地獄でアイロン掛け極めます!
洗濯地獄の改革を終えた私は、洗濯場の隅に立ち、澄んだ水面を見つめながら深呼吸をした。空気は少しだけ澄み、亡者たちの表情にもわずかな柔らかさが戻っていた。
その亡者達の落ち着いた顔を見ながら、私はアゼルの方へ振り返った。
「……次はどこに手を入れようか?」
改革の手応えに満足しつつ、私は次なる改善の地を探す。アゼルは小さく笑い、少しだけ考える素振りを見せた。
「洗濯地獄の次は……アイロン地獄かな」
「アイロン地獄?」
私は首を傾げた。洗濯の次にアイロンという流れは家事としては自然だが、地獄での“アイロン”とは一体どんな刑罰という名の『労働』になるのか?
アゼルに案内されて辿り着いたその場所は、岩壁に囲まれた蒸気のこもる作業場だった。亡者たちが黙々と、巨大なアイロンを手に、しわくちゃの衣を押し続けている。
だがその様子は、どこか異様だった。
アイロンは高温すぎて、衣は焦げ、蒸気は濁り、亡者たちの腕には火傷の痕が浮かんでいた。押しても押しても、しわは伸びず、むしろ焦げ跡が増えていく。
「……これが、アイロン地獄?」
その壮絶な光景に、私は目を疑った。
アゼルは静かに頷いた。
「罪の象徴である“歪んだ衣”を、熱で伸ばす儀式だ。歪みを正すことで、罪を整える……そういう意味合いだな」
私は焦げた衣を見つめながら、眉頭を寄せた。
「でもこれ、罪を整えるどころか、焼き増してるだけじゃない。火傷して、焦げて、形も崩れて……これじゃ、罪と向き合うどころか、罪に押し潰されてるよ」
アゼルは言葉を詰まらせ、黙ってアイロンの蒸気を見つめた。
私は一歩、作業場の中へ踏み出す。
「よし、じゃあまずは温度調整から。罪を整えるなら、焦がさず、丁寧に。ふわっと仕上げて、心も軽くしてあげなきゃね」
私は作業場の中央に置かれたアイロン台に近づき、焦げた衣をそっと持ち上げた。布地は硬く、焼け跡が黒く広がっている。蒸気は濁り、空気は重く、亡者たちの表情もどこか諦めに満ちていた。
「これじゃ、罪を整えるどころか、余計な罪作りだよ…」
私はぽつりと呟き、アイロンの温度調整ダイヤルに手を伸ばした。案の定、壊れていた。最大温度で固定され、蒸気の噴出口も詰まっている。
「まずは温度を下げて、蒸気を澄ませる。焦がさず、丁寧に。罪も衣も、ふわっと仕上げるのが理想でしょ」
工具箱を開き、私は手慣れた動きでアイロンの内部を分解し始めた。アゼルが驚いたように目を見開く。
「君……また慣れてるな」
「うん。昔、家族の制服とか、よくアイロンかけてた。父のシャツしわだらけでさ。母親に怒られたくないから、必死で伸ばしてた」
私は笑いながら、蒸気の噴出口に詰まった黒い塊を取り除いた。すると、アイロンからふわりと澄んだ蒸気が立ち上る。
亡者たちがざわつき始める。
「……蒸気が、白い」
「焦げない……?」
「これなら、ちゃんと整えられるかも……」
私はアイロン台に衣を広げ、ゆっくりとアイロンを滑らせた。焦げ跡の隣に、まっすぐな布地が現れる。
「罪って、焼き捨てるんじゃなくて、整えて残すものだと思う。形を整えることで、心も整う。もともとそういう儀式のはずだよ。さっきのやり方じゃ、罪に向き合うどころか、衣類をダメにして、罪を重ねる事になっちゃうよ」
アゼルはその言葉に、静かに頷いた。
「君のやり方は、罪を否定しない。でも、未来を肯定してる」
私は少し照れながら、アイロンをもう一度滑らせた。
「じゃあ、次は亡者たちにもアイロンを渡して、整える作業をしてもらおう。自分の罪を、自分の手で整えるの」
亡者たちは戸惑いながらも、アイロンを手に取り、衣を広げ始めた。焦げた布地に、少しずつまっすぐな線が生まれていく。
そのとき、一人の亡者がぽつりと呟いた。
「これは……俺が母に暴言を吐いた日の服だ。焦げ跡は、あの日の記憶だ」
私はその衣をそっと手に取り、焦げ跡の周囲を丁寧にアイロンがけした。
「焦げ跡は消えない。でも、整えることはできる。それが、償いの第一歩だよ」
彼の手元のアイロンが、ゆっくりと動き始める。
作業場の空気が変わっていく。焦げた蒸気の代わりに、静かな熱と香りが漂い始める。亡者たちは、整えられた衣を胸に抱きしめながら、静かに自分の罪と向き合っていた。
アゼルが私の隣に立ち、洗濯地獄のときと同じように、少しだけ笑みを浮かべる。
「君のやり方は、罪を否定しない。でも、未来を肯定してる。……それが、地獄に必要なものだったのかもしれない」
私は彼の言葉に、少し照れながら頷いた。
「じゃあ、次はどこを整えようか。地獄、まだまだ歪んでるよ?」
アゼルは空を見上げた。曇っていた空は、ほんの少しだけ、光を通していた。
「君がやりたいようにやればいい。俺は、それをできるだけ支える」
その言葉に、私は力強く頷いた。
アイロン地獄の風が、ふわりと衣を揺らす。
地獄の空気が、ほんの少しだけ、澄んだ気がした。




