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地獄の洗濯場を改革します!

――翌日。

闇鍋地獄を変えた私は、次なる仕事場を探すべくアゼルの職務室へ向かった。


部屋に入ると、かつて雑然としていた空間はすっかり片付き、書類は整然と並び、傾いていた棚もしっかりと立て直されていた。換気もされているのか、空気は以前よりずっと澄んでいる。


「よーし、現状維持! 現状維持!」


私は満足げに声を上げた。すると、アゼルが書類から目を離し、こちらに視線を向ける。


「今日は何をするんだ?」

 

 

「とにかく『黒の世界』は、衛生面が良くないから、そこを変えたいんだよね。不潔は万病の元ってね!」


 私は自分の格言を口に出して、腰に手を当て胸を張った。

 そんな私を見て、アゼルはなんだか楽しそうに喉の奥で笑った。

 そして、何か思案する様に考えこむと、唸るように


「衛生面か……じゃ、洗濯地獄にでも行ってみるか?」


 と、口に出した。


「洗濯……って、地獄にもあるんだ」


「あるとも。罪を洗い流す、という意味でな」


 案内されたのは、岩壁に囲まれた広い洗濯場だった。空はどんよりと曇り、風は湿って重い。そこには、無数の亡者たちが並び、巨大な洗濯桶に手を突っ込んでいた。桶の中には、血と泥にまみれた衣類が沈み、濁った水がぬるぬると波打っている。


 亡者たちは無言で、ただひたすらに衣をこすっていた。水は茶色く濁り、泡立ちもせず、悪臭が鼻をついた。


「……これ、洗ってるっていうより、汚れをなすりつけてるだけじゃない」


 私は眉をひそめて、桶の中を覗き込んだ。底が見えない。水は循環しているようだったが、フィルターは詰まり、機械の音もどこか怪しげだった。


「これ、フィルター壊れてるよね?」


「まあ、そうだな。だが、これは“罪を洗う儀式”だ。苦しみがなければ意味がない」


 アゼルは淡々と言ったが、私は納得できなかった。


「苦しみって……これ、ただの徒労じゃない。汚れが落ちないなら、罪と向き合うこともできないよ!

終わりのない作業は、確かに神経をすり減らして“刑罰”にはなるかもしれない。

でも、達成感のない作業は、ただの苦痛でしかなくて、何ひとつ報われないんだよ?

そんな作業を延々と続けさせたら、転生する前に神経衰弱起こしちゃうよ!

それに、汚れたものをきれいにする実感を得てこそ、初めて自分の罪を見つめ直して、反省することができるんじゃないの?

“罪を洗う”って、そういう趣旨だと思うんだけど……違う?」


 私の言葉に、アゼルは言い返すことができず、口をつぐんだまま何かを考え込んでいた。


 私はもう一度、濁った水を見つめる。そこには、何も映っていなかった。

自分の顔すら、見えないほどに。


「これじゃ、罪どころか、自分の姿すら見えないよ」


 私は濁った水を見つめながら、ぽつりと呟いた。アゼルは何も言わず、少しだけ視線を下におとした。


 その沈黙を破るように、私は腰に手を当てて言った。


「よし、まずは水から!この洗濯場、フィルター壊れてるんでしょ?直すよ!」


「待て、勝手に機械をいじるのは——」


「勝手じゃない。改善よ!」


 私は洗濯場の隅に積まれていた工具箱を見つけると、迷いなく手を伸ばした。亡者たちがざわつく。アゼルはため息をつきながらも、工具の使い方を簡単に説明してくれた。


 フィルターの蓋を開けると、そこには泥と血の塊がびっしり詰まっていた。私は顔をしかめながらも、ゴム手袋をはめて一つ一つ取り除いていく。


「うわ……これ、何年分の汚れ?」


「地獄に年数の概念はないが……長いこと放置されていたのは確かだな」


 実は一人暮らしのせいか、こう言う生活器具の修理は結構手馴れてる。

 私はフィルターを洗い、配管を通し直し、循環装置を再起動すると、濁った水が少しずつ澄んでいく。亡者たちが驚いたように水面を覗き込む。


「……顔が、映った」


 誰かがそう呟いた。


 私はにっこり笑って言った。


「でしょ?罪を洗うって、自分の姿を見つめることから始まるんだよ」


 その後、私は手動式の洗濯機にも目をつけた。回転軸が歪み、排水口が詰まっていた。アゼルが工具を渡してくれると、私は慣れた手つきで分解を始めた。


「君、手馴れてるな」


 アゼルがぽつりと言う。


「うん。一人暮らしだったからね。こう言う家電の修理は、修理屋に頼むこともあるけど、お金かかるから、なるべく自分でやってたら、いつの間にか大抵のものは直せるようになったんだ。」


洗濯機の排水が流れ出す音が、洗濯場に心地よいリズムを刻んでいた。澄んだ水が桶に満ち、亡者たちの手元の衣が、少しずつ本来の色を取り戻していく。


「……落ちてる。汚れが、本当に落ちてる」


 誰かがそう呟いた瞬間、周囲の亡者たちがざわめいた。彼らは手を止め、衣を持ち上げて見つめる。血と泥にまみれていた布地が、白に近づいている。


 一人の亡者が、洗い終えた衣を顔に近づけて、そっと目を閉じた。


「……これ、母が洗ってくれた匂いに似てる」


 その言葉に、私は手を止めた。

 胸の奥が、なんだか締めつけられる。


「洗濯って……誰かのためにするものだったんだよね」


 私はぽつりと呟いた。思い出すのは、家族の洗濯物を干していたあの頃。冷たい洗濯物と格闘するように濡れた洗濯物を干していたあの日々……


 アゼルが私の横顔を見つめていた。


「君が来てから、地獄が少し人間らしくなった気がする」


 私は照れくさくて、洗濯機のハンドルを回すふりをした。


「ふふ、地獄だって清潔にしたら、ちょっとはマシになるでしょ?」


そのとき、洗濯機の回転が急に不安定になり、私はバランスを崩した。


「わっ、また滑った!」


 反射的にアゼルが手を伸ばす。私は彼の腕の中に倒れ込み、二人して洗濯桶の縁にぶつかる。


そのとき、洗濯機の回転が急に不安定になり、私はバランスを崩した。


「わっ、また滑った!」


 反射的にアゼルが手を伸ばす。私は彼の腕の中に倒れ込み、二人して洗濯桶の縁にぶつかる。


「っ……!」


「なんだ?なんか柔らかい?」


 アゼルが洗濯物にまみれながら、私の胸をもんでいる。  


 「アゼル――!なにすんのよー!」


 洗濯物で前が見えてないアゼルのほほを反射的に思いっきり叩く。


 パシーン!という音が、洗濯機の回転する音と共に洗濯地獄内に響き渡る。  顔にかかる洗濯物をはらい落として、アゼルはようやく自分の身に降りかかった不幸な事件と私の胸を揉んでいたというアクシデントに気づいた。


 アゼルは顔を真っ赤にしたまま、洗濯物の山から半分だけ顔を出していた。


「……す、すまん。完全に……事故だった……」


「事故でも!揉んだ事実は消えないからね!」


 

私は怒りと羞恥心が入り混じった顔で洗濯物をぶんぶん振り回しながら、アゼルから距離を取った。亡者たちは洗濯桶の手を止め、固まったままこちらを見ている。


「おいおい、またラッキーエロ発動ですかぁ?」


 スーツのズボンのポケットに手を突っ込み、大股でやってきたセロスが、洗濯機の中を覗き込みながらニヤついた。


「毎回イチャコラこいてんじゃねーぞ、お二人さん!

 ワイにもそんなイベント、用意してほしいわ!」


 けっと吐き捨てるように言い放つセロス。その声に反応するように、洗濯槽を覗き込んでいた亡者たちが次々と呟き始める。


「地獄で一番罪深いの、あの人じゃ……?」


「いや、揉んだのは案内人の方……」


「でも叩いたのは女の子の方……」


 ざわざわとした空気が洗濯場に広がる。私は顔を真っ赤にしながら、洗濯機のハンドルを回すふりをして誤魔化した。


「もう!いいから!洗濯に集中して!」


 アゼルは洗濯物を抱えたまま、そっと背を向けた。耳まで真っ赤だった。


 しばらくして空気が落ち着くと、亡者たちは再び洗濯に向き合い始めた。澄んだ水の中で、衣が静かに揺れている。


 私は深呼吸をして、洗濯桶の中の衣を持ち上げた。血と泥にまみれていたそれは、少しずつ白さを取り戻していた。


「……うん、ちゃんと落ちてる」


 澄んだ水の中で、衣がゆっくりと揺れていた。血と泥にまみれていたそれは、白さを取り戻しながら、まるで罪が剥がれ落ちていくようだった。


 隣の亡者が、洗濯桶の水面を見つめながら呟く。


「こんなに澄んだ水……地獄に来てから初めて見た」


 私は、洗濯機のハンドルを回しながら、静かに言った。


「罪を洗うって、ただ苦しむだけじゃない。自分の手で汚れを落として、自分の罪と向き合うこと。それが、本当の“償い”なんじゃないかな」


 亡者たちは黙って頷き、再び衣を手に取った。水音が、静かに洗濯場に響く。


 アゼルは少し離れた場所で腕を組み、私の背中を見つめていた。


 私はもう一度、洗濯桶の水面を見つめた。そこには、はっきりと自分の顔が映っていた。

 血も泥も、もうそこにはなかった。澄んだ水が、私の目をまっすぐに映していた。


 その瞬間、洗濯場の奥から、乾燥機の試運転音が響いた。アゼルが工具を片手に、配線を調整している。


「……動いた。風も熱も、ちょうどいい」


 彼がそう呟くと、亡者たちが洗い終えた衣を手に、乾燥機の前に並び始めた。

 機械の中で、衣がふわりと舞い、回転するたびに、柔らかな蒸気が立ち上る。


「……あったかい」


「ふわふわだ……」


「これが……地獄の仕上がり……?」


 亡者たちの顔に、ほんの少しだけ、安堵の色が浮かぶ。

 誰かが、乾いた衣を胸に抱きしめて、ぽつりと呟いた。


「……罪を洗って、乾かして、抱きしめる。こんな地獄、初めてだ」


 私はその言葉に、静かに微笑んだ。


「そう。罪って、ただ罰するだけじゃなくて、向き合って、受け止めて、乗り越えるものだと思う」


 アゼルが私の隣に立ち、洗濯場を見渡す。


「……君が来てから、地獄が少しずつ変わってる。空気も、亡者も、俺も」


 私は彼の言葉に、少しだけ照れながら頷いた。


「じゃあ、次はどこを洗おうか。地獄、まだまだ汚れてるよ?」


 アゼルは腕を組み、空を見上げた。曇っていた空は、ほんの少しだけ、光を通していた。


「君がやりたいようにやればいい。俺は、それをできるだけ支える」


 その言葉に、私は力強く頷いた。


 洗濯場の風が、ふわりと衣を揺らす。

 地獄の空気が、ほんの少しだけ、澄んだ気がした。


──洗濯地獄、改善完了。

次なる改革の地へ、仁菜は歩き出だす。





 

 


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