25.ウィルバートの憎悪
「わかんないよ、そんなこと……」
リゼは自分で自分の気持ちがわからなくなっていた。
自由を得るために、正妃になることを回避し、この国を出ていこうとしていたのに、今ではずっとこの城にいてもいいのではないかと迷い始めている。
避妊魔法は解いていないのでルーファウスの子を身ごもることはないが、毎日のように彼に会うたび、そして彼に求められるたび、いくら体を重ねても妊娠しないのにと、罪悪感を抱くようになった。
時折世継ぎのことが話題に出ると、リゼはただ曖昧な笑みを返すことしかできなかった。どういう反応をすればいいかわからず、困ってしまうのだ。
彼を騙し続けるのはよくないと思いつつ、答えが出せないでいる。
『リゼがいたいと思う場所にいればいい』
『そうだよ。僕たちはリゼが幸せならなんだっていいんだ』
『焦らずゆっくり考えればいいのよ。私たちはいつだって、リゼの味方なんだから』
フェンリルも、ヴェンヌも、ウンディーネも、子を見守る親のような表情をする。三匹に見守られ、リゼの胸の奥がじんわりと温かくなる。
「ありがとう、みんな」
この城に残るかどうかの結論は、まだ出せそうにない。だからまずは、前皇帝殺害の黒幕を追い詰める材料を集め、彼の力になりたい。
「あのね、ウンディーネ。フェンリルとヴェンヌにはもうお願いしたんだけど、ひとつ調べて欲しいことがあるの」
それからリゼは、前皇帝殺害事件について、ウンディーネに事情を説明し、とある調査を依頼した。「宮廷晩餐会の夜、リゼを池に突き落とした犯人を見つけ出してほしい」というものだ。
ヴェンヌの眷属によると、犯人は「ローブをまとった小柄な人間」だったという。しかし、顔がわからないので捕まえようがなかった。
そのためリゼは、より詳細な情報を得ようと、精霊王たちに協力してもらうことにしたのだ。陸海空を統べる三匹の精霊王であれば、眷属を使ってあらゆる情報を入手できるだろう。
一方、リゼはリゼで調査を進めることにした。
まず、池に突き落とした犯人は、リゼが皇帝の子を身ごもると都合の悪い人物だと仮説を立てた。そこで真っ先に考えられるのは、正妃を狙う他の妃たちだ。
ダウデン王国第一王女であるアンジェリカは、国に帰って想い人と再会したいという願望を持っているため、犯人候補からは除外した。
残る二人は、ステイリー王国第二王女のシャーロットと、ゼゼル公爵家長女のマリーナだ。
リゼはその二人に、個人的なお茶会の誘いを出した。会話の中で何か掴めるものがあるかもしれないと思ってのことだ。
ウィンター王城での暮らしのせいで人と話すことが苦手になってしまったが、ルーファウスやエリン、アンジェリカと話すうち、随分と抵抗感がなくなっていた。森の中で暮らしていた時のような明るさを、リゼは取り戻しつつあったのだ。
しかし、噂によれば、シャーロットは公式な場以外では滅多に人と会わないらしく、誘いに乗ってくれる望みが薄い。まずはマリーナと話すことになるだろうと、リゼはそう推測していた。
そして、招待状の返事を待っていた、とある日の昼下がりのこと。
リゼがいつものように裏庭で畑仕事をしていると、突然「ぎゃあっ!」という叫び声が聞こえてきた。聞いたことのある少年の声だ。
何事かと思い声がした方に視線を向けると、屋敷を囲う柵の外に、一人の少年が伸びて倒れているのが見えた。慌てて駆け付けたリゼは、その顔を見て大いに驚く。立派な衣装を着たその少年は、なんと皇弟ウィルバートだったのだ。
ウィルバートの額には出来立ての切り傷があり、彼の足元には手のひらサイズの石が転がっている。もしかしたら、屋敷に石を投げようとしたが結界に弾かれ、自分で食らってしまったのかもしれない。
リゼが池に落とされた一件以降、この屋敷にはルーファウスが施した強固な結界が張られている。悪意のあるものは決して立ち入れず、外部からの攻撃も弾くというものだ。ウィルバートはそのことを知らなかったのかもしれない。
『リゼ、この子供は?』
ウンディーネが後ろから覗き込むように、ウィルバートの顔をまじまじと見ている。リゼは振り返り、彼女に頼みごとをする
「ルーファウス様の弟君よ。気を失っているみたいだから、とりあえず屋敷に運びたいんだけど、少し魔力をもらってもいい?」
『悪意のある者は、この屋敷に入れないんじゃなかった?』
「気を失っているなら、きっと大丈夫かなって」
正直言うと、リゼはウィルバートと一度話がしてみたかった。何とかしてルーファウスへの憎悪を取り除けないかと思ってのことだ。真相は伝えるなとルーファウスに口止めされているので難しいことではあるのだが、このまま誤解させておくのも違う気がしていた。
『わかったわ。いくらでももらってちょうだい。我らが愛し子』
リゼはウンディーネと手のひらを重ねた。彼女の手はひんやりと冷たく、心地がいい。リゼが自分の魔力をほんの少し分け与えると、彼女から澄んだ魔力が清らかな川のごとく流れ込んでくる。
もらった魔力量があまりに多いので、リゼは苦笑した。
「こんなに要らないよ」
『多いに越したことはないでしょう? リゼに魔力をあげるのは久しぶりだから、つい、ね』
ウンディーネは目を眇めて笑うと、そのまま池に帰っていった。
リゼは周囲を確認し、誰も目もないことを確認してから、ウィルバートに浮遊魔法をかけた。彼の体はふわふわと宙に浮き、そのまま柵を乗り越える。リゼは彼を浮かせたまま引きつれ、屋敷の裏口から中へと戻った。
ばったり出くわしたエリンが驚いて腰を抜かしかけたが、彼女に事情を説明すると、すぐに二階にある客室を整えてくれた。
リゼは浮いたウィルバートと共に階段を上り客室へ入ると、彼を寝台へと寝かせる。そして、前髪を除けて額に手をかざし、治癒魔法をかけてやった。ウィルバートのプラチナブロンドの髪は、ルーファウスの黒髪と異なり、癖がなくさらさらとしている。寝顔だけ見れば、年頃の、あどけない少年だ。
「ううん……」
「お目覚めになられましたか?」
丸く大きい目がぱちりと開いた途端、彼はガバッと上体を起こした。リゼを見つけるなり、物凄い形相で睨みつけてくる。
「この性悪女め! この僕をどうする気だ!?」
「警戒せずとも、何もいたしません。ウィルバート様はこの屋敷に石を投げようとしましたね? 屋敷には結界が張られているので、もうしないでくださいませ。また怪我をしてしまいます」
リゼが優しい声音で諭すように言うと、ウィルバートは拍子抜けしたように目を丸くする。
「兄さまが気に入るなんて、一体どんな嫌な女かと思ったのに、案外普通なんだな」
恐らく彼は、ルーファウスが足しげく通うリゼのことも憎らしく思い、嫌がらせに来たのだろう。それがなんともやるせなく、リゼは胸を痛めた。
「お兄様の――ルーファウス様のことがお嫌いですか?」
「当たり前だ! 両親を殺した奴を、どうやって好きになれって言うんだ?」
ウィルバートの瞳に憎悪が宿る。
「どうして父さまと母さまを殺した奴が皇帝になってるんだ? なんで誰もおかしいって言わないんだ? どう考えたって、兄さまが皇帝になるべきじゃないだろう!」
ウィルバートから見た世界は、きっととても歪で、あまりにも不条理なものなのだろう。彼の憎しみを止めることは、やはり難しい。
それでもリゼは、ウィルバートの目をしっかりと見据えて告げる。
「ウィルバート様。どうかこれだけは覚えておいてください。ルーファウス様は、ウィルバート様のことを心から愛していらっしゃいます。大切な家族として」
「だったらどうして父さまと母さまを殺したんだ!」
ウィルバートは目を潤ませながら、憎々し気に吐き捨てた。リゼはこの場において、これ以上の言葉をかけられないことが実に歯がゆかった。
「あの日、マリーナ嬢が異変を教えてくれなかったら、真相は闇の中だった。僕は目撃者として、兄さまの罪を糾弾し続ける。絶対にだ!」
ウィルバートはそう言うと、寝台から飛び降りて、そのまま部屋から出て行った。
「マリーナ様が……?」
リゼはウィルバートを追いかけることもできず、開け放たれた扉を見つめながら、ただ呆然と立ち尽くすのだった。




