12.リゼの実力
近衛兵たちも異変に気づいたのか、警戒を強め、ルーファウスやリゼたちを守ろうと周りを取り囲む。一方、リゼは馬上で何もできずにただオロオロとするばかりだ。
(ど、どうしよう……魔物が来ると言っても信じてもらえないだろうし、逆に怪しまれてしまう……)
同じく馬上にいるアンジェリカは、凛と背筋を伸ばしているが、顔が強張っている。様子がおかしいことに怯えつつも、気丈にふるまっているのだろう。
ふとルーファウスを見ると、リゼはその表情に驚かされた。彼は口角を上げて笑っていたのだ。とても冷たい、歪んだ笑みだった。
(どうして、そんな顔を……?)
そう考えたのもつかの間、とうとう森の中から音の正体が姿を現した。
――それは、猪型の魔物の大群だった。どの個体も目が赤くギラリと光り、鼻息を立ててこちらを威嚇している。数は優に五十を超え、完全に囲まれてしまった。
「どうしてこの森に魔物が!?」
「今はそんなことを考えている場合ではない! 陛下を守れ!」
襲い掛かってきた魔物をルーファウスに近づけまいと、近衛兵たちは剣を抜き応戦した。魔物に物理的な攻撃は相性が悪いが、この場で魔法を使える者はリゼを除けばルーファウスだけらしい。皇帝直属の近衛兵と言えど、魔術師は少ないようだ。
ルーファウスは劣勢と見るや否や、近衛兵やリゼ達に防御魔法をかけ、攻撃魔法で多くの魔物を倒していく。彼の魔法の威力はすさまじく、みるみるうちに魔物の数が減っていった。
(す、すごい……! すぐに決着がつきそう)
しかし、リゼが安堵したのも束の間、突然馬のいななきとともにアンジェリカの悲鳴が響き渡った。近衛兵が仕留め損ねた一匹の魔物が、アンジェリカの馬に襲い掛かろうとしたのだ。
「きゃあっ! 待って! 止まって!」
当然、馬は驚き、アンジェリカを乗せたままあらぬ方向へと走り出してしまった。アンジェリカは馬をなだめる余裕もなく、振り落とされないようしがみ付くので手一杯のようだ。
「アンジェリカ様!」
リゼは気づけば馬の手綱を操り、アンジェリカを追いかけていた。この森に来るまでにルーファウスに乗馬のコツを教えてもらったおかげで、ややぎこちなくも、しっかりと馬を操作できている。乗っている馬――ルーファウスの愛馬が賢く優秀なのもあるだろう。
後ろから「リゼ妃殿下、お待ちを!」と引き止める近衛兵たちの声が聞こえたが、リゼは構わず馬を走らせた。もし仮に他にも魔物がいたとしたら、アンジェリカの身が危ない。この状況で一人にさせるわけにはいかなかった。
リゼが顔だけで振り返ると、あろうことか魔物の数が増えていた。近衛兵たちは魔物の対処に手一杯で、こちらを追いかけてくる余裕はないようだ。ルーファウスもリゼとアンジェリカを気にしている様子だったが、その場から動く気配はない。どうやら魔物討伐を優先したらしい。
視線を前に戻すと、アンジェリカの馬はぐんぐん速度を上げていた。距離は縮まるどころか、どんどん広がっていく。
リゼも馬の速度を上げたかったが、乗馬初心者の身でこれ以上のスピードを出すのは危ういと判断した。今でさえ、少しでも気を抜けば落馬するのではという恐怖心がある。
ルーファウスたちが見えなくなったところで、リゼはフェンリルと共に馬から降りた。この時にはもはや、アンジェリカの姿は随分と小さくなり、ほとんど見えなくなっていた。
「フェンリル、私をアンジェリカ様のところへ連れて行って!」
フェンリルの足ならアンジェリカの元までひとっとびだ。乗馬は初心者だが、フェンリルには乗り慣れている。
しかし、フェンリルが本来の姿に戻れば、精霊術師以外には見えなくなる。そのため、普通の人間には、リゼが透明な何かに跨って飛んでいるように見えてしまう。万が一目撃されたら、という心配はあった。
フェンリルもそうなることは理解しているので、どうしようか悩んでいる様子だった。彼は少し考えた後、仕方ないというふうに笑った。
『あの赤髪の妃に見られると面倒だが……まあ、その時はその時か。よし、乗れ!』
その言葉と共に、巨大な狼が姿を現した。白銀の毛並みが神々しい、陸の精霊王の本来の姿である。
フェンリルの顕現とともに、この場の空気が一瞬にして静まった。まるで、すべての生命が彼にひれ伏しているかのようだ。ルーファウスの愛馬もフェンリルの神聖さを感じ取ったのか、頭を垂れている。
「行こう、フェンリル」
リゼはフェンリルにまたがり、森の中を駆け抜けた。フェンリルの足は馬よりもずっと速く、まるで風になったようだ。周囲の景色が一瞬で流れていく。
フェンリルに乗り換えたおかげで、アンジェリカにはすぐに追いつくことができた。しかし、そこに馬の姿はなく、アンジェリカだけが地面に倒れていた。おそらく落馬してしまったのだろう。
リゼはフェンリルから降り、急いでアンジェリカの容態を確認した。
「アンジェリカ様、ご無事ですか?」
耳元で声をかけながら肩を叩くも、返事はない。リゼは次に、脈と呼吸を確認した。
(……うん。大丈夫)
いずれも正常だ。ところどころに擦り傷はあれど、他に外傷は見当たらない。リゼはホッと安堵の息を吐いた。
『気を失ってるだけだ。治療より先に、こっちを片付けたほうがいい』
フェンリルの言う「こっち」というのは、魔物のことである。アンジェリカの容態を確認している間に、どうやら猪型の魔物の群れに囲まれてしまったようだ。
数はルーファウスたちが対峙していた相手よりずっと多い。百体近くいるのではないだろうか。魔物たちは前足で荒々しく地面を掻きながら、今にも襲い掛からんとしている。
本来であれば、隊列を組み、何十人もの兵を注ぎ込まなければ、こんな数の魔物は倒せない。その上、今は木々が生い茂る森の中だ。戦いやすい場所とは到底言えない。
しかし、このような窮地にもかかわらず、リゼは一欠片の恐怖心も抱いていなかった。理由は単純。たった百体の魔物に負けるわけがないからだ。
リゼはフェンリルの隣に立ち、彼の体に触れる。
「フェンリル、力を貸してくれる?」
『リゼがやるのか? 俺が一掃してやってもいいんだぜ?』
フェンリルがおどけた調子で言ってくるので、リゼも肩をすくめて軽口を叩く。
「私もたまには魔法を使わないと、腕がなまっちゃうでしょう?」
『ハハッ! それもそうだ! いくらでも受け取れ、我らが愛し子!』
フェンリルに触れた箇所から魔力を渡し、そして、彼の魔力をもらう。温かくて強大な力が、リゼの中に流れ込んでくる。精霊たちから力をもらうとき、リゼはなんだってできそうな気がするのだ。彼らはいつだって、自信と勇気を与えてくれる。
『でも、どうしような。ここに魔物の死体が積みあがると、誰が倒したんだって不審がられるだろう? ……あ! こいつら全部、転移魔法でウィンター王城に送りつけようぜ!』
「もう、フェンリルったら。そんなことしないよ」
さも妙案を思いついたようなフェンリルの口ぶりに、リゼは苦笑しつつ答える。
しかし、フェンリルの懸念ももっともで、ルーファウスや近衛兵たちがこの場に駆け付けた場合、魔物の死体があると言い訳に困ってしまう。魔物を討伐した痕跡を消さなければ――そもそも、魔物がこの場に存在しなかったことにしなければならない。つまり、血痕すら残してはいけないのだ。
一見難題にも思えるが、リゼにとってはたやすいことだった。
「凍れ」
リゼが短く言葉を発した途端、取り囲んでいた魔物たちが一瞬にして凍り付いた。まるで時が止まったかのように、どの個体もピクリとも動かない。
魔物は精霊ではなく動物に近い存在だ。体温が下がり、呼吸もできなければそのうち死に至る。
『魔法の腕はなまってないみたいだな。で、こいつらはどうするんだ?』
「私たちが暮らしていた森に飛ばそうと思う。あの森も、たまに魔物が出たから、怪しまれないと思って。この国のことはまだよく知らないから、どこに転移させればいいかわからないしね」
『ええ!? 同じウィンター王国に飛ばすなら、王城にしようぜ? 遠距離の転移魔法はそれなりに魔力を使うんだからさ』
フェンリルはどうしてもウィンター王城の者たちに仕返しがしたいらしい。実際にそんなことをしては国家間の問題に発展しかねないので、リゼは彼の言うことを聞き流し、指をパチンと鳴らした。
――すると、凍った魔物がすべてこの場から綺麗さっぱり消え去った。今頃はウィンター王国の森の中に、魔物の氷漬けがゴロゴロ転がっているだろう。
「これでよし。フェンリル、小さな姿に戻って」
『はいよ』
巨大な狼は、すぐにリゼが抱えられるほどの大きさになった。アンジェリカは気絶していたため、リゼがフェンリルにまたがっていた光景は誰にも見られていないだろう。
魔物を片付け終えたリゼは、地面に倒れているアンジェリカのもとへ駆け寄り、治癒魔法をかけた。ところどころにあった擦り傷も、すぐに治っていく。
「ううん……」
治癒を終えたところで、アンジェリカが目を覚ました。




