24.決意の朝
空が白み始めた夜明け前。リゼは泣きながら目を覚ました。
血塗られた光景が脳裏にありありと浮かび、胸が切り刻まれたように苦しい。
「うっ……ううっ……」
嗚咽を漏らすリゼの頭を、ルーファウスが優しく撫でた。彼も同じく夢から覚めたのだ。
「見たのか。俺の夢を」
リゼが横たわったまま隣を見ると、ルーファウスは困ったように眉を下げていた。泣きじゃくる子をあやすように、彼はただリゼを優しく撫でる。その優しさが余計に苦しくて、リゼはさらに泣いた。傷ついた心を表に出さない彼の強さが、こんなにも悲しい。
「ルーファウス様は、何も悪くない、のに……こんなの、間違ってます……」
「お前が泣く必要などどこにもない。これは俺の過去で、俺自身が背負うべきものだ」
「でも……でも、おひとりで背負われるには、あまりにも、つらいです」
泣き止まないリゼを、ルーファウスは優しく抱きしめる。リゼは彼の胸の中で、しばらく泣き続けた。リゼが泣き止むまで、彼はずっと頭を撫でてくれていた。
「お前は優しいな、リゼ」
不意にポツリとこぼしたルーファウスの声が震えているような気がして、リゼは彼を抱きしめ返した。
――守りたい。傷だらけの彼を。彼の心を。
ルーファウスはこの城で、自由をくれた。皇帝でいる限り、ずっと守ると誓ってくれた。
だから今度は自分の番だと、リゼは強く決意する。
「私、決めました。ルーファウス様のご両親を手に掛けた犯人を、必ず見つけ出します」
リゼがルーファウスの胸の中で顔を上げると、彼は見たこともない表情を浮かべていた。恐怖と後悔、だろうか。
「そんなことはしなくていい。池に突き落とされたのを忘れたか? あれは恐らく、俺がお前の元へ通ったからだ。……俺がリゼを巻き込んだ」
ルーファウスがここまで自責の念に駆られていたことを、リゼは当然ながら知らなかった。
リゼの屋敷に自らの手で結界を施したのも、政争に巻き込んでしまった責任を感じてのことだったのかもしれない。
「距離を置けばいいものを、俺は懲りずにお前の元を訪れてしまった。愚かな俺を、どうか許してほしい」
ルーファウスはリゼと額を合わせ、まるで神に祈るように目を閉じた。
「リゼ。必ず……必ず守る」
リゼが池に落とされたのはルーファウスが悪いのではない。リゼを狙った犯人が悪いのだ。すべての責任を一人で背負おうとする彼が、どうしても心配になる。
今度はリゼがルーファウスの頭を撫でた。彼の黒髪は思ったよりも柔らかくて、触れると心地がよかった。
「ご安心ください、ルーファウス様。お忘れですか? 私は精霊の愛し子です。簡単に命を取られるほど弱くはありません」
優しく微笑みかけると、ルーファウスは「そうだな」と言って、表情を緩め、額を離した。
「だとしても、リゼが事件を調べる必要はない。もうこれ以上、誰も死なせたくないんだ」
ルーファウスは頑なにリゼの介入を拒んだ。
とはいえ、彼の命を狙う黒幕を放ってはおけず、リゼは自分にできることを考える。
(私が今持っている情報は、夢の中のあの光景だけ……)
リゼは彼の夢をじっくりと思い出す。あの夢の中に、きっと手がかりが隠されているはずだ。
生誕祭に沸く臣下たち。一人で両親の元へ向かうルーファウス。静まり返った廊下。血塗られた部屋――。
(……そういえば、私が池に突き落とされた時も、衛兵がいなかったわ)
前皇帝の私室があるフロアには、衛兵が一人もいなかった。リゼが池に突き落とされた宮廷晩餐会のあの夜も、周囲に衛兵はいなかった。状況が酷似してはいないだろうか。
(あの夜のことなら……!)
やるべきことを見つけたリゼは、そのままルーファウスに告げる。
「では私は、私を池に落とした犯人を調べます。当事者ですもの。それくらい、許してくれますよね?」
リゼがいたずらっぽく笑うと、ルーファウスは意表を突かれたように目を丸くする。彼はしばらく逡巡してから、「困った子だ」と言って苦笑した。
「わかった。だが、くれぐれも無茶はしないでくれ」
「はい。何かあれば武力行使するので、ご心配には及びません」
「フッ。頼もしい限りだ」
ルーファウスが表情を綻ばせたので、リゼも釣られて微笑んだ。
その後、リゼは夜が明けるまで、ルーファウスから”血塗られた誕生日”当日の詳しい話を聞かせてもらった。
あの日、ルーファウスは父から「一人で部屋に来なさい」と呼び出され、あの場に向かったそうだ。しかし、父に直接言われたわけではなく、紙で召状を受け取っただけだった。今になって思えば、黒幕により誘い出されたのだろうと、彼は言っていた。
そして、凶器の剣は、騎士団に所属する人間であれば、誰でも入手できるものだった。そもそも騎士団から盗まれた可能性も高く、犯人に結び付く証拠にはならなかったそうだ。
「どうか弟には黙っていてくれ」
「なぜですか? このまま誤解を解かないというのは……」
「俺が犯人でないと知れば、ウィルバートは真犯人を見つけ出そうと躍起になるだろう。そうなれば、あいつまで狙われるかもしれん。それは避けたい」
世間ではルーファウスとウィルバートの不仲は有名な話だが、ウィルバートが一方的にルーファウスを嫌っているだけだということが、今の発言でよくわかった。彼は皇帝である前に、一人の兄なのだ。
リゼはルーファウスが無実の罪で憎まれていることに歯痒さを感じつつも、彼の意向を無下にはできなかった。他言しないことを約束した上で、気になっていたことを尋ねる。
「ウィルバート様も、ルーファウス様のように誰かに呼び出されたのでしょうか」
「恐らくは。だが、ウィルバートはあの日のことを頑なに話そうとしない。俺のことを憎んでいるからあえて話さないというのもあるだろうが、それ以上に思い出したくないのだろう」
当時、ウィルバートはほんの九歳だ。両親の殺害現場に居合わせた彼は、心に深い傷を負ったに違いない。ルーファウスを憎むことで、心のバランスを保っているのかもしれない。
「黒幕にお心当たりは?」
「思い当たる人物がいないわけではない。だが、もしその人物が黒幕だった場合、今はこちらの手札が足りない。証拠も足りなければ、戦力も、な」
意外な答えだった。てっきりめぼしい人物がいないと思っていたのだ。
リゼはどうにかしてルーファウスの「思い当たる人物」を聞き出そうとしたが、彼はまだ確信がないからと、頑なに話そうとしなかった。今は戦力の拡大に向け、色々と動いているとのことだ。
リゼはどうしたら彼の力になれるだろうかと思い悩みながら、朝を迎えるのだった。
* * *
一週間後。リゼの屋敷の裏庭には、立派な池が完成していた。あの後、ルーファウスがすぐに手配してくれたのだ。畑のそばに作られたその池には、澄んだ水が貯められていた。
「ウンディーネ!」
『リゼ!』
再会を喜び、二人は抱擁を交わした。
ウンディーネに会うのは、宮廷晩餐会のあの夜以来だ。まだ二か月も経っていないというのに、随分と久々に感じる。
『ああっ、リゼ! こうしてまた会えるなんて……! これからはいつでも会えるのね。嬉しいわ!』
再会の喜びをキスの雨で表現するのは相変わらずだ。ウンディーネはリゼのいたるところに口づけを落とした。
「私も嬉しいよ、ウンディーネ」
一向にキスをやめないウンディーネにリゼが苦笑していると、そばにいたフェンリルとヴェンヌがからかうような声を上げる。
『唇はやめとけよ、ウンディーネ。そこは皇帝の場所だからな』
『そうだよ。リゼは今や、皇帝の一番のお気に入りなんだから。昨日だって熱い夜を過ごして――』
「わーっ! そんな恥ずかしいこと言わないでっ!」
リゼは赤面しながら、ヴェンヌの言葉をかき消した。
ルーファウスの夢の中に入ったあの夜から、彼は毎日のようにリゼの元へ訪れるようになった。
リゼの体を労わって口づけを交わすだけの日もあれば、深く体を重ねる日もある。昨日は後者だった。リゼはその行為に一向に慣れず、毎回恥ずかしさでいっぱいになってしまうのだ。
ヴェンヌたちはどうしてそんな意地悪を言うのかと、リゼがふくれっ面になっていると、ウンディーネが口元を抑えながらくすくすと笑う。
『あら、リゼったら顔が真っ赤よ。あの皇帝に惚れたの?』




