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7:アルベリオ(2)

 囚われのエルフは出会った頃は幼い姿をしていたが、この三年で女の子らしく成長した。

 止まっていた成長が再開した理由は、本人にもわからないようだ。

 部屋には衝立が設けられ、シャルシャは着替えや水浴びの時にその向こうに隠れるようになった。


「こっちに来て、シャルシャ」

 アルベリオは櫛を手に、呼ぶ。

 鉄格子の近くに来てくれないと、彼女の黒髪に手が届かない。


「髪ぐらい自分で梳ける」 

 振り返ったシャルシャは嫌そうな顔をした。

 近づいてきて、手を差し出す。

「少し、切り揃えてあげるよ」

 アルベリオは櫛を渡そうとはせず、絨毯の上に座り込んでハサミも見せた。


 ハサミや刃物などの危険なものは、牢に持ち込めない。

 もしその決まりを破って後ろにいる監視役が父王に報告すれば、アルベリオは二度とここには来られないだろう。

 だからシャルシャの髪を切るのは、アルベリオの役目だった。


 シャルシャは仕方なく、鉄格子に近い場所で後ろ向きに座る。牢の中は絨毯が敷かれ、さらにクッションも置かれているので、冷たくはないはずだ。

 シャルシャは膝の上に辞書を広げて、知らない言葉を探し始めた。


 三年前、伸び放題だったシャルシャの癖毛は見事に絡まり、手の施しようがなかった。

 それを時間をかけてほぐし、指が通るまでにしたのはアルベリオだ。

 いまや黒髪はとてもしっとりと柔らかく、美しい艶を帯びている。

 シャルシャはその艶を気に入っているようで、絡まりが解消した後もアルベリオが髪に触れることを許してくれる。


 櫛の通らない部分を、丁寧にほぐしながらアルベリオは、彼女のうなじを見た。

 そこには金色の輪が何重にも、枷となって巻き付いている。

 魔力を奪い、従わせるための魔導具、隷属の首輪。

 どんな工具でも歯が立たない拘束具だ。


(彼女が故郷に戻れば、きっと誰かが外してくれるだろう。でも今は……ここから出すことすらできない)


 焦って行動すれば、彼女に会うことさえ禁じられてしまう。

 それだけは嫌だった。

 それだけは、絶対に。


 だから……少しずつ。慎重にことを運ばなくてはならない。


「終わったよ」

 アルベリオはそう声をかけた。

「長さを揃えるために、毛先をちょっとだけ切った」


「そう。ありがとう」

 いつも通りの、温度のない声が返ってくる。

 振り返ったシャルシャは、少し間の抜けた顔で見返してきた。

 特徴的な金の瞳が、アルベリオの口元に向けられ、揺れている。


 アルベリオは、シャルシャの切った髪を鼻の下と口の下に貼りつけていた。

 こっそり指先で温めて柔らかくした蜜蝋を、そっとなすりつけて。

 あちこちに曲がった、おかしな“ひげ”になってしまったが。


「……なに、それ」


 その掠れた声に、いつもの冷たさはなかった。

 掴んだ、とアルベリオは思った。

 

「なにかのう? おや?」

 顔に手をやって、彼はベタな芝居をする。

「なんじゃあ、こりゃ?! いつのまにかワシ、ジジイになってしまったようじゃの?」

 

「やめてよ! 私の髪の毛で、そんな──」

 シャルシャの言葉が途中で、震えて途切れた。

 ぐっ、と息が漏れ、次の瞬間、くるりと後ろを向いた。

「そんなの、ぜんっぜん……!」 

 彼女の肩が震えている。

「おも……おもしろく、ない……! から!」


 ああ、やっと。

(笑ってくれた──!)

 一緒になって笑いながら、アルベリオは涙を滲ませる。


 シャルシャは辞書を抱えて、衝立の向こうに逃げてしまった。

 笑ったことが、恥ずかしかったらしい。


「ごめんよ、シャルシャ」

 髭を外したアルベリオは、絨毯の上に散らばった髪を集めた。

 王城では下働きの仕事だが、シャルシャに関係する作業はできるだけアルベリオ自身でこなしたかった。


「……二度と私の髪であんなことしたら、許さないから」

 いつもは無関心で冷たく、怒った時には荒っぽい男言葉を投げ付けてくるシャルシャが、女の子っぽい態度で拗ねている様子が可愛かった。


「シャルシャ……僕が悪かったよ。女心がわからない僕を、許して」

 アルベリオは情けない声で謝るが、シャルシャは衝立から出てこない。

「僕、シャルシャが笑ってくれて、嬉しかった。君が笑うと、僕はとても幸せな気分になるんだ。だから、あんなことをしちゃって……本当に、ごめんね」


 嘘ではなかった。

 全て本当のことだ。

 彼女が笑う姿が愛おしく、泣きたいほどに切なかった。

 アルベリオは顔を覆った。


(せめて君を幸せな気分にできればと思ったんだ……)


「アルベリオ?」

 そっと、衝立から覗く気配があった。

「もしかして泣いてる?」


「うん……」

 それも嘘ではなかった。

 なぜ涙が出るのか、アルベリオにはわからない。

 シャルシャが笑ってくれて、嬉しいはずなのに無性に悲しい。


(彼女をここから、出してあげたいのに。僕は……こんなことしかできない)


 アルベリオは、顔を覆っていた手をそっと離した。

 彼女はあんぐりと口を開けて、長く太くモサモサに垂れ下がったアルベリオの眉を見た。

 重みで、片方がぼとりと落ちた。


「ぶっ」


 シャルシャが変な音を立てて、再び衝立の向こうに引っ込んだ。

「許さないって……! 言ったのに!」

 衝立が、カタカタと小さく揺れた。

「ほんっとに、……もう!」

 文句を言いながら、合間に咳き込んでいる。

「しんっ……じられ、ない」


(シャルシャ……)


 もう片方の眉も落ちた。

 アルベリオが見下ろした先の絨毯に、雫が零れた。

 

(きっと君を、ここから出してあげるからね)


 城を出て冒険に出たいと話していた少年は、いつの間にか違う夢を見るようになっていた。











⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈

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