第11話 災厄の足音
⑪
今回の目標もルナマナ草だ。森に着いた二人は、まず初日に見つけた岩場の群生地に向かう。
残しておいた小さな株が、そろそろ採取してもいいくらいになっているかもしれないと考えての行動だ。
異変には、すぐに気がついた。
「なあ、ルナマナ草って日当たりのいいところにしか生えないんだよな?」
「資料室の図鑑にはそう書いてあったね」
「じゃあなんで、前は無かった絶対日向にならなそうなところにまで生えてるんだ?」
以前来たときは無かった、水の染み出している辺り。頭上が完全に覆われてしまっているそこに、足の踏み場を探すのが大変なほどのルナマナ草が生い茂っていた。
岩を突き破って根を張るそれは、明らかに尋常じゃない。
「とりあえず、採取してくか?」
「そう、だね」
胸騒ぎを覚えながら、二人はルナマナ草を摘み取り、図鑑にあった通りの処理をしていく。十分育っているものを積みきっても、二人分の鞄には少しだけ隙間があった。
「次の所、行くの?」
「……いや、止めとこうぜ。こういう時は危ないって、父さんが言ってたんだ」
引き際を間違えるな、とはユーゲンが父から口を酸っぱくして言われていたことだ。
普段の彼を知っているラツェルからすれば、らしくない行動。しかし、彼はその重要性を誰よりも知っている。
うっそうと茂る森の中、少し急ぎ足で町へ向かう二人。
しかし、来た道をそのままとはいかない。
「くそっ、また魔獣だ」
「なんだか、昨日までより多いね」
「ああ。簡単に倒せそうなやつらだけど、これだけたくさんいると戦ってる間に集まってきそうだな……」
さらに迂回するとなると、かなりの遠回りになってしまうが、仕方ない。
一度町から遠ざかる方向に進み、魔獣の進行方向に被らないようにルートを変える。
この選択も何度目か分からない。ユーゲンの脳裏に、スタンピードの文字がちらつく。
その後も魔獣を避ける選択を続けた二人は、気がつけばルナマナ草を採取した群生地にまで戻ってきてしまっていた。
彼らはつい、溜め息を漏らしてしまう。しかし、その不満は、すぐに忘れることになった。
「ねぇ、私たち、たしかにここでルナマナ草を集めたよね?」
「そのはず、だよなぁ……」
目に映るのは、青々と茂ったルナマナ草の茂みだ。そこに摘み取られた跡はなく、岩の隙間からさえ大きく育ったルナマナ草が見えている。
いや、よく見れば、しおれかけているものがある。明日には茶色くなっていそうな様子だ。
「なんであの辺りは枯れかけてるんだ?」
「……たぶん、急に育ったから、耐えられなかったんだと思う」
ユーゲンは納得するしかない。これだけ異常な速度で育てば、それは耐えられない株も出てくる。
ではなぜ、そんな株が出てくるほどの異常な速度で育ってしまったのか。
ルナマナ草に必要な生育条件は、豊富な水と十分な陽の光、そして、高濃度の魔力だ。
「ラツェル、魔力濃度はどうだ?」
「えっと、凄く濃い。もしかしたら、お母様の箱庭と同じくらいなんじゃないかってくらい」
つまり、この辺りの魔力濃度が異常に高くなっているということだ。
魔力について造詣の深くないユーゲンでも、魔獣に関する部分なら多少は知っている。今の状況は、大量の魔獣が発生しうる環境だ。
ユーゲンはあちらこちらへ視線を走らせて、特に背の高そうな木を見つけると、急いで登り始めた。
樹冠の上に顔を出して、四方へ目をこらす。
「やっぱり……」
その目に映ったのは、木々の隙間の魔獣たちだ。探す必要はない。探すまでもなく、どこを見ても、目に入る。
幸い町に近い方にはまだあまりいないようだが、それでも多い。特に山の方角にいる魔獣たちは森の外、つまりは町の方に向かって逃げるように移動しており、見ている間にも群れはどんどん大きくなっているようだった。
「ラツェル! 急いでギルドに戻るぞ! スタンピードだ!」
「わ、分かった!」
こうなっては、極力魔獣を避けて、とは言ってられない。
まっすぐ、最短距離で町を目指す。
いつもよりずっと早足で、しかし焦って事故を起こさないよう、森の中を進む。
風のざわめきすら、今の二人には恐ろしい。
「この先にゴブリンがいる。魔石以外金にならない上に弱い魔獣だけど、多少連携してくるから気を付けろ」
ラツェルが頷くのを確認して、ユーゲンは剣を抜き飛び出す。
見えたのは緑色の肌をした子鬼が四体。
まず一番手前の一体を不意打ちで倒し、動揺した二体目に斬りかかる。
その間に彼を追い越した魔法が三体目を倒した。
これで一対二。
声を上げられる前に、倒しきりたい。
「グギャギ――」
何かを叫びかけたゴブリンへ、ユーゲンの投げた剣が当たる。
刺さりはしなかったが、衝撃にそれはよろめいた。
そこへラツェルの魔法が飛来して、確実にトドメをさす。
彼らの思っていた以上に息のあった連携だ。
それでも、声を上げられてしまった。
「集まってくるかな?」
「たぶん。少し走るぞ」
しっかり手入れした剣の切れ味に驚く間もない。
金になる魔石の回収もせず、剣だけ拾って走り出す。
「前から何か来るよ!」
「ああ、見えた。またゴブリンだ! やっぱり集まってきてやがる!」
今度は三体。
先ほどよりは少ないが、既に見つかっていて不意打ちはできない。
さっきほど上手く倒せるとも限らないし、すれ違いざまに切りつけて、そのまま走り抜ける。
獣の姿をした魔獣ではなくて幸いというべきだろうか。
ゴブリンなら、なんとか振り切れる。
逃げる間に数が増えるかも知れないが、町の方まで行けば確実に他の冒険者に見つけて貰えるだろう。
心臓の音がどんどん煩くなる中、二人はどうにか森を抜け出した。
門へ向けて走ると、彼らに気がついた冒険者や衛兵が背後に向けて魔法と矢を撃つ。
「助かった!」
「どうした! 何があった!? なんだあの数は!」
「スタンピードだ! もっとたくさんの魔獣が、山の方から向かってきてる!」
「なっ!?」
衛兵に叫び返し、直後聞こえた風切り音で咄嗟に身を屈める。頭上を越えていったのは、狼のような魔獣だ。
「ユーゲン!」
ラツェルの魔法はバックステップで躱された。しかしユーゲンが距離を詰めるには十分な隙だ。
「うぉりゃぁあ!」
魔法の衝撃で怯んだ狼を、ユーゲンが切り捨てる。
そしてどうにか、門まで辿りついた。
「よく知らせた! ギルドの方にはもう伝令を走らせてある。ここは任せて、詳しい説明をしに行ってくれ」
「分かった!」
詳しくは知らないラツェルも、緊迫した空気に、災厄の足音を聞かないことができなかった。




