邂逅(前)
橙里は佐武郎じいさんに見送られながら扉をくぐった。扉の先には廊下があり、その先にもう一つ扉があるのが見えた。橙里はその扉の前に立ち、ドアノブに手をかけて深呼吸をした。
(いよいよか…。)
はやる気持ちを抑えながら、それでも隠し切れない興奮に口角が上がる。その扉を開けると真っ暗で先の様子は伺えない。足を一歩踏み出す。足先が目の前の闇の中に入ると、シャボン玉の膜をを突き抜けるような、スライムの中に入り込むようなそんな感覚に襲われ、橙里は直感で、それが世界の境界だと言うことを理解し、先に進んだ。一分ほど闇の中に進み続けた頃、足が硬い床に触れた感触があり、橙里は闇を抜けた。その先には再び廊下があり、その奥にはやはり扉があった。その光景に橙里は少し拍子抜けした。扉にたどり着き再度深呼吸をすると扉をくぐった。ついに異世界に降り立ったのだ。
しかし、異世界に降り立った実感を味わう暇も与えてもらえず、橙里は激しい頭痛とめまいに襲われた。尋常じゃないその苦痛に耐えられず思わず床にうずくまってしまう。
「っが!…っぅあ…っぐ!」
痛みは次第に強くなってきており、脂汗がにじんでいる。さらに悪いことに、酸素を求めて口呼吸をすると長い年月の間、遺跡に溜まりに溜まった埃を吸い込んでしまい咳き込んでしまった。
(幸先が悪いにもほどがあんだろ!)
橙里は内心、現状に悪態をつきながら気合で立ち上がると、この場所よりもマシで休めそうな場所を求めて、遺跡を探索し始めた。
橙里はあらかじめ佐武郎じいさんからこの遺跡のことを詳しく聞いていた。この遺跡は、この異世界を創造する際に神々が拠点として使用していたものであり、神々が異世界に直接干渉することを止めた際に無神の建物となった。かと言って、完全に使わなくなったと言うことではなく、当時から現代に至るまで異世界の監視を行うためのいわばパラボラアンテナの様な役割を果たしているのだ、と言っていた。橙里は異世界に来るにあたって当時の遺跡の設計図や機器の操作方法の記された取り扱い説明書を貰っておいたためそれを頼りにふらつきながらも先に進めていた。しかし、本来なら定期的に直接遺跡に向かい管理をしなければならなかったのだが、担当神が必要最低限の管理しか行っていなかったため基本的に埃が凄く、場所によっては壁が崩れている箇所もあった。そんな環境では治るものも治るはずはなく、橙里の体調は悪化する一方だった。
「……クソッタレ……!」
(聴かなかった俺も悪いけどさ、いくらなんでも説明不足がすぎるでしょが!)
それでもどうにかして橙里はメインルームにたどり着き、コントロールパネルを操作してすることで、遺跡の全システムを稼働させた。薄暗かった遺跡内部に灯りがともり、換気システムが作動して澱んだ空気が綺麗な空気に入れ替わり始める。橙里はシステムが正常に稼働して、空気が綺麗になっていくことに安心した。すると、緊張の糸がほぐれたのか、凄まじい眠気に襲われ、床に倒れてしまった。
(…後のことは……まぁ、起きてから考えるか…。)
未来の自分に後のことを任せて、橙里は目を瞑ろうとした。その時、
グラグラッ!と、部屋が激しく揺れたかと思えば、
ドカンッ!!ガラガラガラ!
背後で瓦礫が崩れる音がした。休息に向かおうとする身体に鞭を打ち、橙里はどうにかして顔を音がした方向に向けた。
そこにはまさに満身創痍といった青年が立っていた。端正な造りの女性ウケの良さそうな顔は傷にまみれ、ロケットを首から下げて、身に纏っている衣類はボロボロで上半身はもはや裸と言えてしまうほどに露出が激しくなっている。青年は橙里の姿を認識すると、こちらを睨みながら腰を落とし、臨戦体制をとった。
橙里は身体を起こし、腕を組んで背後のコントロールパネルに寄りかかり、青年を見据えた。数瞬の後、青年が口を開いた。
「…お前は…何者だ…。何故ここにいる。一体、何が目的だ。」
橙里は左目を瞑った。
「…まぁ落ち着けよ。そう一気に質問されたら答えづらいだろ?それに、人に名前を尋ねるときは、先ずは自分から名乗る。それが礼儀というものってよく言うじゃないか。知らないのかい?」
そう言うと青年は更に橙里を睨み、しかし橙里の言葉に思う節があったのか、悩んでいる様だった。橙里は息を吐いた。
「俺の名は幸野橙里…いや、トーリ・コーノ。旅人志望の鳥人だ。」
橙里が最初に自己紹介したため青年呆気に取られた様だ。強張っていた身体から少し力が抜けていた。
「そんなにびっくりすることもないだろう。俺だって君の名前と目的を知りたいんだからさ。」
そう言って橙里が視線で自己紹介をする様に促す。
「………オレはテルト・ハイランド。…魔獣使いだ。」
テルトがようやく自己紹介をすると、橙里は腕組んで頷いた。
「おーけー、テルト。じゃあさっきの質問に答えよう。『何故ここにいるのか』、『何が目的か』だったっけ?簡単に言うと、上の方と契約をしたんだ。俺の願いを叶えてくれる代わりに提示された条件を達成すること。その条件が、ここの管理を行うことなんだ。だから俺はここにいる。」
その答えに、テルトは眉間に皺を寄せた。更に疑問をぶつけてくる。
「『契約』?『上の方々』?『お前の願い』?一体何を言っている?お前上には誰がいるんだ?それに管理ってどう言うことだ?第一、この遺跡はどこの国のものでm…」
「質問したかったら、自分の目的も話してくれ。」
言葉を遮られたテルトは歯を食いしばって、拳を強 く握った。橙里は脂汗を浮かべながら、右眼で視つめる。
「………この遺跡にまつわる伝説、『亡嵐の沙漠の神代遺跡』。それが本当かどうかを確かめたくてな。」
テルトは簡潔に、しかし誤魔化すことなくそう答えた。橙里はこの世界に来る際に、そんな伝説が出回っている、と説明されたことを思い出した。
(まさか正直に答えてくれるとはね。確か、伝説って、『神になれるとか』、『神に等しい力が手に入いる』とか、そんな伝説だっけ?尾鰭付きすぎてとんでもないことになってるよな…。)
誤魔化されると思っていたため、正直に返答が来たことに内心驚きつつ、テルトに興味が湧いたため、意地悪な質問をしてみることにした。
「そんなの眉唾な伝説だろう?テルト、君はもしかして、神にでもなってこの世界の支配者になりたいのかい?」
そう言うと、テルトは眉を顰めて橙里を見つめる。
「くだらない。神になって世界を支配する?そんなことをして、誰が幸せになる?それに第一、力は努力して自分で身につけてこそだろ。与えられた力なんてものは興味も湧かない。オレが欲しいとしたら、伝説の真実だけだ。」
テルトはキッパリと言い切った。その言葉に橙里は口元を綻ばせる。
(嘘偽りなし。心の底からそう思ってるのか…。コイツ、思った通り良い奴だな。)
テルトは真っ直ぐな想い|《本心》を話してくれたのだから、自分も正直に話さなければ失礼になる。そう考えた橙里は自分の任務を話すことにした。
「君はすごいな、テルト。さて、実はさっき話していなかったことがあるんだ。俺に提示された条件は管理の他にもう一つあるんだ。」
橙里はコントロールパネルから体を起こす。汗で服が肌に張り付く感覚に思わず顔をしかめてしまう。
「それは、遺跡への侵入者を排除することだ。」
テルトは腰を落とした。
「…とすると、オレは侵入者になるわけか?」
空気が張り詰める。が、そんな空気に気づかず、服を扇いで風を通す。
「そうだね。十中八九、条件にあった侵入者は君のことなんだろうね。けど俺は…」
橙里の続けた言葉を遮るように、
「そうか。」
テルトは一言そう呟いた。
橙里が瞬きした次の瞬間、視界には眼前で右腕を振りかぶるテルトの姿があった。