詩/卒業
くだんねえなセンコー☆という文言を吐けるかどうかはともかく水曜日の化学室の燃えたビーカーで精製した宇宙の種はたしかに生徒たちに真っ暗な梟をみせた。沼地に黄土色の砂が吹くように、ゴビ砂漠には強い気流が起きている。だがそれを中学生や高校生はたぶん知らない。知っても、知らない。崩れた後の校舎で交わされる別れの応酬がその都度のあのこたちには大事なあまずっぱいふぁんたじぃなのかもしれないが千年後にその1時間を回想することはできない。きみはおとつい何食べた? そのラブレターを人生の供物にして灰皿の下に並べて四角い校舎の窓ガラスに彫り物をして永遠を延々と演じるかのように振る舞うのは、まるでか弱いことを証明しているみたいだ。それでも彼らは何くわぬ顔でバングラデシュの燃え盛る地面を裸足で進む。六十億年など見もしない、天体の社会の位置など知りもしない。百億の☆に感情を委託して、死んでも意味ないことを知らない。少年少女はやがて少年少女ではなくなって上手く慣れていこうと丸まっていく。Amazonを行くその心は宇宙の種を削りとってその生命を摩耗させ、殺した。
卒業してしまう水曜日の夕方にこの感情に名前をつけようとおもったが、おしゃれな事を言えなかったのであきらめた。たぶんあのこはそれを恋とか呼ぶのだ。
SFの世界を求めて拒食にあこがれて音楽を肌で聞き映画を胸で観る空想のなかの幻想に依って、ディズニーランドになんて通うアンティークを語る潮騒に飲まれて消えたそんなもの、西暦なんてなくなった時代にそんなものに頼ることはできない。
妄想は、オナカスイテチャできないんだよ。
――だからもう出ようね。
主犯はだれだったのだろう。たぶんARB。たぶんボアダムス。きみとぼくとの素っ頓狂な普通のお話は、気弱な人間の臆病な旅行記は、きっとどこのお店にも寄らずに終わってしまうのだ。外人が怖くてケバブを食べたことがない。クレープだって買えない。かろうじて叩いたWilliamsHallだってもう震災でなくなった。彼らの好き嫌いに色々なものを飲み込んだ濁流にちっぽけな雨樋に、で、なくなった。「くだんねえな☆」いきるかつどうをするためにいきる、はたらく、うごく、くるまのように、わかりやすくないひとだから、二億五千が絶望するようになった未来世紀を、笞刑に終わらせてしまうのは、わたしたちの終わりだ。そだ。
わたしたちは見なければならない。
わ た し た ち は 見 な き ゃ な ら な い ん だ よ !
感情に名づけたら俗物になるんよ、嫉妬しかないと括りつけたら終わりなんよ。憐憫だってなんだってそれはきっと、あのこならやっぱり言うのだろう。
「それは恋だよ!」
あの背の低いこ、髪の長い、前にすすみつづけるこ、あの背の高いこ、自我が強く、果てない興味を持つこ、あのこ、拠り所を探している、愛されてやまないこ、どの人格もが、モダン焼きにまみれて、氷山のように舞台裏でつながっている、全部同じタコの触手だっていうことを、もしかして知らないのだろうか。
人は死に続けるよ、それを卒業だってあえて名付けるのなら、あの日の少年少女はふたりで卒業式をしたんだ。惑星の六十億年を思って目眩がすることだらけの子供時代はいつまで続くのだろうか、忙殺される人間の時間に月の引力は届くのだろうか。後ろ髪を引っ張ってくれるのかしら。傷ついた左手首が彼女に影を落としているせいか、あのこは今も「わたし」に熱心。
人は生まれていくよ。それを卒業だってあえて名付けるのなら、知らないことを飲み込んで、宇宙の果ての梟を捕まえにいくことと同じになるよ。廃ビルで少女が生まれたときに、一緒にいた少年、あの日のラブホテルで何かができていれば、何かが変わっていたかもしれない。そんなことばっかりをおもってしかたない。四方山に尽くす言葉ばかり宙に浮いているけれど。
なにもかもが川のなか、いまはそれでいいじゃん。
またね。