2.血塗れの皇帝
ウィンター王城を出て五日、リゼはようやくセレスティア帝国の皇都に到着した。
(建物、大きいな……。人がたくさん……)
リゼは馬車の窓から皇都の街並みを眺め、その規模に驚いた。ウィンター国の王都とは比べ物にならない。流石は大陸一の大国だ。
住宅街には最新の建築様式の家々が建ち並び、商店街には洗練された店が数多く軒を連ねている。石造りを基本としたこの街は、空から降り注ぐ日の光を浴び、美しく輝いている。
リゼの鬱屈とした気分に反して、今日は晴れ渡っており、外の景色はあまりにもまぶしい。
美しい石畳が敷かれた大通りには、たくさんの人々が生き生きとした様子で歩いている。誰も彼もが立派な服を着ており、帝国の豊かさが垣間見えた。
(……みんな、幸せそう)
自分とは縁遠いその光景をぼんやりと眺めながら、リゼは無意識に小さな溜息をついた。色鮮やかな街並みのはずなのに、リゼの目にはどこかモノクロに映っていた。
連日馬車に揺られているせいで、腰やお尻が痛い。早く着かないだろうかと、リゼはまた溜息をつく。丘の上にある皇城はずっと見えているのに、一向に近づかない。街からでもはっきり見えるということは、よほど大きいのだろう。
馬車はそれから二十分ほどで皇城の城門に到着した。城の大きさに比例して、城門もかなりの大きさだ。御者が門の前にいた衛兵と何やら言葉を交わしているかと思えば、門がギギギと音を立てながら開かれた。
馬車は門をくぐり、またしばらく走り続ける。
皇城の入り口までの道は、馬車が何台もすれ違えるほど広く、道の左右には丁寧に整備された芝生が広がっている。これほどの広さの芝を管理するにはどれほどの庭師が必要なのだろうと、リゼはどうでもいいことをぼんやりと考えていた。
程なくして馬車が皇城の入り口前で止まった。
リゼが馬車を降りると、身分の高そうな一人の紳士が出迎えてくれた。その後ろには、近衛兵がずらりと整列している。
「ようこそセレスティアへ。私は宰相のコーネリアス・アシュトンと申します。我ら一同、心より歓迎いたします」
コーネリアスは恭しく挨拶をした。そばに控える近衛兵たちも、皆とてもにこやかだ。
リゼは、「ああ、この人が」と、記憶の中の名前を思い出す。ウィンター王城での妃教育で、帝国の主要貴族の名は全て覚えさせられた。
「はじめまして。ウィンター王国第二王女、リゼ・ウィンターと申します。温かい歓迎のお言葉、感謝いたします」
リゼはその場で姿勢よく一礼した。この一年間、体に鞭を打たれ、厳しく礼節を叩き込まれたリゼは、誰が見ても美しい作法を身に着けていた。
リゼの所作に満足したのか、コーネリアスの表情がさらに柔らかくなる。
「長旅、お疲れ様でございました。お荷物をお運びいたします」
(この人は、怖くなさそう……)
物腰柔らかいコーネリアスに安堵しつつ、リゼは控えていた彼の従者に鞄をひとつ渡した。荷物のあまりの少なさに、従者は「これだけですか?」と驚いていたが、リゼがこの国に持って来られるものなど、ほとんどありはしなかった。王女でありながら、宝石の一つも与えられなかったからだ。鞄の中身は、最低限の衣服くらいである。
リゼを送り届けたウィンター城の使者たちは、コーネリアスに簡単な挨拶を済ませた後、自分の役目は終わったと言わんばかりにすぐさま来た道を戻って行く。当然のように、リゼには一言の挨拶もなかった。皆、冷たい軽蔑の視線をリゼに向けただけだった。
どんどん遠ざかって行く彼らを見ても、薄情だとは思わなかった。もう二度と会うこともないだろう。
リゼは振り返り、改めて皇城を見る。視界全体に収まりきらない大きさだ。白い石造りの城は荘厳で美しく、歴史を感じさせる趣がある。
(ウィンター王城の何倍あるのかな……迷子になりそう)
「リゼ様」
名を呼ばれ、リゼはコーネリアスに向き直る。
「お疲れのところ申し訳ないのですが、まずは陛下の元へご挨拶に」
コーネリアスが指し示す先には、皇城の大扉があった。とうとう、血濡れの皇帝に会わねばならないようだ。強い不安に駆られ、リゼは思わず両手を胸に当てた。ひとつ深呼吸をして、無理やり自分を落ち着かせる。
「承知いたしました」
意を決して、リゼはセレスティア皇城へ足を踏み入れるのだった。
* * *
謁見の間には、広い空間の中央に深紅の絨毯が敷かれ、その奥の壇上に玉座が鎮座している。そして、絨毯の左右には、立派な衣装を着た貴族たちがずらりと並んでいた。大臣や近衛騎士団長といった、高い役職を持つ皇城務めの者たちだろう。
リゼはというと、深紅の絨毯の上で静かに皇帝の到着を待っていた。当然、貴族たちの視線はリゼに集中している。値踏みされるような視線に囲まれて、リゼの胃はキリキリと痛んだ。間違っても誰かと目を合わせないよう、ただ床だけを見つめる。
「皇帝陛下、ご入場」
儀礼官の厳かな声の後、コツコツと足音が近づいてくる。一瞬にして、この場の空気が張り詰めた。そしてすぐに、皇帝が玉座に座る衣擦れの音が耳に届いた。
――すぐそこに、自分の夫となる人がいる。
リゼは全身が震えそうになるのを堪えるため、小さく拳を握った。
「面を上げよ」
よく通る低い声だった。聞き心地の良いその音に導かれ、リゼは自然と頭を上げる。
(……綺麗な人)
闇夜のような黒髪に、月のような金色の瞳。切れ長の目に、スッと通った鼻筋。足を組み悠然と玉座に座る彼は、リゼがこれまで見た人間の中で最も美しい造形をしていた。彼の肩から垂れるマントにはいくつもの勲章が輝き、彼の権威と威厳を静かに語っている。
そして、彼の周囲は、黄金色に輝いていた。比喩ではなく、いくつもの黄金色の光の粒が、彼の周囲に漂っているのだ。それがなんとも言い難い神聖な光景を生み出していた。
しかし残念ながら、その光景はリゼにしか見えていない。光の粒の正体が、雪虫のようにふわふわとした黄金色の小精霊だからだ。
小精霊は明確な意思を持たず、会話することもできない。ただ自分が好むものの近くに集まる習性を持つ。
(この人が、血濡れの皇帝、ルーファウス・ガートライト……)
彼の瞳は冷たい鋭さを帯びている。まるでこちらを見定めるような視線だ。
リゼは指先まで神経を集中させ、その場で最大限丁寧な一礼をする。
「お初にお目にかかります。ウィンター王国第二王女の、リゼと申します」
挨拶の練習は、毎日欠かさなかった。第一印象が大事だからと、教育係に特に厳しく指導されたのだ。
リゼの緊張は、この時には随分と解けていた。ルーファウスの周囲に、あの小精霊たちを見たおかげだろう。
血濡れの皇帝と呼ばれているから、どんなに恐ろしい人物なのだろうと思っていたが、ルーファウスはきっと悪人ではない。精霊には人の善悪を見分ける力がある。悪人なら、あんなにたくさんの小精霊が彼の周囲に集まるはずがない。
(……優しい人だと、いいな)
そんな期待を抱きながら顔を上げると、ルーファウスは目を眇め、冷笑していた。
その瞳にドキリとし、全身が一気に硬直する。
「これは、とんだ子ウサギが来たものだ」
嘲りを含む言葉に、リゼは思わず俯いた。きっと今、自分は、幼いと罵倒されている。




