5.新しい家(2)
リゼは、セレスティア帝国に嫁ぐ一ヶ月ほど前から、フェンリルとヴェンヌに『絶対にあなたたちは連れて行かない。ついてこないで』と言い聞かせていた。
二匹を連れ立って皇城に入り、万が一、血濡れの皇帝に精霊王の存在が知れたら、どうなるかわかったものではない。リゼにとって、これ以上、大切な家族を失うことは耐えられなかった。
だからリゼは、自分の覚悟を固めるためにも、この一ヶ月間、毎日のように『もうすぐお別れだよ』『私のことは忘れて自由に生きるんだよ』と二匹に言い聞かせた。もちろん二匹は反対したが、リゼは折れなかった。
その後、いつの間にかフェンリルとヴェンヌ『ついて行く』と言わなくなったので、てっきり納得したのかとばかり思っていたが、リゼがあまりにも頑なだったので、彼らはただ了承したフリをしていたらしい。
『帰れって言っても帰らないからな! そもそも、精霊王が人間ごときに殺されるなんて、あり得ないってのに、俺たちを置いていこうとするんだから、全く困った奴だぜ』
フェンリルは腕組みをしながら、口をへの字に曲げている。確かに精霊王であるフェンリルやヴェンヌが人間に負けるなんて想像できない。しかし彼らは、リゼに危険が及べば、身を挺して守ろうとする。だからこそ怖かった。
ためらうリゼを、ヴェンヌが優しい声で諭す。
『お願いだから、リゼのそばにいさせて。僕たちは、絶対に死なない。リゼの前からいなくなったりしないから。ね?』
「……うん」
リゼは小さく頷いた。
二匹に力強い視線で見つめられ、絶対に死なないという言葉に背中を押されたリゼは、彼らと共に暮らす決意をした。しかし、決めたはいいが、ここからどうしようか。まずは、この屋敷に動物を連れ込んでいいか、許可を取らねばならない。
リゼが後ろを振り返ると、エリンと目が合った。少し離れた場所で、ずっと見守ってくれていたようだ。リゼが落とした片方の靴も拾ってくれている。
「その可愛らしい狼さんと小鳥さんは、リゼ様のお知り合いですか?」
リゼはフェンリルとヴェンヌを抱えたまま、エリンに向き合った。しばらく言葉に迷った後、勇気を振り絞って口を開く。
「あの……この子達もここに住むことって、できますか……? 私の……大切な家族、なんです」
母以外の人間にお願いをするのは、これが初めてかもしれない。リゼの心臓はバクバクと痛いほど激しく鳴った。
一方のエリンはというと、なんとも驚いたように目を見開いている。その様子を見て、リゼは激しく後悔した。与えられた家で動物を飼うなど、そんな勝手なことは許されるはずがない。自分は、人質同然の身分なのだから。
リゼは少しの沈黙も耐えられず、慌てて言葉を返す。
「さ、さすがに難しいですよね。あの、この子たちが住めるところ、探します。近くに森はありますか? そこに小屋を作って、そこで私も、この子達といっしょに……」
「リゼ様」
エリンはリゼの言葉を遮ると、ゆっくりと近づいてきた。リゼの目の前まで来ると、彼女はその場でひざまずき、まずは脱げた靴をリゼに履かせる。そして、そのままリゼを見上げ、優しく微笑んだ。
「大切なご家族と一緒に住めないなんてこと、あってはいけません。すぐにお部屋の準備をいたしますね」
「え? いいん、ですか……?」
「はい。陛下への許可は取っておきますので、ご安心ください」
(フェンリルとヴェンヌと……また一緒に暮らせる……)
リゼの心が一瞬にして希望に満ちた。こんなに嬉しい日は、ここ一年間、一度もなかった。今日はなんて良い日なんだろうと、幸せすぎて逆に不安になるくらいだ。
「リゼ様。よろしければ、私にもご挨拶させていただけませんか?」
「も、もちろんです!」
リゼの返事を聞いて、エリンは立ち上がり、フェンリルとヴェンヌと目線を合わせた。
「私はリゼ様の侍女の、エリン・シズリーと申します。よろしくお願いしますね。なんとお呼びすればよろしいでしょうか?」
「狼の子がフェンリルで、小鳥の子がヴェンヌです」
「とても素敵なお名前ですね」
家族を褒められて嬉しくなったリゼは、思わず顔を綻ばせる。すっかり舞い上がってしまい、この時フェンリルとヴェンヌがどんな表情をしているのか、全く見ていなかった。
* * *
その後、リゼは精霊王二匹とともに屋敷に入り、エリンに各部屋を案内してもらった。
開放感あふれる玄関ホール。綺麗に整えられた食堂に、品の良い応接室。そして、大きな窓が特徴的なサロン。落ち着いた書斎があったかと思えば、一体何着入るかわからない広さの衣装部屋まで。間違いなく、今までの人生の中で最も豪華な家だ。
リゼの自室はというと、屋敷の外観と同様、白と水色を基調とした可愛らしい部屋だった。天蓋のついた大きなベッドに、ふかふかのソファセット、可愛らしいドレッサー。この空間にいるだけで、心が踊る。
自室は二階に位置しているので、バルコニーからは外の風景がよく見える。窓を開けていると、柔らかな風が入ってきて、心地がいい。
今日はもう夕食までやることはないと、自由時間を得たリゼは、寝台に寝転がってくつろいでいた。フェンリルのぷにぷにの肉球と、ヴェンヌの触り心地の良い羽を撫でながら、久しぶりの彼らとの会話を楽しむ。
「裏庭に畑があるみたい。お花を植えてもいいけれど、せっかくなら食べ物がいいよね。フェンリル、ヴェンヌ、何を育てようか。何が食べたい?」
『芋! 焼いて、バターをたっぷり塗って食おう!』
『ううん、僕は野菜がいいかな。トマトが好き』
「芋とトマト……うん、素敵!」
精霊は主に魔力をエネルギー源とするため、人間のような食事は本来不要だ。精霊が食事をする場合、それはただ嗜好品を楽しんでいるに過ぎない。
フェンリルとヴェンヌは、リゼが寂しくならないよう、昔から共に食卓を囲んできた。だから、人間の食べ物もよく知っている。
『でも、肉もいいな。森ではよく狩りをしてたけど、ここ最近はさっぱりだ』
フェンリルがかわいい舌でぺろりと自分の口元を舐める。彼は狩りが得意で、一緒によく森の奥深くへ入ったものだ。
「また一緒に狩りをしたいね。近くに山があればいいんだけど。エリンさんに聞いてみようかな」
リゼが何気なくそう言うと、フェンリルが渋い顔をした。
『あのエリンとかいう女、ただの侍女じゃないぞ』
「え?」
『うん。相当な手練だ。気をつけて』
ヴェンヌも顔を険しくしている。
「でも……すごく優しかったよ」
反論したものの、リゼは途端に不安になった。優しいフリをして油断させておいて、あとでひどい仕打ちをしてくるのかもしれない。ウィンター王城でも、そういった人間がいた。
表情を暗くしたリゼに、二匹は言い過ぎたと思ったのか、途端に慌てだす。
『悪いリゼ、余計なこと言った。まだ敵だと決まったわけじゃない。強いだけの、本当に優しい人間なのかも』
『そうそう。彼女はリゼの護衛を兼ねているだけかもしれない。まずは様子を見よう』
「うん……わかった」
その後、夕食時にエリンに会ったが、フェンリルとヴェンヌの言葉がどうも引っ掛かり、彼女とはあまり会話せずに終わった。狩りができるような山があるか、聞くに聞けなかった。
夕食を終え湯浴みを済ませると、リゼは強い睡魔に襲われた。その日リゼは、フェンリルとヴェンヌを抱きしめながら泥のように眠った。




