4.新しい家(1)
ルーファウスとの謁見後、リゼは別室に移り、早速侍女を紹介された。
「私はエリン・シズリーと申します。リゼ様にお仕えできること、大変嬉しく存じます。この城でお困りのことがあれば、なんなりとお申し付けください」
柔らかい笑顔で挨拶をした彼女は、ブロンドの髪の優しげな女性だった。リゼよりずっと長身で、スタイルがいい。年齢はリゼの二つ上で、十八歳らしい。まだ若いのに、ルーファウスが信頼を置く侍女だそうだ。
「こちらこそ、よろしくお願いします。エリンさん」
「敬称も敬語も不要です。気軽にエリンとお呼びください」
「わ、わかりました、エリン。あの、敬語は……その……慣れたら、そうします」
リゼは、ウィンター王城では、国王相手でも、使用人相手でも、誰に対しても敬語を使っていた。そのため、他人には敬語を使わないと落ち着かないのだ。
「承知しました。ゆっくりで構いません。リゼ様のペースで、少しずつ慣れていきましょう」
エリンは優しい言葉をかけてくれた。主人から距離を置かれたと不快に思ってもおかしくはないのに、彼女は冷たい視線を向けてこない。彼女の言葉も、視線も、表情も、とても温かい。
(……こんな心優しい人もいるんだな)
リゼは驚いていた。
森を出てから出会った人々は、誰も彼もがリゼに冷たかった。そのため、他の人々も皆同様で、優しさを持つ人間は世界に母しかいないと思っていたのだ。しかし、その認識は誤りだと、リゼは今になって初めて気がついた。
「では早速ですが、リゼ様のお住まいにご案内いたしますね。お疲れだと思いますので、皇城内の紹介はまた明日にでも」
リゼはエリンに連れられ、一度皇城の外に出た。城門のある、リゼが最初にこの城に入ってきた出入り口とは反対側の、皇城奥の敷地に足を踏み入れる。
まず見えてきたのは、色とりどりの花々が咲き誇る、美しい庭園だ。甘い香りが風に乗って、リゼの髪をそっと撫でる。どの植物も丁寧に手入れされており、庭師の腕の良さがうかがえた。敷地も広く、ウィンター王城の庭園の五倍はありそうだ。
庭園を抜けしばらく歩くと、中央に伸びる道の両側に、立派な屋敷が二つ見えてきた。
「右側が、セレスティア帝国のゼゼル公爵家ご令嬢、マリーナ様の屋敷です。そして左側が、ステイリー王国第二王女、シャーロット様の屋敷です」
右側――マリーナ妃の屋敷は、白と深緑で統一された洗練された造りだ。一方左側のシャーロット妃の屋敷は、落ち着いたブラウンの、無駄のないシンプルな造り。妃の好みや人柄を表しているのかもしれない。
この城には、リゼを含め四人の妃がいる。うち三人は、セレスティア帝国の属国の姫たちだ。そして、帝国の然るべき地位の令嬢も一人、必ず妃に選ばれる。四人の妃の中で、最も早く世継ぎを生んだ者を正妃とするのが、この国の習わしなのである。リゼ以外の三人は、半年以上前から妃としてここに住んでいると聞く。
「明日、妃を集めたお茶会がございますので、挨拶はその時にいたしましょう」
お茶会という単語に、リゼの胃が再びキリキリと悲鳴を上げる。妃教育の中で、お茶会は三本の指に入るほど嫌いだった。その場で何を話せばいいのかわからないのだ。知らない人と話すのも怖かった。
リゼの異変を察知したのか、エリンが優しく微笑みかけてくる。
「大丈夫です。お茶会では私もそばに控えておりますので」
彼女の笑顔に、胃痛が和らぐ。
「ありがとう、ございます……。頑張ります」
「では明日に備えて、早くお休みしましょう。ささ、リゼ様のお屋敷はもうすぐです」
エリンに導かれ、もうしばらく進むと、また二つの建物が見えてきた。右側には、赤い屋根が印象的な豪奢な造りの屋敷。そして左側には、白と水色のかわいらしく落ち着いた屋敷。
「右側が、ダウデン王国第一王女、アンジェリカ様のお住まいです。そして左側が、リゼ様がこれからお過ごしになるお屋敷です」
リゼは新しい自分の家を前にして、思わず目を丸くする。他の妃の屋敷もどれも非常に立派だったので薄々予感はしていたが、まさか自分がこんなにも大きな家に住む日が来るとは。
「こ、ここに、一人で住むんですか……?」
「ええ、左様でございますよ。正確には、私も侍女として、住み込みでリゼ様のおそばにおりますが。あとは門の前に、衛兵を常時二人つけております」
件の衛兵と目が合うと、二人は揃ってリゼに敬礼をした。リゼは彼らに「よろしくお願いします」と軽く頭を下げてから、門をくぐり、敷地の中に入る。
「うわあ……素敵……」
広い芝生の奥には、白壁に水色の屋根の建物。リゼは森かウィンター王城にしか住んでいなかったので、一般的な貴族の屋敷がどんなものかよく知らないが、この城に来る道中に見たどの屋敷よりも、間違いなく大きかった。一体いくつ部屋があるのだろうか。窓の数から考えても、かなりの部屋数がありそうだ。
早速リゼが玄関に向かおうとしたその時、突然エリンの顔つきが険しくなり、彼女はリゼの前にサッと飛び出た。
「お待ちください、リゼ様。動物が入り込んでいます。お下がりください」
エリンの動きは実に俊敏だった。ただの侍女とは、とても思えないほどに。彼女の背中からは、強い警戒の色が伺える。
リゼは少し横にずれて、エリンの背中越しに玄関の方を見た。
「…………っ」
リゼは息をのみ、自分の目を疑った。なんと、美しい白銀の毛並みを持つ小型犬サイズの狼と、輝かしい黄金色の羽を持つ小鳥が、玄関前に鎮座していたのだ。
「フェンリル……ヴェンヌ……」
リゼは気づけば玄関に向かって走り出していた。「リゼ様!?」と驚くエリンの声も、脱げてしまった片方の靴も、気に留めない。
玄関前にたどり着いたリゼは、勢いのまま二匹を思いっきり抱きしめた。
「フェンリル……ヴェンヌ……会いたかった。会いたかったよ……」
リゼは声を絞り出した。家族との再会に、涙があふれて止まらなくなる。
嗚咽を漏らすリゼの腕の中にすっぽり収まった二匹の精霊王は、困ったように声を上げる。
『わかった。わかったから、泣くなって』
小さい狼の姿の陸の精霊王――フェンリルが、ふわふわの腕でリゼの涙を拭う。彼の声は、今この場ではリゼにしか聞こえていない。普通の人間には、狼が小さく鳴いているようにしか聞こえないだろう。
もちろん、偉大な精霊王は人間の言葉で話すこともできるが、今は精霊術師にしかわからない言葉で話している。
一方で、その姿は人間にも――エリンにも見えている。本来、精霊は人間の目には見えないのだが、その意思によって、精霊術師でない普通の人間にも見える姿に変身することができるのだ。
『せっかく可愛くおめかししているのに、化粧が落ちちゃうよ?』
小鳥の姿の空の精霊王――ヴェンヌが、柔らかい羽でリゼの頬を撫でる。彼の言葉も、普通の人間には鳥がさえずっているようにしか聞こえない。
「どうして、ここにいるの?」
リゼは鼻をすすりながら尋ねた。腕の中にいるフェンリルが、さも当然というように答える。
『なんでって、お前が心配だからに決まってんだろ?』
そして、ヴェンヌが続く。
『リゼと離ればなれになるなんて、絶対に嫌だったしね。最初からついて行くつもりだったんだ』




