第13話 終わらない波
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スタンピードが始まって半日が経とうとしていた。既に東の空は暗くなり始めており、夕暮れが近い。
しかし魔獣たちの勢いは衰えることを知らず、獣の姿をした化け物たちが終わりのない波となって押し寄せてくる。
「矢の残り少ないぞ! 追加はまだか!?」
「魔力が切れた魔法使いはさっさと下がれ! マナポーション飲んで休んでろ! 邪魔だ!」
ラツェルのいる市壁の上で怒号が止むことはない。
指揮官が、冒険者が、誰かに向かって怒鳴り続けている。
「嬢ちゃん、無理すんなよ! まだまだ先は長いんだ!」
「ありがとうございます! 大丈夫です!」
空気に当てられてラツェルも叫ぶ。実際、神族として人間よりもずっと膨大な魔力を持つ彼女にはまだ余裕があった。
しかしそれは魔力の話。体力は、精神力は、今こうしている間にも底へどんどん近づいている。
落ち着く間が無いのは地上も同じだ。初めと同じように盾役が受け止め、周囲がトドメをさすという作戦を続けているが、隙間を抜けてユーゲンたちの方まで来る魔獣が増えていた。
「カストルが足を折られた! 誰か後ろまで引っ張ってやってくれ!」
「任せろ!」
デビルボアの突進を受け止めた盾役の足を、回り込んだゴブリンが殴りつけたらしい。
ボアもゴブリンも既に仕留められてはいるが、後続がもう既に前線まで来ている。
魔獣と戦う冒険者たちの隙間を抜けたユーゲンは、カストルと呼ばれた男の両脇に腕を入れ、門の方向に全速力で引っ張る。
「すまねぇ、坊主」
「気にすんな。それより、すげーなにーちゃん、デビルボアの突進を正面から受け止めるなんてよ」
「はは、これでもCランクだからな」
Cランクと言えば、中堅と呼ばれる中では最上位だ。内心で上位の冒険者への憧れを強めるユーゲンだが、今はそれより、一刻も早くカストルを安全に治療できる場所に運ばねばならない。
彼が抜けた穴には既に交代要員が入っていて、前線が崩壊する様子はない。これなら、門にさえ辿り着けたら大丈夫だ。
地上でも、市壁上でも、そうして後退しながら防衛を続けることで、戦線の崩壊を防いでいた。
人は、どうにか足りていた。あらかじめ高位の冒険者を呼ぶこともできていたし、そうでなくても豊かな森のすぐそばにある町だ。大きくない割に冒険者の数じたいはかなり多い。
だが、物資の数には限界がある。
矢や魔法薬の類いはみるみる減っており、いつまで保つか分からない。
ギルドが正確にスタンピードの予兆を把握して、準備していてなおこれだ。市壁上にいるおかげで状況を把握出来るラツェルは、その現状に戦慄する。
「まだCランクがちらほらいるだけか……」
「山の方にはたしか、Bランクもいるんだったな」
「ああ。Aランクを見たって話もある」
「おいおい。Aランクの魔獣なんて来たら確実に壊滅するぞ」
体力の限界で下げられたラツェルの耳に、そんな声が聞こえてきた。声の主は、同じように市壁の内側で休憩中の先輩冒険者たちだ。
思い出すのは、資料室にあった魔獣という存在についての本の内容。曰く、魔獣とは何らかの要因により体内の魔力が特定の属性に偏ってしまった獣や、淀んで高濃度になった魔力から生じた存在を言う。
一般にはどちらも魔獣と呼ばれているが、後者には魔物という呼称も使われ、ゴブリンがその代表らしい。
そして強大な個体は、魔獣と魔物、両方の性質を有していることが多い。
――もし、本当にあの山に神獣がいるなら、Aランクがいる方が自然……。
人間にとっては伝承の存在でしかない神獣も、女神ラツェルにとっては隣人だ。その役割も、よく知っている。
女神レーテルに与えられた神獣の役割は、本来不安定で容易く災害を引き起こす魔力の制御だ。
神獣は基本的に魔力の多い場所に配置されており、そして神獣自身も強大な魔力を持っている。
つまり、神獣が居る場所には魔獣が生まれやすく、強大な個体も発生しやすい。
何が原因でスタンピードが起きたのかは分からない。せめて、最奥部にまで影響していないようにとラツェルは膝を抱え、背を市壁に預けた状態で祈る。
そうしている内に、いつしか彼女の意識は、夢の中に落ちていた。
夢の中でラツェルは、空にいた。彼方には夕日が赤く輝いているが、周囲はまだ青く、白い雲が漂っているのも見える。
見下ろせばどこかで見たような森と、山があった。彼女の視力なら山頂の様子を見るに困らない距離だ。
その中央にいるのは、白い、狼だろうか。箱庭で彼女に侍っていたフェルより優しげな顔つきをしているのが分かる。
分かる、というのは、その狼が今は、顔を苦しげに歪めているからだ。苦悶する狼に、ラツェルは何をすることもできない。
どうしたものか、悩んでいるうちに、聞いたことのあるような声が彼女の名を呼んだ。
――誰……? 私を呼ぶのは……。
直後に覚えたのは、眠りに落ちる直前のような微睡み。夢の中にいるはずなのに、どうしてだろうか。
その思考に答えが出る前に、彼女の意識はどこかへ引っ張られていった。
目を覚ますと、目の前にユーゲンの顔があった。彼の表情は、妹を心配する兄のそれだ。
「あ、起こしちまったか。わりぃ」
「ユー、ゲン……?」
霞む視界を周囲に向けると、石の町並みが見えた。どうやら寝てしまったらしいと気がついた彼女は、慌てて空を見る。
――良かった。まだ青い……。
「大して寝てなかったと思うぜ」
その様子で察したのだろう。意識を飛ばす直前、すぐそこで話していた先輩冒険者が教えてくれた。
「だってよ。俺は今から休憩だけど、大丈夫か?」
「うん。ちょっと、疲れちゃっただけ。少し眠ったからもう全然問題ないよ」
「そりゃ良かった」
ほっと息を吐いたユーゲンは、ラツェルのすぐ隣に腰を下ろして同じように市壁へ背中を預ける。
壁際で丸くなるラツェルを見て焦ったのは秘密だ。
若いってのはすげぇな、と聞こえた声は、おそらくラツェルに言っているのだろう。どうやら本当にすぐ起きたらしいと知って、彼女は胸を撫で下ろした。
「ユーゲンは、大丈夫?」
「ああ、今のところな。高ランクの冒険者ってすげーよ。デビルボアの突進を正面から受け止めてる人もいたんだぜ?」
「あの突進を? 凄いね……」
栄養価重視の携帯食を二人で囓る。美味しくはないが、今は贅沢を言ってられない。
ラツェルがふと前を見ると、家の窓から不安そうにこちらを見つめる子供と目が合った。彼女の様子にユーゲンも子供を見つける。
「絶対、守ってやるからな」
ユーゲンはまた、開戦前と同じ表情をした。何を思っているかラツェルには分からないが、今度は怖くない。むしろ、その鋭く真剣な表情を好ましくすら思った。
――私も、頑張ろう。
「それじゃあ、そろそろ上に戻るね」
「おう。気を付けろよ。空を飛ぶ魔獣も出始めたらしいからな」
「うん」
小走りに市壁の上に続く階段を目指すラツェル。どうして相棒がああも張り切っているのか、ユーゲンは分からずに首を傾げる。
――なんでもいいか。俺も負けてらんねぇな。
少しでも早く体力を回復できるよう、ユーゲンは眠らないよう気を付けながら目を瞑った。




