幕間2.リゼの過去
「ルーファウス様。先日の狩りの一件について、ご報告いたします」
ここは皇帝の執務室。
執務机に向かって仕事を進めるルーファウスに、側近のサイラスが神妙な面持ちで続ける。
「ルーファウス様の読み通り、森林の結界が何者かによって破壊されていました。陛下が狩りに向かわれることを知っていた人間の犯行で間違いないかと」
先日の狩りに使われたあの森林は、ルーファウスの私有地だ。強固な結界で守られており、本来なら魔物など出るはずがない場所だった。そのため、ルーファウスは魔物が出現した時点で、皇帝の命を狙う何者かが結界を破壊したのだと推測していた。
「この俺が自ら施した結界を破ってみせるとは……。相手は相当な手練れだな。数も絞られるだろう」
ルーファウスは目を眇め、いびつに口角を上げる。
その反応に、サイラスは表情を曇らせ、唇を噛みしめた。彼は小さく息を吐いたあと、強い瞳で宣言する。
「必ずや犯人を見つけてみせます」
「期待している。が、無茶はするな。お前が欠けては困る」
「もったいなきお言葉です」
サイラスの表情は依然として晴れない。主人の命が狙われたというのに、犯人を捕らえられないもどかしさを抱えているのだろう。
ルーファウスは鬱屈とした場の空気を変えるべく、話題をそらした。
「狩りといえば、魔物に驚いたアンジェリカの馬が暴走した話は聞いたか?」
「ええ。リゼ妃殿下がルーファウス様の愛馬で後を追われて、お救いになったとか」
「リゼはあの日まで一度も乗馬をしたことがなかったそうだ。たった一日で乗りこなすようになるとは、大したものだ」
リゼにはほんの一時間ほど、目的の森林に着くまでの間に乗馬のコツを教えただけだ。たったそれだけで、彼女は見事に馬を操り、一人でアンジェリカを追ってみせた。
楽しげに語るルーファウスを見て、サイラスは意外そうに目を丸くしている。
「随分と気に入られたのですね。リゼ妃殿下への疑いは晴れたのですか?」
「ウィンター王国の企てを知らないのは間違いないだろう。だが、彼女は何やら隠し事をしているらしい」
リゼの元へ通ったあの夜。彼女が発した言葉も、見せた反応も、すべて偽りではないとルーファウスは判断した。彼女は本当に何も知らず、無垢なまま、この国に売られたのだ。
しかし、狩りでの一件で、いくつかの違和感が残った。
リゼは馬に乗ってアンジェリカを追いかけたはずだが、なぜか森の途中で馬が乗り捨てられていた。そして、その場所からアンジェリカの元までは、数百メートルも離れていたのだ。
さらには、リゼとアンジェリカが見つかった場所に、わずかな血痕が残っていた。怪我をしたとすれば落馬したアンジェリカの方だが、彼女には傷一つなかった。
ルーファウスはそれらの情報から、リゼが手練れの魔術師なのではないかと睨んでいた。
リゼは近衛兵たちから見えない場所まで馬で向かい、そこで転移魔法を使った。アンジェリカの元へ着いたリゼは、落馬して倒れていた彼女に治癒魔法をかけた。そう考えると、いろいろと辻褄が合う。
なぜ正体を隠しているのかはわからない。魔術師なら暗殺者である可能性も考えたが、あの夜の彼女の反応がその説を否定する。そもそも皇帝暗殺が目的でこの城に来たのなら、アンジェリカを助けるような真似などしないだろう。
ルーファウスはここ数日、リゼのことばかり考えている。儚げで、だが強さも併せ持つあの少女から、目が離せなくなっている。特定の女性に興味を持つなど、今までにないことだった。
ふと、かつてリゼに言われた言葉を思い出す。
「なあ、サイラス。彼女には、俺が悪人のフリをしているように見えるらしい」
リゼに「どうして悪人のフリをしているのか」と問われた時、ルーファウスは咄嗟に答えられなかった。不用意に発言すると、彼女に自らの過去を――そして、心を覗かれてしまうような気がしたのだ。
「それを聞いて、私は嬉しくなりました。ルーファウス様のことを、とてもよく見ていらっしゃる」
顔を綻ばせるサイラスに、ルーファウスは呆れた表情を向ける。
「馬鹿を言え。善人か悪人かで言えば、俺は悪人だろうよ」
その言葉を聞いたサイラスは、途端にショックを受けたような、ひどく苦しそうな表情に変わってしまった。握られた拳は、色が変わるほど力が入っている。
「……どうかそんなことをおっしゃらないでください。ルーファウス様は何も、何も……」
サイラスが俯いたその時、扉がコンコンと鳴った。彼は一瞬にして気持ちを切り替えたようで、さっとルーファウスのそばに控え、姿勢を正す。
「ルーファウス様。失礼いたします。ご報告があって参りました」
姿を見せたのはエリンだ。いつもにこやかな彼女だが、今日は珍しく怒ったように眉根を寄せている。
エリンには、リゼの監視とともに、彼女の生い立ちを調べるよう命じていた。そのどちらかに問題が生じたのかもしれない。
「聞いてください、ルーファウス様。少しですが、リゼ様の過去がわかりました」
エリンは執務机までずんずん進み、ルーファウスの前まで来ると、さらに眉間のしわを深くした。
「リゼ様は少なくともこの一年、ウィンター王城でひどい仕打ちを受けてきたようです。リゼ様は側妃の子であり、正妃や異母兄妹から手酷く虐げられていました。国王もリゼ様にきつく当たり、さらには城の役人や使用人でさえリゼ様を侮っていたとのこと。リゼ様が人前で……特に大勢の前で萎縮されるのは、ウィンター王城での経験が大きいのでしょう」
一気に話し終えたエリンは怒りが収まらないようで、強く唇を噛みしめている。サイラスも不快な内容に、眉をひそめていた。
リゼは確かに大勢の前だと萎縮してうまく話せなくなるようだ。最初に謁見の間で出会った時がまさにそうだった。元々の性格に由来するかと思っていたが、まさか母国でそんな目に遭っていたとは。
リゼのことを「妃には向かない」と言う臣下もいるが、ルーファウスの評価はそうではなかった。一対一でならそれほど会話に支障はなく、むしろ、問い詰められても的確な受け答えができるほど、頭の回転が速い。その上、”血塗れの皇帝”に対しても自分の意見をはっきり言う度胸があるのは、四妃の中でリゼくらいなものだった。
「エリン。先ほど『少なくともこの一年』と言ったな。それ以前の情報は?」
「不思議なことに、一年以上前の情報が何ひとつとして出てこないのです。リゼ様の出生や生い立ちに関するすべてが、意図的に消されているようです」
「それは確かに妙だな」
「リゼ様へのこれまでの仕打ちを隠したいウィンター王家が、証拠をすべて消し去ったに違いありません!」
エリンは怒りが爆発したのか、執務机にバン、と両手をついた。
「ウィンター王家がこの一年でリゼ様にしてきた仕打ちは、あまりにひどいものでした。拳で殴ったり、鞭で打ったり、挙句の果てには熱湯をかけたり……。虐待以外の何ものでもありません。私はリゼ様の侍女として、彼らのことがどうしても許せないのです」
「エリン、少し落ち着け」
ルーファウスは静かな声で彼女をなだめた。
恐らくエリンの推測は間違っている。もしリゼに対する仕打ちを隠したかったのなら、この一年間の事実もなかったことにしなければならない。
しかし、なぜ直近一年の情報しかないのか、今の時点ではルーファウスもわかりかねた。
「……少し探るか」
「え?」
「近く、各国の要人を招いた宮廷晩餐会があるだろう。その場にはもちろん、ウィンター王家の者たちも訪れる」
次にセレスティア皇城で開かれる宮廷晩餐会は、四妃のお披露目が目的だ。国の内外の者へ、四妃が揃ったことを知らしめるための儀礼である。
「その時に、奴らの鼻を明かすくらいはしてやろう」
「ルーファウス様……! ありがとうございます……!」
エリンは目を輝かせ、まるで神を拝むように胸の前で手を合わせている。彼女もようやく怒りが収まったようだ。
「リゼ様のメンタルケアは私にお任せください。リゼ様をたっくさん甘やかします。ルーファウス様も一度限りにせず、もっとリゼ様のもとへ通われてくださいませね!」
エリンは笑顔でまくしたてると、機嫌よく部屋から出て行った。彼女は自分の感情に正直な人間だ。見ていて気持ちがいい。
「次はいつリゼ妃殿下の元へ通われるのですか?」
「サイラス、お前まで……」
痛いところを突かれ、ルーファウスは溜息をつく。サイラスにからかっている様子はなく、いたって真面目だ。
「最近、皇弟派の動きも活発になってきています。狩りの一件が皇弟派の仕業でないとも限りません。お世継ぎは早いことに越したことはないのです」
「皇弟派ではないと思うがな」
皇弟派には、宰相のコーネリアスを筆頭に、この国の穏健派が集まっている。彼らは争いを好まず、クーデターを起こすような連中ではない。
「犯人にお心当たりがあるのですか?」
「……さあな」
ルーファウスはサイラスの問いを聞き流し、重苦しい気持ちで執務を再開するのだった。




