夢なのでは、翌日の学校
「おーい天音、大丈夫か」
俺はあの後、シャワーを軽く浴びてトーストを口に放り込み、マンションをいつもより遅い時間に出て登校した。
教室に着く頃には、彼女はいつもの学校での姿になっていてその変化の落差にもしかして、これは何もかも夢なのかもしれないと一瞬思ったくらいだ。
「具合でも悪いのか、昨日よく寝れなかったのか、応答しろ天音」
さっきから、前の方で神代がひたすら俺に話しかけている気がする。
「あ、ああ悪い。ちょっとボケてた」
唐突ではあるけど、丁度目の前に頼める奴が居るなら、試してみたい。
「なあ、俺の頬をめっちゃ強くつねってくれないか?」
神代の顔には心配と戸惑いの色が浮かんでいた。
(まあ、無理もないか)
「うらむなよ」
神代はため息まじりにそう言って、俺の頬を思い切りつねった。
「痛い、夢じゃないんだな」
「どうしたんだよ天音が藤野さんに目もくれずに窓を眺めてぼやけてるなんて」
「そんなに珍しいか?」
「ボケてるのはいつもだけど、彼女に目もくれないのは珍しいね」
相変わらず、さらっと人の反感を買いそうな言葉を入れてくる。
「そういう時もあるんだよ」
神代は「ふうん」と言ってから、何か思いついたかのようにハッとした顔になってそれを口にした。
「もしかして・・・・何か彼女との間にあったとか?」
神代の口調から察するに、彼の想定している『何か』はろくなことではない可能性が高い。
「俺が一日足らずでお前の言う千里の距離をすっ飛ばしたとでも?」
(まあ、事実そうなのだが・・・・)
「ないと見るね、もしそうなら単純な天音は舞い上がってることだろうしね」
(まあ、半分舞い上がってはいるのだが・・・・)
俺は一度軽く咳払いをすると、神代の方に向きなおって何でもないかのように言った。
「ままならないものなんだよ、そうだろ?」
神代は二度深く頷いて、前に向きなおり一時限の準備を始めた──。
午前中も昼休みも午後も一日を通して俺はどこか上の空になっていた。
これからはマンションに帰れば、彼女が居る生活──そう考えるだけで目の前の光景からリアリティーが失われていく。
一方、彼女の方は見たところ一日を通していつもの完璧な藤野涼香を崩していない。
だから、余計に考えてしまう──彼女が俺のことをどう思っているのか。
ただの仲の良い幼馴染か、あるいは・・・・いや過剰な幻想を抱くべきではない。
千里の道も一歩から、まずはこの同棲生活という最高の機会で少しずつ着実に距離を縮めることにてっするべきだ。
──放課後、いつものように昇降口前で神代と別れて靴を履き替えて、目の前の夕陽に染まった桜並木に向かって一歩踏み出した時だった。
「香坂くん」
横から聞き覚えのある透き通った声で呼び止められ、俺はそちらを向く。
「あ、藤野さん・・・・?」
そこには、彼女が穏やかな微笑みを浮かべて佇んでいた。
「その、藤野さんって呼び方あんまり好きじゃないかも」
「でも学校ではこういう呼び方の方が都合が良いんじゃないか?」
俺がそう返すと彼女は「うーん」と人差し指を口元に当てて考える。
「それもそうかもね」
「藤野さんもたしか部活入ってたよね、行かなくていいの?」
「お買い物」
彼女は短くそれだけ言って言葉を切った。
「お買い物?」
「そう、色々買わないとでしょ、だから香坂くんには帰宅を待って欲しくて」
なるほど、それで俺が昇降口から出てくるのを待っていたということか。
彼女の所属は文芸部だったけ。
「部活はあんまり時間掛からないから良かったら一緒に行きたい」
「構わないけど、食材なら一応あったと思うよ」
彼女は「それだけじゃないの」と意味深な一言を残して部活へと向かった。
(ただの買い物ではないのか・・・・)




