静液まみれの不在届
平和は素晴らしいというか、素晴らしいことをするための土台になるのであって、仮に戦時下であろうが決して悪いことばかりではなくそこには平凡な日常があることも、いつだって理屈っぽい奴が理屈なく奈落へ蹴飛ばされてしまうように、結局は現状をものにできるかできないか、たったそれだけのことを意地でも認めたがらないために作られた国家や倫理が海流に逆らううちに迎合を始め、とうとう世界は1週間溜め込んだあとの金玉みたいにぱんぱんに膨れあがってしまった。地球が丸いってことを証明すると同時に、地球双子説も唱えておこう。片方が太陽フレアに焼かれてしまってもまだもう片方に住めば損失は半分に抑えられる。余剰エネルギーの発散に必要な時間も半分になる。地球が二つついた男でさえ欲求を抑えていられるのは半分かそれよりもずっと少ないのだから、宇宙に金玉が1つぷかぷか浮かんでいるからといって素晴らしいことなど何一つ達成できる訳がないのだ。素晴らしいことは個人によってしか試みられない。これこそが他人に期待するなという主張文の詳細であり、そしてもしこの主張に従おうというのなら、たった今その他人に聞かされた胡散臭い人生哲学もまたさっさと忘れてしまう方がより正しい行いになるというのだろうか。ここで初めて判断能力が……試される? 求められる? とにかくだ。2つと1つには決定的な差というものが存在し、遥か昔、「一は全、全は一」無限こそが神の存在を証明するとかいう神学者もいた。だが今となっては、僕が知る限りでも無限には可算無限・非可算無限(なんで不じゃなくて非?)の2種類が存在するのだけれど、結局神はいたのかいなかったのか、誰も証明ができていない現状、次期ノーベル賞はすでにこれを読み終える君の手の中にあると言っても過言ではない。証明しようか。君は天才だ。




