これからの予定とお勉強
「昨日話した通り、近日中にグアノを取りに島に向かおうと思う。屋敷を空けていた期間にたまった書類仕事が片付いたら騎士を率いて出発する」
朝食を食べながらお父様のお話を聞きます。お母様は少し嫌な顔をしている気がします。
「そこでだエレアノール、次の島への遠征はそなたにもついてきてほしい」
「えぇ?わたくしがですか?」
「そうだ。そなたの目であの島を見てもらいたいのだ」
どうやらわたくしが食堂に着く前にお母様とこの話をしていたのでしょう。普段ならお母様が「そのような危険なことはおやめください」と止めてくださるのですが、今朝は口をはさむ様子もございません。
「その……、わたくしが同行しては道中で足手まといになるのではないでしょうか?」
「心配するな、なにも危険な魔獣を討伐しに行くわけではないのだ。前回の遠征と同じ順路をたどって、ただ目的地に向かって、土産にあたりの石をかき集めてくるだけだ」
「わたくしは力仕事にはむきません。お家で神様や聖人についてお勉強したり、グアノについてもっと何か思い浮かばないか考えているほうが有意義だと思うのですけれど……」
「そうだな、考えることは重要だ。道中に私と一緒に話し合おうではないか」
正直なところ、島に行くのが面倒だと思ったのですが、逃がしてはくれないようです。
「……わかりました。では出発の日時などが決まりましたらお声がけください」
「うむ」
お父様は昨日遠征から帰ってきたときのような無邪気な笑顔です。お母様はほとんど無言のまま朝食を終えました。
前世から引き続きインドア派のわたくしは、海の上の島への遠征など楽しみではありません。長距離の移動となると馬車になるのですが、ガタガタと揺れて非常に乗り心地が悪く、座っているだけで疲れてしまいます。一度アルバリンゲンのお城下町へ両親の親戚に挨拶をするために馬車で遠出をしたことがあったのですが、子どもの体には応えるものでした。それに加えて今度は船に乗るのです。この世界の船には乗ったことがないのですが、馬車があれなのです。船も大概でしょう。気が重いです。
朝食を終えたわたくしは午前中のお勉強の時間です。先生は側仕えのシャナンです。シャナンはもともとお母様の家に使える側仕えで、お母様がお父様とアルバリンゲン南部の騎士管理地域に移動してきたときについてきてくれたそうです。今はわたくしの側仕え兼教師をしてくれています。
「今日も昨日に引き続きお手紙の書き方から始めましょう」
インクを付けたペンを持ち、机に置いてある木札に言われた通りの文章を書いていきます。この地域で普及している紙は羊皮紙のため非常に高価です。子どもの勉強用にはとてもじゃありませんが使うことができません。もともとアルバリンゲンのお城で文官として働いていたお母様の指示で、文字の読み書きや計算について早くから教えてもらっています。どうやら我が家では子どもの教育方針はお母様が主導権を握っているようです。
この国でのお勉強は文字の読み書き、四則演算、建国の歴史、詩歌が中心です。10歳から15歳の間は一年の半分ほどをアルバリンゲン城下町にある貴族学校で寮生活をすることになり、そこではいままでのお勉強に加えて宗教、法律、天文学などの聞いたことがある科目と、そして魔術について学ぶそうです。魔術はもちろん、前世で社会科学の本を読むのが趣味だったわたくしとしてはほかの科目も興味があります。学校に行くのがとても楽しみです。
「さすがエレノアール様ですね。聖人から寵愛を受けるのも納得の出来でございます」
「ですから、そのようにからかうのはやめてくださいませ、シャナン」
「いえ、決してそのような意味で言ったのではありません。今のエレノアール様は今のお歳から考えて3歳は先取りしてお勉強していると思いますよ?本当に優秀ですこと」
それはそうでしょう。前世では小学校から大学まで16年も学校に通い、曲がりなりにも先生までやっていたのですから。ですが、わたくしの将来にあまり大きな期待はしないでほしいです。貴族学校の入学までは神童かもしれませんが、卒業するころにはきっと普通ぐらいに落ち着くと思うのです。
そのようなお話をしていたら、お勉強の時間が終わる鐘の音が聞こえてきました。昼食のため食堂に向かいます。この国では一日を12等分にして、日中に6つ鐘を鳴らしているみたいです。夜もちゃんと時間を計っているようですが、皆が寝静まっている時間なので鐘は鳴らさないようです。このお屋敷には時計がないので時間をどうやって計っているのかシャナンに聞いたことがありました。そのとき、町の礼拝堂の鐘の音について教わりました。礼拝堂の方々は水を使った時計で時間を計っているそうです。前世では機械式の時計以外全く知りませんでしたので一度見てみたいものです。それにしても、どこの国・どこの世界でも時間は12の倍数に関係しているのですね。不思議なものです。
昼食にお父様はいらっしゃいませんでした。お仕事がお忙しいのでしょう。
「シャナン、エレアノールのお勉強の進み具合はどうかしら?」
昼食の席でお母様がわたくしの給仕をしているシャノンに問いかけます。
「いつも通り大変よくできていらっしゃいました」
その返答に満足そうにお母様が微笑みます。
「今朝トルヴィル様とエレアノールについてお話をしました。いままでどれくらいお勉強の進度を進めてよいか悩んでいたのですが、もうあなたの年齢は気にせず、できうる限りの教育を施そうと思います。シャノン、よろしくお願いしますね」
なにやら恐ろしい宣言をされてしまったような気がいたします。
「ど、どうなさったのですか?お母様。わたくしは今のままでもがんばっていたと思うのですけれど」
「あなたのがんばりが足りていないという話ではないのですよ。むしろあなたの才能を伸ばすためにはわたくしたちのほうががんばらなければなりません。そうでなければ豊穣の聖人ルキウスのご期待に応えることができないと考えたのです。今朝トルヴィル様とお話をしまして、トルヴィル様はこのアルバリンゲンを豊かにするために全力であなたに協力し、わたくしはあなたがいつどこへ行っても困ることがないように全力で教育することを決めました」
「かしこまりました。わたくしもできうる限り、誠心誠意エレアノール様の教育に取り組ませていただきます」
わたくしより先にシャノンが答えしました。とても真剣な表情です。わたくしはお勉強の部分だけでなく、もう一つ聞き流してはいけないことを言われたように思いました。
「お勉強についてはわかったような気がいたします。ですが、お父様がアルバリンゲンを豊かにすることに協力する、というのはどういうことでしょう?わたくしがお父様に協力するのではなく、お父様がわたくしに協力するのですか?」
「そうです。昨夜あなたの話を聞いてわたくしはこれからどうしてゆけばよいか真剣に考えました。豊穣の聖人の寵愛を受けるあなたにわたくしたちは何ができるのかを。そしてこう思ったのです。あなたはきっともうトルヴィル様より頭が良いでしょうし、聖人からのお告げがまたあるかもしれませんから、あなたからトルヴィル様に何をすべきか指し示してもらおう、と」
「そんなことはないでしょう。お父様より頭が良いだなんて。まだわたくしは5歳ですよ?」
周囲の期待の大きさに心の底から焦っています。あとお父様の言われようが少しかわいそうです。
「いいえ、トルヴィル様はそもそも考えるより先に行動するお方なのです。その自信に満ちたお姿はとても頼もしいのですが、間違った方向へ突き進まないよう、誰かが進むべき道を指し示してあげたほうが良いのです。これまではわたくしができる限りトルヴィル様に寄り添い支えてきたつもりだったのですが、気が付いたらこのように南部の開拓最前線に派遣されてしまいました。本当でしたらトルヴィル様は将来お城で騎士団長をしていたかもしれないのですよ?それがいったいどうしてこのようになったのでしょう。ご本人は土地の管理を任されたので出世だと思っているようなのですが、わたくしは領地の端に追いやられたのではないかと思わずにはいられません」
そのような話はこれまで聞いたことがありませんでした。たぶん子どもにするような話ではありません。お母様の現状への不満や心配ごとにどのように答えたらよいかわかりません。順調に出世していたはずの夫が気づいたら左遷されていたという話など、子どものわたくしはどう受け止めればよいのでしょうか?
「ここ最近、わたくしはこれからどうしてゆけばよいかわからなくなっていました。そんなとき、昨夜のあなたがどれほど輝やかしく見えたことか。5歳のあなたに背負わせるには重すぎることはわかっているのですが、わたくしの希望をあなたに託したいのです」
普段は落ち着いているお母様が、昨夜の夕食であれほど興奮していた理由がわかったような気がいたします。現状に不安を感じていたお母様はわたくしの話に活路を見出したということなのでしょう。本当に重たすぎます。本当にどうしましょう。
「ですから本当であれば止めたかったのですが、あなたを東の島へ連れて行きたいというトルヴィル様の考えを尊重いたしました。トルヴィル様をよろしくお願いしますね」
「……わかりました、お母様。できる限りがんばります」
わたくしはそう答えるしかありませんでした。昨夜から重たい会話のせいで食事の味がしないように感じます。
フットワークの軽いお父様と期待の重いお母様とのお話でした。
冒険までもう少し家族紹介にお付き合いください。