突然の訪問と同棲開始
藤野涼香は私立の名門光明学園の中でも誰もが憧れるほどの完璧な女子生徒として有名だ。
入試主席で全国模試でも常に最上位常連の成績に加えて、高い運動神経に誰にでも好かれる社交性も併せ持っている。
今日も長くよく手入れされたつやのある黒髪をなびかせて教室に入ってくるとクラスメイトたちは男女問わず彼女の方へ歩み寄り挨拶をする。
「おはようございます」
彼女は一人一人丁寧に挨拶を返していく、毎朝これだけの生徒に挨拶をされて返すのは大変だと思うが、彼女は整った顔に浮かべた柔らかな微笑みを崩さない。
俺はその様子を教室の隅の窓際に位置している席でぼんやりと眺めていた。
周囲には知られていないが、俺と彼女は幼い頃から面識がある幼馴染で親同士も仲が良い。
昔はこんなに遠い存在ではなかったのに、いつの間にか距離はどんどん離れていって今では近づくことすら気軽に出来ないほどになってしまった。
向こうが俺のことをどう思っているかは分からないけど、俺は今でもひそかに思いをよせている。
「天音さ、流石に見すぎ」
前の席に座っているクラスメイトにそう声をかけられて俺は我に返る。そいつはにやけた顔をこちらに向けていた。
「良いんだよ、どうせ向こうは俺なんて眼中にもないんだから」
「まあ、たしかにそうかもしれないな、届かない存在ってとこだ」
俺はなにも言い返さなかった、小さく狭いとはいえ学校内でも暗黙の階級のようなものは存在するからだ。
しかし、その点で言えば今、俺の前で話している神代祐樹はかなり上の方だと思うのだが。
「お前は藤野さんのことどう思う?」
「なんだ、天音、自分の片思いの相手に親友が好意を持っていたら不安か?」
「・・・・別に」
挑発するような言い回しだが明確に俺の本心をついてくるあたりこいつは油断ならない。神代は「なんてね」と言ってクラスメイトたちと談笑している彼女の方を目を細めて視線を送る。
「安心しなよ、少なくとも俺はただのクラスメイトの一員だとしか思ってない」
彼は視線を再び俺に戻すと口角を上げて言った。
「ライバル一人減ったね、千里の道も一歩からだ」
「ふん、いちいち言い回しが挑発的なんだよお前は」
朝の時間の終わりを告げるチャイムがなり、クラスメイトと一緒に自分の席に戻って行く彼女を眺める。教室の窓から差し込む朝日が彼女を斜めに照らしその美しさを際立たせていた。
──千里の道か、今の俺と彼女の距離を表現するのにはこの上ないくらい適切な表現かもしれない。
同じ高校の同じクラスに居ても、彼女との間には高くそびえ立つ壁がある。
「ままならないもんだな」
俺がため息まじりにそう呟くと神代が反応した。
「そういうもんさ、なんにしてもね」
この時、俺はバックに入ったスマホの通知が来ていることに気が付いていなかった。それが、壁を一瞬で壊してしまうものであることにも。
「じゃあな天音、俺はこの後部活あるから」
「おう、頑張れよ」
放課後の教室を出て、昇降口前で神代と別れる。季節はまだ春先で校内の桜並木は満開で校門までのアスファルトの道には風に吹かれて散った花びらがそこらじゅうに散りばめられていた。
俺はこの景色を見る度にいつか彼女の隣に並んで下校出来たらいいのにと夢を見る。想像するだけなら自由だ。
それはそれとして──さっきから親からの通知がずっと来ている。学校に居る時は電話には出れないと事前に伝えてあるはずなんだが。
出るか一瞬迷ったが、自分のマンションに帰るまで先延ばしすることにした。
──俺の住むマンションは学校がある街中から少し外れた所にある小綺麗な建物だ。親元を離れて私立名門に通う息子のために親が契約した物件で中は一人暮らしにしてはやたら部屋が広い。
リビングの電気をつけて、ソファーに腰を下ろしてようやく親からの電話に出る。どうやら電話をかけてきたのは父親みたいだ。
「もしもし父さん、なにかあった?」
「おおやっと出たか天音、今そこに藤野さんは居るか?」
「いや、いるわけないだろ」
「まだ着いていないんだな、天音落ち着いて聞くんだぞ」
着いてないってどういうことだろうと続きを聞こうとしたところで玄関のチャイムがなった。
「父さんごめん、誰か来たみたいだからまたあとで」
通話を切り、玄関の扉を開けるとそこにはいつも遠くで眺めるばかりだった藤野涼香が緊張した面持ちで立っていた。
「藤野さん・・・・うちになにか用?」
彼女はしばらくうつむいていたけれど、やがて意を決したかのようにこちらを真っ直ぐ見つめて言った。
「香坂くん、今日からお世話になります」
「え・・・・?」
まだなにがなんだか分からない状態から、唐突に俺と彼女の同棲生活が始まろうとしていた──。




