23.血塗られた誕生日
(あれ? 私、どうして皇城に……?)
リゼが意識を取り戻すと、そこは皇城の中だった。深紅の絨毯がひかれた廊下には、扉がずらりと並んでいる。今は夕暮れ時のようで、外の風景がオレンジ色に染まっていた。
リゼは昨夜着ていたナイトガウンのままで、靴すら履いていない。いや、ナイトガウンはルーファウスに脱がされたのだったか。
(そうだ、私、ルーファウス様と……)
昨夜のことが鮮明に蘇り、途端に顔に熱が上る。リゼはあまりの恥ずかしさにその場でうずくまりそうになった。
「今日のルーファウス殿下の生誕祭、楽しみですな」
「もう十八歳ですか。殿下が早く皇帝になってくだされば、この国は安泰ですのにな」
「しっ! 誰かに聞かれたらどうします」
男性二人の声が聞こえ、リゼはどこかに隠れなければと焦った。――が、その必要がないことにすぐに思い至る。
声の主は、ルーファウス殿下の生誕祭と言っていた。ということは、ルーファウスが皇帝に即位する前の、明らかに過去の出来事である。おそらくこれは、ルーファウスの夢の中だろう。魔力の強い者同士が体を重ねた影響だろうか。そういうことが起こりうると、生前の母から聞いた記憶がある。
そして、声の主である男性二人が廊下の角から姿を現したが、彼らはやはりリゼの姿が見えていない様子だった。それ以前に、夢の中のリゼに実体はないようで、彼らはリゼの体をすり抜けてどこかへ行ってしまった。
(十八歳の、生誕祭の日……)
リゼはその日がどう意味を持つのか、よくよく理解していた。
ルーファウスが、当時の皇帝であった自らの父と、当時の妃だった母を殺害した日だ。
この国に来る前は、リゼもその話を信じていたが、ルーファウスの人柄を多少なりとも知った今では、何か事情があったのではないかと思うようになっていた。
ルーファウスの夢はまだ続いている。彼の中でも、十八歳の生誕祭は心に刻まれた日なのだろう。でなければ、こうして夢になど見ない。
リゼはルーファウスの動向が気になり、皇城内を散策することにした。もしかしたら、彼が両親を手にかけた理由がわかるかもしれない。
以前、エリンに皇城の案内をしてもらったので、内部の構造は把握している。リゼは事件現場である前皇帝の私室へと向かうことにした。現在では立ち入りが制限されている、城の西側の一角だ。
大臣や衛兵たちをすり抜けながら、廊下を進んでいく。出会う人ら皆、ルーファウスの生誕祭に浮足立っている様子だった。今夜、大広間でパーティーが開催されるらしい。
皇城はとても広い。以前エリンと見て回った時は疲れ果ててしまったのだが、今は幸い夢の中だ。リゼはいくら歩いても疲労を感じなかった。
ようやく目的地が近づいてきたところで、ルーファウスの姿を見つけた。闇夜のような黒髪に、月のような金の瞳。変わらず美しい彼だが、今ほどの眼光の鋭さはなかった。
どうやら彼は一人のようで、周りにサイラスやブロイド公爵の姿はない。
リゼはどうしようかと逡巡した末、ルーファウスについて行くことにした。これは夢の中なので、当然だがルーファウスにリゼの姿が見えているわけではない。リゼはただ、黙って彼の隣を歩く。
リゼが長身の彼を見上げると、どこか機嫌がよさそうに見えた。鼻歌まで聞こえてきそうだ。今から両親を殺害するような表情には到底思えなかった。
その後、前皇帝の私室があるフロアへ入った途端、リゼは強い違和感を抱いた。何かがおかしいと思い周囲を見回すと、あることに気づいた。
(……どうして衛兵がいないのかしら)
このフロアには、各所に立っているはずの衛兵が一人も見当たらないのだ。私室の前に控えているはずの衛兵もいない。廊下には大臣や使用人の姿すら見えず、ルーファウスただ一人しかいなかった。
隣を見上げると、ルーファウスは表情を険しくしていた。今から両親を殺す覚悟を決めた、というよりは、リゼと同じく、このフロアの様子を訝しんでいるように見える。
ルーファウスは、腰に佩いている剣の存在を確かめるかのように、左手を鞘に添えた。
「父上。お呼びと伺い参上いたしました。入ってもよろしいでしょうか。ご命令通り、一人です」
ルーファウスが私室の扉に向かって声をかけた。しかし、中から返事はない。
「父上、入りますよ。よろしいですね」
そう念押ししてから、ルーファウスが扉が開いた。
(え……?)
リゼの目に飛び込んできたのは、なんとも赤黒い光景だった。ルーファウスの父も母も、近衛兵たちも、皆、血に染まり倒れていたのだ。彼の父の腹には剣が突き刺さっており、彼の母には首に剣で斬られたような傷がある。夢の中では嗅覚が利かないというのに、鉄の匂いが充満している気さえした。
その時、リゼは突然鋭い頭痛に襲われた。
(痛っ……! あの時と……ルーファウス様とサイラス様が倒れていた時と同じだ……)
リゼの脳裏に、何かが蘇ろうとしている。だが、靄がかかっていて、その正体は掴めない。わからないことが気持ち悪くて仕方がなかった。
「父上! 母上!」
叫び声によって、リゼは意識を引き戻される。
ルーファウスは血相を変え、まず母に駆け寄った。すぐに心拍を確認したが、途端に彼の表情が絶望に変わる。
「…………っ」
母はすでに絶命していたのだろう。彼女がまとうドレスは、本来であれば鮮やかな薄紫色だったのだろうが、首元から上半身にかけて、深紅に染まっていた。
ルーファウスは無理やり自分を鼓舞するように頭を振った後、すぐそばに倒れている父の容態を確認した。頸動脈に指を当て、次に口元に手をかざした彼の瞳には、わずかな希望が宿った。
父はまだ息があったのだ。
「ルーファウス、か……」
か細い声とともに、父がゆっくりと目を開いた。
「ルーファウス、よく聞きなさい……」
「父上! 事情は後程伺います。まずは治療を。今から剣を引き抜き、治癒魔法をかけます。じっとしていてください」
ルーファウスは父の言葉を聞くより先に、治療を優先させた。
今から治療師を呼んでいては間に合わない。ルーファウスは自らの手で父を救う他なかった。父もかなりの出血量だが、まだ生きている。
ルーファウスは父に刺さっていた剣を引き抜こうと、柄に手をかけた。しかし、その時。
「……兄さま?」
ルーファウスが驚いて振り向くと、部屋の入り口に、弟のウィルバートが顔を真っ青にして震えていた。
「ウィルバート! よく来てくれた」
「兄さま、どうして……」
「ウィルバート、すぐに治療師を呼んで――」
「どうして父さまと母さまを殺したんだ! いくら仲が悪いからって、殺すことなかったじゃないか!!」
ウィルバートが叫んだ途端、ルーファウスは彼が大きな誤解をしていることにようやく気が付いた。ルーファウスは「早く治療しなければ」という焦りで、ウィルバートの様子がおかしいことに気づけなかったのだ。
「違う! 聞け、ウィルバート!」
「兄さまなんか大嫌いだ! この人殺し!」
「待て! ウィルバート!」
ウィルバートはすぐさま踵を返し、「兄さまが父さまと母さまを殺した!」と繰り返し叫びながら、廊下を駆けて行った。
「くそっ……!」
ルーファウスはウィルバートを追おうと一瞬立ち上がりかけたが、すぐに父の元へ戻った。この状況では、何よりも治療を優先すべきだろう。
ルーファウスがもう一度剣の柄を握った時、「息子よ……」と再びか細い声が聞こえ、ルーファウスはハッと父の顔を見た。
「父上! すぐに治療しますから、どうか今は喋らずに――」
「聞け、ルーファウス」
父は静かながらも厳かな声で、ルーファウスの言葉をぴしゃりと遮った。この状況でありながら、父の眼差しには強さと威厳がある。
「お前と、そしてウィルバートがこのタイミングでこの場に来たということは、黒幕の目的は、お前を国家転覆の犯人に仕立て上げ、この国を乗っ取ることだろう。ウィルバートは目撃者としてまんまと利用されたというわけだ。このままでは、お前が皇帝殺しの主犯とされてしまう……。ゲホッ」
「喋ってはいけません! 早く、早く治療しなければ……!」
ルーファウスの声は震えていた。顔からは血の気が引き、真っ青になっている。その目には、涙が滲んでいた。
そんな彼に、父は小さく首を横に振る。この出血量ではもう助からない、ということだろう。
そして、父が一際威厳のある声で言う。
「よいか、ルーファウス。決して黒幕の思い通りにさせてはならん。お前自らがクーデターを起こしたことにしろ。お前が皇帝になるのだ」
「何を仰っているのですか!」
ルーファウスのかすれた叫び声が虚しく響く。彼は唇を噛みしめ、涙がこぼれるのを必死に我慢しているようだった。
すると、父が不意に優しく笑った。先ほどまでの、皇帝としての顔ではなく、子が親に向ける、慈愛に満ちた表情だ。
「ルーファウス。どうか……どうか幸せに。情けない父で……すまなかった……」
「父上……俺は……」
「ルーファウス。この国を……託したぞ」
父はゆっくりと目を閉じた。その顔には、依然として温かな微笑みが浮かんでいる。
「父上……? 父上……。父上! 父上!!」
ルーファウスは何度も何度も呼びかけた。しかし、その目が開くことは二度となく――。
父が息絶えたことを嫌でも理解したルーファウスは、とうとうその目から涙をこぼした。父の亡骸を前に、うずくまる。
「う……ぐ……う……ああぁぁぁああああ!!!」
ルーファウスの悲痛な叫びがリゼの胸に突き刺さり、その痛みのあまりリゼもぽろぽろと涙を流した。
(ルーファウス様は、やっぱり"血塗れの皇帝"なんかじゃない……!)
リゼはその小さな手をぎゅっと握りしめた。深い悲しみと共に、ルーファウスを苦しめる黒幕への強い怒りを感じたのだ。
ルーファウスがその場から動けないでいると、開け放たれた扉から近衛兵たちが入ってきた。ウィルバートの叫びを聞き、急いで駆け付けたのだろう。
「ルーファウス殿下……?」
「こ、これは……一体……」
あまりの悲惨な光景に、近衛兵たちは入口で呆然と立ち尽くしている。
ルーファウスは父に刺さっていた剣を引き抜き、ゆっくりと立ち上がった。そして、近衛兵たちに振り返る。
「この国を破滅に導かんとする売国奴はこの国にいらぬ。今から、この私が皇帝だ!」
ルーファウスの目にはすでに涙はなく、その瞳は今と同じ、冷たい鋭さを帯びていた。




