるけど、エレナちゃんまでもが飛び跳ねそうなくらいにはしゃいじゃってて、もう収拾がつかない雰囲気だ。
ううっ。何だか真剣にマズい感じになって来た気がする。
「ちょっとロベールさん! 最初の時は九百八十だったんだから、千体斬りなんて一度しかやってないって知ってるでしょ!?」
「へっ? って、ああ! すいやせん、余計な事をっ」
とは言え、このまま黙って褒め殺しの方向へ流れるのもイヤなので、まずはロベールさんだけでも押さえようと声を上げれば、一瞬で「しまった」って顔になった彼がちょっと恥ずかしそうに頭を掻いた。
ヨシヨシ。流石にロベールさんもこの場をカオスに放り込み続ける気は無い様だね。
後は子供達だけど……。
「たった二十の違いなんて唯の誤差だよ!」
「一度やってるだけでも凄いのに、二度もやってるんだ!」
「俺はマジでセンパイに惚れちまったぜ!」
「すっごーい! すっごーい!」
そっと子供達を見回すと、唖然として言葉も出ない様子のラウロ君を除けば他の全員のテンションが上がってて、エレナちゃんなんて既に椅子から立ち上がってはしゃいでた。
アンジェも気持ち悪いぐらいに目を輝かせてこっちをガン見してるし、もう手の付け様が無い感じじゃんか、コレ。
どうやって収拾をつければイイのかね。
「子供達よ、英雄を前にはしゃぐ気持ちは判るが己の分を弁えよっ。それにそろそろ、昼食の用意に掛かる時間ではないのか?」
頭を抱えそうになってると、意外な方向から助けの神が現れた。
デボラさんだ。
さっきまでとは違い、元軍人らしいビシっとした雰囲気が漂うその立ち姿は有無を言わせぬ迫力があって、子供達も一斉に口を噤んで大人しくなる。
ぬう。貫禄のあるヒトは違いますな。
どうやら助かったみたいだけど、これからどうしようかな。
「じゃあアッシは昼食の準備をして来やすんで!」
ホッと息を吐いてたら、ロベールさんがダッシュで厨房の方へ消えて行った。
流石は百足のロベール!
逃げ足は正に超一流だ。
「どうやらマリー様には私に色々な御質問があるかの様に見えますが、それは昼食後と言う事で如何ですか?」
「ああ、うん。そうだね。子供達の前じゃ話し難い事も多いし、後にしようか」
「では私もロベール殿を手伝って参りますので、暫くは此処でお待ち下さい」
何時の間にやらエプロン姿になってたデボラさんに驚いてる内に話は纏まって、ワタシは子供達とホールに残る事になった。
見ればデボラさんが居なくなった事で子供達も力が抜けたのか、独り残ったこっちを見る視線がまた輝き出してる。
仕方が無い。
多少だったら討伐話でもして場を繋ぐかと、ワタシは椅子を持って定位置であるエレナちゃんの横に移動した。
此度もこの辺で終わりにさせて頂きとう御座います。
読んで頂いた方、有難う御座いました。