第6話 二人で勉強会
⑥
ユーゲンはラツェルの斜め後ろに立ち、指で文字を指しながら読み上げる。
「えーっと、ウェルティアンの森は、周辺住民から、神獣の森と呼ばれることもある。神獣に守られている、という逸話があるからだが、そのためか、豊かな植、せい? を持つ」
多少つっかえながらではあるが、しっかり読みあげる彼に、ラツェルは少し驚いた。ユーゲンは勉強が嫌いそうだと思っていたから、意外だったのだ。
ちらりと職員を見れば、彼も感心した様子だ。
少なくとも、人間は文字を読めるのが普通、というわけではないらしい。
「ユーゲンは、どうやって字を覚えたの?」
「ん? 字? 父さんが教えてくれたんだよ。何になるにしても、絶対字は読めた方がいいって」
なるほど、父親か。ラツェルはそう納得する。
彼の父親は、英雄と呼ばれていたらしいから、色々と経験したのだろう。
「勉強はすんげー嫌だったけど、でも、字が読めるおかげで依頼票を自分で見られるからな。やって良かった。読めなかったら、誰かに金払って読み上げてもらわないとなんだぜ?」
「ふふ。そうなんだ」
やっぱり勉強は嫌いなんだと知って、ラツェルはつい笑いを漏らしてしまった。しかしユーゲンは気にしていないようだ。
「それにしても、神獣かぁ……。ラツェルの母ちゃんの代わりに追っかけてきたりしないよな?」
「たぶん。神獣はこの世界の魔力を制御して、暴走しないようにする役割があるってお母様は言ってた。だから、下手に動き回ることはしないんだって」
「なるほどなぁ。じゃあ、森の奥の山に登らなければ大丈夫か?」
本の先ほどの続きには、神獣はウェルティアンの森の奥にある山の山頂に住むと言われているという記述があった。
併せて、その山の一定より上は禁足地となっていることも書かれているから、そこへ行かなければいけない依頼は無いだろう。
「どの道あれだ。俺らのランクじゃ、まだ森の浅いところまでしか行かない依頼しか受けられないだろ」
気を取り直して、ユーゲンは朗読を再開する。その声と指先に、ラツェルはしっかり意識を集中させていた。
資料室を出たころには、すっかり西の空が赤くなっていた。夕食を考えなければいけない時間だ。
「ふぅ。もう喉がカラカラだ」
「ありがとう、ユーゲン。おかげで、文字も少し覚えたよ」
「すげーな。さすが神様だ」
ユーゲンに褒められて、ラツェルも悪い気はしない。はにかみながら少し俯く。
夕日に照らされたその表情に、ユーゲンもまた笑みを作った。
勉強が嫌いなユーゲンだったが、今日はなんだか楽しかった。父親に色々と教わっていたときですら無かったことだ。
どうしてだろうか、と考えるが、よく分からない。
「しかし、資料室って便利だな。あんなに細かく書いてあるのか」
「そうだね。依頼を受けるときも色々参考になりそう」
「だな。なんでみんな使わねぇんだろうなぁ?」
不思議そうに首を傾げるユーゲンに、ラツェルも倣う。文字が読めない人はともかく、読める人が使わないのはおかしい情報の宝庫、という認識を、二人は持った。
「俺も知らない話がいっぱいあったから、来て良かったよ、ラツェルのおかげだな!」
「えっと、そう? だったら、嬉しいな」
まだ出会って一日だが、ユーゲンはラツェルの世界を一気に広げてくれた。
そんな彼の世界を広げる手伝いができたのなら、彼女の胸も熱くなる。
「さて、今日は宿で簡単に食って、明日から仕事だ! 楽しみだな、ラツェル!」
「うん!」
ユーゲンも、依頼を受けるのは初めて。ラツェルも当然そうだ。
二人で初めてを共有できることが、ラツェルは嬉しい。
ユーゲンはユーゲンで、夢への一歩を着実に踏み出せる期待に胸を膨らませていた。
あとで同じ部屋で寝なければいけないことを思い出して呻くことになるユーゲンだが、今はまだ、頭の中は冒険のことばかりだ。
翌日、地平線から日が昇るころ、ラツェルは目を覚ました。ユーゲンの姿は無い。
昨日はどうにかして離れて寝ようとするユーゲンと、くっついて一緒に寝たいラツェルの攻防があったのだが、彼女はその途中でいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
初めての友人とのお泊まりにテンションが上がっていた彼女も、一晩眠ればすっかり落ち着く。
落ち着いた頭でどうしてユーゲンがあれほど嫌がったのかを考えてみたのだが、女神の娘として箱庭に閉じ込められ、母と神獣たち以外と触れあうこともなく育った彼女には答えの出ない話だ。
「お、起きたか」
「あ、ユーゲン。おはよう」
借りている部屋の戸を足で開けて入ってきた彼は、朝食を貰いに行っていたらしい。まだ寝るときのシャツ姿のままだが、手にはパン二つと汁の入った器を二つ持っている。
「目の下が黒いけど、どうかしたの?」
「これは、その、楽しみすぎてちょっと眠れなかっただけだ」
「ふーん?」
本当はラツェルの存在に緊張したからだが、それは言えない。
今日の依頼が楽しみだったのは事実であるし、完全な嘘というわけでもなかった。
幸い、最低限は眠れている。
無茶だけしないよう気を付けようと、ユーゲンは心の中で誓った。
朝食を終え、装備を整えて部屋を出る。
二人とも、出会ったときと同じ格好だ。
ラツェルの装備を用意できるだけのお金は無かったから仕方ない。
もう少しお金が貯まったら、中古品でいいものがないか、探し歩くつもりだった。
「それじゃあ、行くか」
「うん!」
受ける依頼自体は決まっている。
薬草の採取依頼だ。
ランク的に選択肢がほとんど無いのと、昨日見た資料で知った情報が理由だ。
比較的に見つけやすく、さらに正しい処理をすれば色をつけてもらえるらしい。
ギルドに着くと、依頼を張りだしてある掲示板の前に人だかりができていた。
その隙間を、二人は年相応の小柄な体でくぐり抜ける。
「くそっ、見えねぇ」
「うん。……あ、あれ!」
「よし、任せろ!」
ラツェルの見つけた依頼票を、ユーゲンがもぎ取る。
それからどうにか人だかりの外に出て、ふぅっと一息を吐いた。
「凄かったな」
「ね」
「ラツェルが字、読めるようになってて助かった」
ユーゲンの役に立てたことがラツェルを笑顔にさせる。
既に一仕事した感があるが、本番はこれからだ。
受付カウンターでもぎ取った依頼票を提出し、正式に仕事を受けてから町の外へ向かう。
難しい依頼ではないが、二人とも初依頼であるし、ユーゲンはうっかり女神の箱庭に入って死にそうな目にあったばかりだ。
少しばかり、表情が硬くなってしまうのは避けられなかった。




