表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/8

8:アルベリオ(3)

 年月は流れ、アルベリオは十五歳になった。

 相変わらず勉強はあまり好きではなかったが、それなりに努力はしていた。

 父王に認められるような立派な跡継ぎとなって、シャルシャを早く自由の身にしてあげるためだ。


 アルベリオは幼い頃から、父王の治世を見てきた。

 だからこそ、シャルシャを解放するためには「正しい時」を選ばねばならないと理解していた。


 シャルシャの母国は、身分制のない共和国だ。

 共和国では、個人が国家の不当な干渉や拘束を受けずに、自らの自由意思に基づき行動できる権利を謳っていた。


 この『自由』という概念が、王国には致命的だと考えられていた。

 共和国の法整備を研究した学者たちは口を揃えて、身分制の崩壊を予見した。王国の民が『自由』についての知識を得て、自分にも自由に行動できる権利があると思い始めた時、身分制による支配は力を失う。

 その結果、王国は終焉を迎える。


 共和国との貿易は続いていたが、この『自由』の概念をできるだけ国民から遠ざけるために、王国は許可の無い人物の往来を禁じ、情報にも規制をかけている。

 だが、不用意にシャルシャを表舞台に出して、エルフの実在が庶民に広く知られるようなことになれば、彼らの好奇心を突破口に、共和国からの情報流入には歯止めがきかなくなるに違いない。


 対外的な問題もある。

 エルフの少女が長年王城の地下に囚われてきたという事実を、共和国側はどう受け取るだろうか。最悪の場合、国家間の戦争の引き金になるかもしれない。


 それでもアルベリオは、シャルシャをいつか、ふるさとの国に帰すつもりでいた。




 シャルシャはこの数年で、類い稀な美少女に成長していた。

 椅子に座った彼女の、綺麗に伸びた背に向かってアルベリオは呼びかけた。


「墓守の住んでいた小屋を改築して、北の離宮と改名したよ」

 ついにこの情報を、シャルシャに伝える時が来て、アルベリオは感慨深かった。

 この日は彼にとって、一つの区切りだ。


 墓守は昨年引退して、与えられた領地に移り住んだ。

 以来、小屋に住んでいる者はおらず、シャルシャの世話は全てアルベリオが引き受けていた。

「君は、そこに移り住むんだ」


 シャルシャはアルベリオを振り返った。

 すぐには飲み込めず、不思議そうにしている。

 やがて金の瞳を持つシャルシャの目が、大きく見開かれた。


「嘘」

 彼女は、半ば期待しつつも、すぐに信じようとはしなかった。


「僕は、そんな嘘は言わないよ。君も知ってるはずだ」

 アルベリオは微笑んだ。

 大丈夫。信じていい。

 心の底から喜んでいいんだ、シャルシャ──


「本当に?」

 なかなか信じられないのも、無理はない。

 アルベリオの祖父が彼女をここに閉じ込めてから、何年も経っていた。


 この数年、アルベリオは父王に何度も直談判を重ねてきた。

 解放はできなくても、せめて牢から出すように、シャルシャの待遇改善を求め続けたのだ。

 だが父王は、なかなか牢の鍵を手放そうとはしなかった。


 一方でアルベリオは、自身の婚約を拒み続けていた。

 どうしても諦められない恋をしていたから。


 でも彼女はいずれ、自分の国に帰ることになる。──アルベリオの元を離れて。


 何度も話し合いを行った末にアルベリオは、国王に一つの提案をした。

 宰相の娘との婚約を受け入れる代わり、シャルシャを地下牢から墓守の小屋へ移すという交換条件だ。


「王城の敷地内ですから、先王陛下の遺言にも触れないはずです」

 そう言って、アルベリオは父王に説得を試みた。

 唯一の王子であるアルベリオに早く後継者を、と望んだ父王は、絶対にエルフの少女を城からは出さないという条件を付けた上で、ようやくその提案をのんでくれたのだった。




「見た方が早いね」

 アルベリオは、ポケットから鍵を取り出した。

 それが鉄の扉に付いている鍵穴に差し込まれ、回されるのを、シャルシャは見つめていた。


「ほら」

 アルベリオは鉄の扉を開き、手を差し出す。

「行こう」


 シャルシャは頷いた。

 その目に、涙が溢れた。

 顔を伏せながら彼女は、アルベリオに手を引かれて、牢を出る。

 そのまま廊下を進み、突き当たりの扉をくぐって、階段を上った。


 その先に、地上が広がっていた。

 明るい光に包まれた世界だ。


 地面を踏みしめ、信じられないかのように、しばらくシャルシャは固まっていた。

 何度もブーツで、地面を引っ掻く。

 それから、見上げた。


「空だ」

 その呟きは、そこにあるのが不思議だと言いたげだ。

 青い空間に片手をかざし、太陽を遮る仕草をする。


「木がある」

 アルベリオの手を離れ、一本ずつ、手を触れてシャルシャは確かめる。

 北の離宮は小さな森に囲まれていた。

 小屋を少し増築した程度の建物だけれど、独りで住むには十分過ぎる広さだ。

 南に王城が見える。

 王族の墓所に近いため、関係者以外の出入りが禁じられていて、他に人はいない。


「ああ、ルファンジア!」

 シャルシャが空に向かって呼びかけた。

「風が吹いてる!」


 一陣の風が、彼女の黒髪を揺らした。

 シャルシャは風で踊る葉を、追いかけ始めた。

 楽しそうに、彼女は遠ざかる葉に翻弄されている。


 見守るアルベリオの胸の奥が痛んだ。

 彼女を諦めたくない。

 ここで、二人で過ごしたい。

 それはいけないことだろうか?


「アルベリオ!」

 シャルシャが戻ってきて、彼を抱き締めた。

「鉄格子がない!」


 今までずっと、冷たい鉄の格子が、二人の接触を阻んできた。

 こんな風に触れあうのはこれが初めてだ。


「そうだね」

 アルベリオは抱き返す。それが自然なことのように感じたのだ。

 初めて触れた、彼女の体温。


「ありがとう、アルベリオ!」

 狂おしいほどに溢れたアルベリオの気持ちを、シャルシャは知らない。彼女は無邪気に笑った。

「これから毎日、空を見上げられるのね」


 こんな日を夢見ていた。

 子どもの頃の自分なら、凄く喜んだはずだ。


(君の喜びが、僕の喜びだった──)


 シャルシャが再び、樹の一つ一つに手をやり、挨拶をしている。

 エルフは、自然との共存を喜ぶ種族だから。


(自由にしてあげるのが、僕の夢でもあった。なのに……僕は怖い。君が遠くへ行ってしまうことが)


 矛盾した願いが胸を焼く。

 苦しくてアルベリオは目を閉じた。

 暗い影が、自分の中にゆっくりと広がっていくような感覚があった。


「アルベリオ!」

 軽い足音が駆けてくる。

 目を開けると、間近にシャルシャの心配そうな表情が見えた。

「……大丈夫?」


 アルベリオは頷くと、自分の中にある闇を捻じ伏せた。

 揺れる梢が、シャルシャに光と影を落としている。

 彼女の手が伸びてきて、アルベリオの涙を拭った。

「アルベリオって、よく泣くよね」

 シャルシャが柔らかく笑う。


 彼女がそんな風に笑うところを、初めて見た。

 今日の日を、アルベリオは生涯に亘って鮮やかに覚えているだろう。


「おいで。離宮の中を見せてあげる」

 穏やかな笑みを浮かべて彼は、シャルシャに手を差し伸べた。











⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ