第21話 奇妙な感覚
㉑
「あの時は、蛇の魔獣だった。父さんの勝てない相手じゃなかった。それなのに、俺を庇ったせいで……」
ユーゲンが年の割には無茶をしない理由だ。少年らしい冒険心に身を任せたせいで、父を死なせてしまったのだ。
知らず知らずのうちに剣を握る手に力が入る。ともすれば自身の手のひらを傷つけかねない程に強く握りしめられた右手は、小刻みに震えており、彼の心の様を表わしていた。
視線の合わない友人に、ラツェルはなんと声をかけたらいいのかが分からない。どれだけ考えても自分の中にはその言葉を見つけられない。彼の傷を癒やすものも、その痛みを誤魔化すものさえも、優しい箱庭の中で育った幼い女神に持ち得るものではなかった。
「そ、っか……。私こそ、ごめんなさい。町は全然、大丈夫じゃなかった」
どうにか紡いだ言葉は、謝罪。彼のトラウマを必要以上に強く刺激してしまったのは、自分が余計な希望を抱かせてしまったからだと思ってのものだった。
ラツェルまで視線を落としてしまったのに気がついて、ユーゲンは右手を緩める。
「いや、ラツェルは悪くねぇ。俺も勘違いしてたしな」
二人だけでなくウェルテアもそうだと思っていたのだ。勘違いするのは当然で、本当にどうしてラツェルを責めてしまったのか。ユーゲンは恥ずかしくて仕方ない。
少し気まずくて、つい、周辺の状況を確認するフリをしてしまった。ただ、視界の端で彼女がそっと胸を撫で下ろしたことには気がついた。
「なんだお前ら。喧嘩でもしてたのか」
「あー、一瞬だけ」
「それならまあいいが。とりあえず、あっちの家族を避難所まで連れてってやってくれ。こっからならたぶん、ギルドより教会の方が近いはずだ」
見れば、四人の家族は互いに抱き合って無事を喜んでいた。父親の頭部には応急処置らしき包帯が巻いてある。ユーゲンたちがあれこれと喋っている間にカストルが対応してくれたらしかった。
「分かった。にーちゃん、死ぬなよ」
「ありがとよ。でも、テメェらはまず自分の心配しとけ」
ユーゲンとラツェルは片手を上げながら離れていくカストルから視線を外し、住人たちの方へ向かう。今はできることをしなければいけない。相棒を責めているような場合ではなかった。
教会には落ち着く場所を探すのも難しいほどの住人が集まっていた。一人で壁際に蹲っている男、長椅子に並んで身を寄せ合う家族、横たわった男の手を握ってその顔を覗き込む女。様々な姿を見せる彼らは、一様に暗い表情を浮かべている。職人や衛兵以外で仕事着らしき格好をしている者がいないのは、スタンピードで多くが仕事どころではなかったからだろう。
一家の治療を神官へ依頼した後、二人は教会の片隅で揃って首を傾げていた。原因は、少し前に倒した狼の魔獣だ。
「あいつ、なんか切った感覚があんまり無かったんだよな。いや、まったく無かったわけじゃねぇけど」
「そう、だね。なんだかおかしかった。魔力の塊がそのまま動いてるみたいで」
「魔力の塊って、じゃあ、魔物の類いか?」
魔力から直接生まれる魔物なら、そうであってもおかしくないのかもしれないと思える。
「たぶん、違う。魔物になりかけのまま実体化しちゃったみたいな、そんな感じ。でも、そんな状態になるには、山頂に溢れてたどころじゃない密度の魔力が必要になると思うの」
魔力に関してはさっぱりなユーゲンだが、ウェルテアの苦しんでいたとき以上となると、その危うさが分かる。冷や汗を流すと共に、ゴクリと喉を鳴らした。
どうにも普通ではない事態が起きているようだが、その普通ではない原因と思しきものを解決してきたばかりだ。では他に何がこんな現象を起こせるのかは皆目見当が付かなかった。
うんうんと唸る二人。素人なりに案を出してみることすらできない。
「うん?」
不意にラツェルの感覚に引っかかるものがあった。近づいてくる大きな気配だ。
「これは……」
どうした? とユーゲンが問う前に、ラツェルは小走りで教会の奥へ向かう。その先にあるのは、裏庭に続く勝手口だ。
ユーゲンも慌てて追って外に出た。と同時に、気配の主は現れた。
真っ白な美しい体毛に覆われた、四足の巨獣。見上げるほどに大きな彼女は今この町で暴れ回るどの魔獣よりも強いオーラを放っており、絶望すら感じさせうる程。しかしその表情は優しく、荒廃した景色の中にあってなお、神々しさを覚える。
二人の前に音もなく着地したのは、つい数時間前に別れたはずの神の獣、ウェルティアンの森に座す神犬、ウェルテアだった。
「あ、あんたは……」
「何か、あったのね?」
あんぐりと口を開けるユーゲン。ラツェルは対称的で冷静だ。真剣な表情でウェルテアの青い瞳を見つめる。
「はい。思わぬ事態です。それも、あなた様でなければ収められないような」
その声は不思議と落ち着いていた。切羽詰まっているわけではなさそうだが、それではどうして、彼女はラツェルへ縋るような、期待するような、奇妙な視線を向けているのだろうか。いや、ラツェルにばかりではない。何かを望むその目は、ユーゲンにも向けられていた。
その意味するところはまだ彼には分からない。分からないが、懸念だけは解決しておきたい。
「その前にだけどよ、いいのか? 山から離れて」
「大丈夫だよ。これはただの分け身だから。あの子の本体はちゃんと山にいる」
言われてみればたしかに、ユーゲンの覚えにあるよりは威圧感がない気がしないでもない。何にせよ、大丈夫ならいいのだと続きを促すためにウェルテアへ視線を戻す。彼女は森の方を見て、耳をピクリと動かしていた。彼には神獣の表情は読めない。しかしどうしてか、何を哀れんでいるのだろうか、という感想が浮かぶ。
「ええ、その通りです。私にはもう、何も妨げとなるものはありません。ただ、気がついてしまったのです。スタンピードを引き起こした、もう一つの原因に」
もしまだお二人がこの災いを収めたいとおっしゃるのなら、ご案内しましょう。ですから、どうかお助けください。
そう続けられた意味は、ラツェルにも分からない。




