幕間3.リゼの秘密
ルーファウスが幽閉されているリゼと面会したあと、一日も経たずして彼女の無実は証明された。
件の近衛兵が賊を雇った際の契約書が、いつの間にかルーファウスの執務室の扉の前に置いてあったのだ。誰が置いたのかわからず、皆、不思議だと首を傾げていた。
しかし、証拠書類には、まるで小鳥がくちばしで咥えたような跡がついていた。恐らくリゼの小鳥の仕業だろうと、ルーファウスだけには察しがついていた。
残念ながら、近衛兵から詳しい事情を聞くことは叶わなかった。捕えられる前に、首を吊って死んでいたからだ。なぜ皇帝の命を狙ったのか、背後には誰がいるのか、その全てが闇に葬られてしまった。
それから二週間が経った頃。
ルーファウスは執務室にて、側近のサイラスから小言を聞かされていた。
「ルーファウス様。仕事をなさるにしても、休憩は挟んでください。まだ本調子ではないのですから」
「それはお前も同じだろう」
ルーファウスは襲撃を受けた翌日から、通常通り公務に当たっていた。医者からは傷が完治するまで動くなと言われたが、皇帝に休む暇などない。誰にも弱みを見せてはならず、何人にも付け入る隙を与えてはならないのだ。
それに、あの夜に負った傷は、意識を取り戻したときには随分とよくなっていた。あの不思議な妃が治癒魔法をかけてくれなければ、意識が戻ることはなかったかもしれない。それほどまでに、深い傷だった。
「もう二度と、家臣を庇うような真似はなさらないでください」
サイラスの声が一際険しくなる。
あの夜、ローブをまとった謎の男は、迷いなくサイラスを狙った。ルーファウスが助けに入らなければ、サイラスは確実に命を落としていた。
――信頼のおける貴重な側近を、皇帝は必ず助ける。
もしそうした意図があったのなら、謎の男は、ルーファウスという人間をよく知る人物だ。
「……兎にも角にも、全ての黒幕を捕えねば、状況は何も変わらない」
ルーファウスが命を狙われたのは、今回が初めてではない。二年前、両親が死んだあの日から、全てが狂い始めた。
「ウィンター王国から消えた武器の行方はわかったか?」
「まだ調査中ではありますが、どうやら我が国に流れ込んでいるようです」
「そうか」
ルーファウスは深いため息をつく。腹に負った傷跡が鈍く痛んだ。
「可能性の一つとして考えてはいたが、最悪のシナリオだな」
「はい。他国への要請を早急になさるべきかと」
「ああ。ダウデン王国とステイリー王国に使者を遣わす。手配は任せたぞ」
「は」
ルーファウスは窓の外に視線を向けた。空は晴れ渡り、眼下には皇都の街が広がっている。実に美しい眺めだ。
だが、ここからの景色も、いつ見られなくなるかわからない。それほどまでに、今の立場は脆く危ういのだ。
重苦しい空気が執務室に満ちたとき、それ破るかのように勢いよく扉が開いた。
「ルーファウス様、失礼いたします!」
「エリン。もう少し静かに入ってきなさい」
サイラスが窘めるも、エリンは慌てた様子で落ち着きがない。珍しく息まで切らしている。
「申し訳ありません。ですが、急ぎご報告したいことがあるのです」
「何があった?」
エリンの様子からして、よい報告ではないのだろうと、ルーファウスは身構えた。しかし彼女の口から出てきたのは、予想外の言葉だった。
「リゼ様の過去がわかりました。リゼ様がウィンター王城に住まわれていたのは、直近の一年間だけでした。それ以前はずっと……ずっと森に住まわれていたのです!」
エリンの報告はこう続いた。
リゼの母親――ウィンター国王の側妃は、十六年前、リゼを産んで間もなく、彼女を連れて王城から忽然と姿を消した。国王は側妃と子を探せと極秘裏に命じたが、国中を探し回ってもどこにも見つからず、捜索はすぐに打ち切られた。
その後、十二年の時が経ち、今から四年前。とある商人が隣町に行こうと森の中を通っていると、偶然側妃の姿を見かけた。側妃は大層美しく、国民の間でも有名だったため、商人は側妃の顔を知っていたのだ。
側妃は森の中で果物を採取しているところだった。周囲にはお付きの者らしき人影はなく、お忍びというわけでもなさそうだ。跡を付けてみると、森の中にポツンと建つ家の中に入っていくではないか。どうして側妃が森に住んでいるのだと驚いた商人は、帰って皆に言いふらした。そして、回り回ってその情報が国王の耳まで入り、側妃の捜索が再開されてしまったのだ。
失踪後、もはやいないものとして扱われていた側妃とリゼだったが、ウィンター王家にとって、二人には利用価値があった。側妃は貴重な精霊術師として、リゼはセレスティア帝国に献上する姫として。
国王が放った捜索隊が側妃の家を見つけるまで、そう時間はかからなかった。しかし、捜索隊が到着したときには、すでにそこはもぬけの殻であった。異変を察知した側妃が、リゼを連れて逃げたのだ。
捜索隊は「まだ近くにいるに違いない」と森の中を血眼になって探し回った。必死に逃げた側妃とリゼだったが、捜索隊の包囲網に捕まり、とうとう見つかってしまう。精霊術師として魔法が使えた側妃は、捜索隊と戦うことを選び、その間にリゼを逃がすことにした。
――が、側妃はその戦いで命を落とすことになる。生け捕りにしろと命じられていたのに、捜索隊の一人が誤って側妃に致命傷を与えてしまったのだ。リゼは逃げ延びたものの、側妃は帰らぬ人となった。
その後、ルーファウスが皇帝に即位し、セレスティア帝国に姫を献上しなければならなくなったウィンター国王は、かわいい愛娘を手放したくない一心で、国を挙げてリゼを探し出した。
無理やり城に連れてこられたリゼは、わずか一年で妃教育を叩きこまれ、城の者にこぞって虐げられた。扱いは使用人以下で、与えられたのは蜘蛛の巣だらけの屋根裏部屋と、ボロボロの服、そして腐りかけの残飯だけだった。
それが、リゼ・ウィンターの生い立ちであった。
話し終えたエリンは、悔しそうに唇を噛みしめ、今にも泣きだしそうなほど目が潤んでいる。サイラスも、リゼの悲惨な過去に眉をひそめていた。
ルーファウスは宮廷晩餐会の夜を思い出していた。ウィンター王家に囲まれたリゼは、ひどく怯えていた。彼女の過去を思えば、当然の反応だろう。
胸の中に、どす黒い憎悪が広がる。
あの時はウィンター王家の者どもを軽く脅かしてやったが、もっと手酷い目に遭わせてやるのだったと、ルーファウスは心の中で舌打ちをした。
(……しかし、なぜ母親は城を出た? なぜ実家に戻らず、森に住むことを選んだ?)
そんな疑問が頭をよぎり、ルーファウスは考える。側妃が子を連れ、森に移り住んだ理由を。
側妃の選択は、ウィンター王家からリゼを隠す行為に思える。実際、側妃は四年前、自らが犠牲となることでリゼを国の追手から逃がしている。リゼをウィンター王家に渡したくない理由が、何かあったはずだ。
(母親は精霊術師だった。だとしたら、リゼも……)
そこまで考えて、ルーファウスはハッと顔を上げた。一つの結論が脳裏に浮かんだのだ。
「エリン。リゼの元にいる動物の名は、なんと言った?」
「え? 狼の方がフェンリルで、小鳥の方がヴェンヌですが……って、ああっ!」
エリンは驚くべき事実に気づいたかのように、大きく目を見開いた。どうやらルーファウスと同じ結論に思い至ったようだ。
「どどどどうして気が付かなかったんでしょう! 伝説の精霊王と同じ名前ではありませんか! ということは、リゼ様は精霊の愛し子……!?」
エリンの言葉に、サイラスは眉を跳ね上げる。
「まさか、そんな……! ですが、もし本当にそうだとしたら、色々と納得がいきます。森で襲われた夜、賊が勝手に倒れたのも、ルーファウス様や私の傷がひとりでに治っていたというのも、精霊の愛し子がやったというなら理解できる」
「宮廷晩餐会の日、リゼ様が池に突き落とされたでしょう? ご自分で泳いで池から上がったと仰っていましたが、どうも不思議に思っていたのです。ドレスでは到底泳げませんから。もしかしたら、リゼ様は水の精霊王に助けてもらった、とか?」
エリンとサイラスは思い思いに推測を述べ、リゼが愛し子だという結論を既に受け入れつつある。
(フェンリルとヴェンヌ。陸の精霊王と、空の精霊王)
リゼの元へ通ったあの夜、強烈な殺気を向けてきた、白銀の狼と黄金の鳥。あれがまさしく、伝説の精霊王だったのだ。
リゼが精霊の愛し子で間違いないと確信したルーファウスは、途端に笑いが止まらなくなった。愚かなウィンター王家に対して。
「奴らはとんだ過ちを犯したな! 精霊の愛し子を自ら手放すとは!」
精霊の愛し子の力を利用すれば、セレスティア帝国の転覆など造作もなかっただろうに。そうとも知らずリゼを虐げ続けたウィンター王家は、精霊王の反感を買っているに違いない。
(これが、リゼの母親が守りたかったもの、か)
ウィンター王家は、リゼが愛し子であることを知らない。もし知っていれば、リゼをぼろ雑巾のようにこき使い、利用し尽くしただろう。そうならないよう、側妃が命がけでリゼの秘密を守ったのだ。その覚悟を、無駄にしてはならない。
「この話は最重要機密事項とする。決して他言するな。リゼが狙われかねん」
「「は!」」
「それと、エリン」
「はい」
「今夜、リゼの元へ向かう」
リゼは宮廷晩餐会の夜、ウィンター王家に囲まれ怯えながらも確かに言った。ウィンター王城に帰るのは嫌だと。私はここにいるのだと。
そんな彼女を守りたい。
そう思う自分がいることに、ルーファウスは驚いていた。彼女に惹かれていることを、認めざるを得なかった。




