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地獄の食卓私が変えます!

闇鍋地獄、洗濯地獄、アイロン地獄と改革を重ねた私は、次なる業務地へと足を踏み入れた。アゼルの案内で辿り着いたその場所は、重たい鉄扉の奥に広がる、蒸気と焦げ臭さに満ちた空間だった。


「ここが……料理地獄?」


 私は思わず眉をひそめた。厨房と呼ぶにはあまりに荒れ果てたその場所では、亡者たちが黙々と調理を続けていた。だが、その様子は“料理”とは程遠い。


 調理器具は錆びつき、鍋の底は焦げ付き、包丁は刃こぼれしている。食材は腐敗し、色も匂いも異常だった。レシピは壁に貼られていたが、手順は支離滅裂で、意味を成していない。


 亡者たちはその無意味な指示に従い、腐った食材を煮詰め、焼き焦がし、異臭を放つ料理を延々と作り続けていた。そして出来上がった料理を陰鬱な顔で、黙々と食べている。


「……これが、料理地獄?」


 私はもう一度問いかけるように呟いた。


 アゼルは厨房の奥を見つめながら、静かに答えた。


「罪の献立を煮詰め、苦しみを味わう儀式だ。食材は過去の記憶、調理は償いの工程。食べることは贖罪。焦げた料理は、歪んだ心の象徴だ」


 私は焦げた鍋の中身を見つめながら、首を振った。


「これじゃ、ただの食材虐待だよ。罪を煮詰めるって言うけど、腐った材料で焦がすだけじゃ、何も整わない。苦しみだけが残って、自分の罪と向き合えないただの苦行だよ。」


 アゼルは言葉を詰まらせ、黙って私の横顔を見つめていた。


 私は厨房の中央に立ち、手を腰に当てて言った。


「よし、まずは冷蔵庫の点検と鍋の洗浄から。罪の味を整えるなら、衛生と誠意が基本でしょ?」


 私は厨房の中央に立ち、まずは冷蔵庫の扉を開けた。中からは、腐敗した野菜と異臭を放つ肉が現れた。色も形も原型を留めておらず、食材というより“罰の塊”だった。


「……これ、食材って呼んじゃダメでしょ」


 私は鼻をつまみながら、使えるものと使えないものを分け始めた。アゼルが少し驚いたように言う。


「君、料理もできるのか?」


「うん。バイトのない日は私が食事係だった。お弁当も自分で作ってたし……メニュー決めて、買い出しして、下ごしらえして……って、地獄より忙しかったかも」


 私は笑いながら、錆びた鍋を洗い、包丁の刃を研ぎ直した。亡者たちは戸惑いながらも、私の動きをじっと見ていた。


「料理ってね、誰かのために作るものなんだよ。罪を煮詰めるより、心を込めて整えることが大事。そうすれば、食べる人の心に届く」


 私はそう語りながら、亡者たちに問いかけた。


「ねえ、みんな。覚えてる?最後に誰かのために料理した日のこと」


 しばらく沈黙が続いた後、一人の亡者がぽつりと呟いた。


「……娘の誕生日に、オムライスを作った。ケチャップで“おめでとう”って書いたけど、卵が破れて、泣かれた」


 私はその言葉に微笑みながら、冷蔵庫から卵とケチャップを取り出した。


「じゃあ、もう一度作ろうよ。今度は破れないように、丁寧に。罪も卵も、優しく包むのがコツだから」


 亡者は戸惑いながらも、卵を手に取った。鍋の火が、少しだけ柔らかく灯る。


 私は食材を並べながら、献立を再構成していく。亡者たちの記憶に寄り添いながら、“懐かしい味”を再現する試みが始まった。


 焦げた鍋の代わりに、澄んだスープ。腐った肉の代わりに、香ばしく焼かれた魚。異臭の漂う厨房が、少しずつ温かな匂いに包まれていく。


 アゼルはその様子を見つめながら、静かに呟いた。


「君の料理は、罪の味を記憶の味に変えていくんだな」


 私は鍋をかき混ぜながら、笑った。


「そう。料理って、罪も思い出も、全部混ざってる。でも、整えれば、誰かの心を揺さぶりそれは『思い出』になるんだよ」


 鍋の中で、スープが静かに煮立っていた。腐敗の匂いは消え、代わりに出汁の香りが厨房に広がる。亡者たちは、整えられた食材を前に、戸惑いながらも手を動かし始めていた。


 一人の亡者が、焦げた鍋を見つめながらぽつりと呟いた。


「これは……父に最後に作った味噌汁だ。塩を間違えて、喧嘩になった。あれが最後だった」


 私はその言葉にそっと耳を傾け、彼の記憶をたどるように材料を並べた。


「じゃあ、もう一度作ろう。今度は、ちゃんと味を整えて。誰かのために作るって、そういうことだよ」


 彼は震える手で味噌を溶かし、火加減を見ながら具材を入れていく。私は隣で見守りながら、静かに言った。


「焦げた記憶も、塩辛い後悔も、全部混ざってる。でも、整えれば、それは『思い出』となって、料理した人、食べた人の心に残るモノになるんだよ。料理って、そういうものだから」


 味噌汁が完成すると、彼は一口だけすくって、口に運んだ。次の瞬間、彼の目から涙がこぼれ落ちた。


「……あの日の味だ。父に、もう一度食べてもらいたかった」


 厨房が静まり返る。亡者たちはその涙を見つめながら、自分の鍋に向き直った。


 アゼルが私の隣に立ち、低く呟く。


「罪の味が、記憶の味に変わった……君の料理は、地獄に灯りをともすんだな」


 私は鍋の火を少し弱めながら、笑った。


「灯りっていうより、湯気かな。罪を煮詰めるんじゃなくて、温め直すの。冷えた心に、もう一度火を入れるために」



 味噌汁の湯気が、静かに立ち上る。亡者の頬を伝う涙は、鍋の縁に落ちることなく、彼の胸元で止まった。


 厨房の空気は、焦げと腐敗の匂いから、出汁と焼き魚の香ばしさへと変わっていた。亡者たちはそれぞれの記憶に基づいた献立を整え、自分で作った物を苦痛を浮かべて一人で食べるのではなく、互いに料理を振る舞い始めていた。


「これは……母が作ってくれた卵焼きに似てる」


「俺のは、妻が最後に作ってくれたカレー。……甘口だったんだ」


 食卓はなかったはずの地獄に、鍋を囲む輪が生まれていた。亡者たちは、罪の記憶を料理に込め、互いに差し出すことで、少しずつ心を開いていく。


 私は鍋の火を止め、布巾で取っ手を拭きながら、静かに呟いた。


「罪って、食べられるんだね。苦いままじゃなくて、整えて、誰かに渡せる形にすれば」


 アゼルは私の隣で腕を組み、厨房の様子を見渡していた。


「君が来てから、地獄に味がついた。……それも、優しい味だ」


 私は少し照れながら、鍋の蓋を閉じた。


「次はどこを温めようか。地獄、まだまだ冷えてるよ」


 アゼルは笑みを浮かべ、扉の向こうを指差した。


「次は、収納地獄かな。罪を詰め込んで、溢れさせる場所だ」


 私は頷き、エプロンの紐をほどいた。


「よし、次は整理整頓。罪も記憶も、しまい方が大事だからね」


 料理地獄の厨房に、静かな風が吹いた。湯気の向こうに、少しだけ光が差し込んでいた。


──料理地獄、改善完了。

仁菜は、次なる改革の地へと歩き出す。


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