聖人のお告げ
「そう、夢の中で聞いたのです。夢の中のお話です」
やってしまいました。とっさに言ってしまったこの一言がすべての始まりでした。すぐにまずいことをしてしまったと後悔しましたが、この言葉がわたくしの運命を決めてしまったように思います。
お昼過ぎの時間、遠征に出ていたお父様がお屋敷に帰ってきました。ともに出発した騎士たちをつれて、大きな荷物を持って。お父様は領主様に命じられて領地南部の管理者をしている上級貴族です。ここ一週間ほどは屋敷の東側の海に見える孤島へ巨大な鳥の討伐に行っていました。南部を任される貴族として、領民に危害を加える魔獣を退治しに行っていたのです。どうやら目的は達成できたようです。わたくしとお母様はお屋敷の玄関でお出迎えをします。お父様は上機嫌な様子で話しかけてきました。
「ただいま、エレアノール。見てくれ、この木箱。この中いっぱいにあの巨大でおぞましい怪鳥ルフの主の亡骸が入っているんだ。大きいだろう?」
「おかえりなさいませ、お父様。ええ、とても大きな箱ですね。大人が5人は入れるのではないかしら」
「そうだな。だが、これを倒すのには騎士5人では足りないぐらいだったぞ。もっとも、私が率いて戦ったのだ、負けるようなことは決してない。この魔獣はとんでもない魔力を持っていてだな……」
興奮気味に戦いぶりを語ろうとするお父様にお母さまが割って入りました。
「おかえりなさいませ、トルヴィル様。ぜひ詳しく伺いたいのですが、まだ片付けも済んでいないではありませんか。その箱の中身も腐ってしまわないように後処理をしなければならないのでしょう?皆に指示を出してトルヴィル様も自室で着替えてくださいませ」
「おお、いま帰った、セシリア。そうだな、せっかくの戦利品が傷んでしまう。ハールガ、領主に献上できるように後処理を頼む。ほかの者たちも後片付けをしたのち、文官と此度のルフ討伐戦の報告書をまとめてくれ。明日の午後には確認できるよう整えておくように」
そう指示を出し、お父様は自室へ速足で向かっていきました。
「あんな大きな鳥の死体、いったいどうするのでしょう?」
魔獣討伐の話にあまり興味がないことが顔に出てしまっていたのか、お母様に注意されます。
「顔に心情が出ていますよ、エレアノール。そのようにうんざりとした顔をするのではありません。あの怪鳥はこの地の前管理者に呪いをかけて殺したのです。それを討伐できたのですから、トルヴィル様が喜ぶのも当然でしょう。わたくしも安心しました。この後首を領主様に献上するため剥製にして、骨を肉をきれいに取り外し、肉は遠征参加者にいきわたるよう切り分けられ、それぞれ料理に使ったり保存食に加工します」
子どものようにはしゃぐお父様の様子は前管理者の死など関係なく、単純に思う存分狩りができて楽しかっただけではないかと思うのです。
「骨はどうなさるのですか?」
「わたくしも詳しくは存じ上げませんが、武器の素材に適しているようなら剣や槍にでもするのではないかしら」
そのようなことを話しながらわたくしたちも自室へ戻りました。
「それでだな、島に着いたら予想通り、小さいルフ鳥がたくさんいてだな。小さいやつらは大したことはない。切りかかるまでもなく逃げていくのだ。そこかしこに岩のくぼみのようなところに卵が産んであってな、それを守ろうとするやつもいたのだが……」
お父様は夕食の席でも興奮が冷めないようです。食事そっちのけでしゃべり続けています。
「私たちが島に降りて中心部に向かってしばらくすると主のお出ましだ。大きな翼で羽ばたく音とギャーっというけたたましい鳴き声を響かせて空から急降下してきたのだ。だが私たちはそれを読んでいた。前管理者の記録通りだったからな。事前の打ち合わせ通り散り散りに走り、その様子を見て戸惑っている主の足にまず私の斬撃を見舞ってやったのだ。そうしてよろけたヤツに全員で集中砲火を浴びせ……」
できるだけお父様のお話に興味がないことを悟らせないようにこやかな顔をして、鶏肉のたくさん入ったシチューと食べます。
「大変ではあったが実にやりがいのある仕事だった。これほどの死闘は生まれて初めてだったぞ。討伐のあかしを持っていけば領主様も気に入ってくださるだろう。だが、あの鳥の糞で覆われて真っ白な大地は本当にひどかったな。見た目もよくはないが匂いが特にひどかった」
鳥の糞で真っ白に覆われた大地、そう聞いてあることを思い出しました。
「鳥の糞で真っ白に覆われた大地……、それはひょっとすると大発見なのではございませんか?」
鳥の糞が堆積して石になったものが『グアノ』と呼ばれ、南米の原住民に肥料として珍重されていた話。あまり詳しくは覚えていませんが、それをめぐって戦争が起こるほど貴重なもので、グアノが大量にあったナウル共和国は、グアノが採掘されて尽きるまでとてもお金持ちだったと記憶しています。
「なんだエレアノール、真っ白といっても灰色といったほうが正しいくらいくすんでいて綺麗なものではなかったぞ。匂いもひどいしわざわざ見に行くようなものではない。糞が固まってごつごつとした岩場のようになっていて、あの土地では農業もろくにできないだろう。まあ、畑を作ろうと思うほど広い土地でもないのだが」
「その鳥の糞が固まった白い岩がたくさんあるということがすごいのです。うまくすれば大金持ち、いえ、領地を豊かにすることができるかもしれません」
少々興奮で欲が言葉に漏れてしまいました。わたくしは貴族の子です。品のない言動をしてはお母様に叱られてしまいます。
「鳥の糞で領地を豊かに?いったいどういうことだ?」
お父様が怪訝そうな顔でわたくしのことを見つめます。
「白い岩は持ち帰っていないのですか?その白い岩を細かく砕いて畑にまけば、作物の取れる量が増えるかもしれません」
「どういうことかまったくわからん。いったいどういう理由でそう思うのだ。鳥の糞だぞ?」
「エレアノール、わたくしにも詳しく教えてもらえるかしら?」
「ですから、その岩はグアノだと思ったのです。本当にグアノなのでしたら……」
お母様が真剣な顔でこちらを見つめられハッとしました。わたくしは何の考えもなく前世の記憶に基づいた話をしてしまいました。
「グアノとは一体何ですか?詳しく教えてくださいませ」
「え、えーと……グアノというのは、海鳥の糞が長い年月をかけて積み重なっていき、次第に石のように固くなってですね……。その、作物が育つのに必要な栄養がすべて詰まっているとても優秀な肥料のことを……いうのだと思います……」
「急にどうした。なぜそんなに自信無く話すのだ。そもそもその話はどこで聞いた?どうして農学のような話をそなたが知っている?私はグアノなど聞いたことがないぞ」
「グアノという名前はわたくしも聞いたことがありません。あなたにつけた教師も農学など詳しくないはずです。いったいどこからそんな話を……」
不可解なものを見る目で見つめてくる両親から目線をそらして、どうごまかそうかと頭を働かせます。前世の記憶を覚えている、ということについて、特段両親に隠す理由もなかったのですが、信じてもらえず変な目で見られるのではないかと思い、これまで打ち明けることができませんでした。ですがその結果、この始末です。本当にどうしましょう……。
「そうです、夢の中で聞いたのです。夢の中のお話です」
「夢の中ですって?」
お母様はとても驚いた顔をしています。お父様はピンと来ていない様子です。
「詳しくおしえてくださいませ、エレアノール。どのような夢だったのですか?」
やってしまいました。このように深堀されるとは思っていませんでした。お母様の目は真剣で怖いくらいです。お母様が何を考えているかわかりません。いったいどのように説明をすればよいのでしょう。実は夢ではなく前世の記憶の話です、と正直に言うのが正解でしょうか?どう話してもおかしな子どもだと思われてしまいます。うまく返答できずうつむいたままでいるとお父様がお母様に問いかけました。
「いったい何を驚いているのだ、セシリア。エレアノールが返答に困っているではないか」
「トルヴィル様こそどうしてそのように落ち着いていらっしゃるのです?周りの大人の誰も知らないような知識、それを夢の中で聞いたといっているのですよ?わたくし、豊穣の成人のお告げではないかと思うのです」
お母様の返答にお父様のほうが驚いています。
「そなた、自分が突拍子もないことを言っていることはわかっているか?子どもが夢の話をしているだけだぞ?」
がんばってくださいませ、お父様。ただの子どもの夢ということにしてください。
「トルヴィル様も前々からおっしゃっていたではありませんか。エレアノールは子どもにしては賢すぎる、と。わたくし、不安だったのです。この子が普通の子どもではないことが。ですが今わかったような気がいたします。きっと神と神にお仕えする聖人たちがこの子に祝福を与えているのです」
大事になってしまいました。わたくしはお母様のことを止めてほしい気持ちでお父様に目をやりました。
「……うーむ、そなたの言っていることがまったくわからないわけではない。いくら私とそなたの子どもとはいえ、この年で文字の読み書きができることには驚いていた。だがさすがに聖人のお告げというのはあまりにも贔屓目が過ぎるとは思わないか?」
「ではグアノというものについて、その正しさを証明すればはっきりするのではなありませんか?エレアノール、グアノについて知っていることをもっと詳しく話してみてくださいませ」
すでにわたくしは両親におかしな子どもと思われていたようです。年相応の子どもらしい振る舞いが恥ずかしく、うまくできていないかもしれないと心配していたのですが、想像以上に異常な子どもだったようです。
「知っていることと言われましても……。グアノは海鳥の糞が長い時間をかけて何重にも積み重なり、石となったもののことを言います。陸続きの場所では鳥の糞は雨で流されてしまい石になることはないのですが、海風などの条件によって雨があまり降らない島では海に流れ出ることもなく積もっていくそうです」
両親からおかしな子どもだと思われていたことを知り、あきらめてさらに詳しく話してみることにしました。
「西の農村地域では作物がよく育つように家畜の糞などを集めて発酵させ、畑にまいているのではありませんか?そうしないと土がやせてしまい、次第に作物が取れなくなってしまう思います。グアノもそれらと同様に、作物を育てた後の土に再び活力を与えることができる薬のようなものです」
わたくしの話を聞いたお父様が驚愕の顔をしています。
「薬といいましたね。では、使いすぎると害になる、ということもあるのでしょうか?」
真剣なまなざしでお母様が問いかけてきました。
「わたくしも使いすぎたときのことは存じ上げません。ただ、グアノの粉末は人の体には害になると思います。くれぐれも直接食べたり、間違って吸い込んだりしないように気を付けなければなりません」
「グアノがあれば金持ちになれるとも言ったな。それはどういうことだ?」
今度はお父様が少し笑っていて、それでいて真剣な表情で問いかけてきます。その部分は貴族らしく言い直したつもりだったのですが……。
「グアノは貴重で強力な肥料です。いまわたくしたちがいる領地や国では人口は増えていますか?もし人口が増えているなら、いつか人口増加に作物の生産が間に合わなくなる日がきます。食料の生産量が人口の天井を決めるのです。そしてグアノはその天井を押し上げる力があります」
「つまり、人が増えて食べ物がたくさん必要になる時代に、グアノを有している領地は食料の心配がない、それどころか売るほど食べ物を作ることができる、というわけか」
「そうです、それに加えグアノ自体を輸出することにもなるでしょう。お父様の管理下の農村では畑の広さに限度がありますから」
少しの間食堂が静まり返ります。
「……フフフ、ハハハハハハハ!」
野心に満ちた笑顔でお父様が笑いました。
「セシリア、私の負けだ、そなたの言うとおりだ!これがただの子どもの夢なはずがない!まさか我が子からこのような機会を与えられるとは思ってもいなかったぞ!」
「トルヴィル様、まだ島の石たちがグアノだと証明されたわけではございません。西部の農村に協力するよう言い渡して試していただきましょう」
「そうだな、さっそくもう一度島に向かって持って帰れるだけグアノとやらを持ち帰ってみよう。そしてそれを農村の平民に配り、小麦の取れる量にどれだけの違いが出るか試してもらう」
「いまは収穫の直前の時期ですけれど、いつから試すのがよいでしょうか。いまから試しても遅いかしら?」
両親が沈黙のままこちらに視線を向けてきます。小麦の栽培などほとんど知らないのですが、わずかな知識を絞り出します。
「詳しいことは農村の方々に聞くのが一番だと思いますが……、おそらく収穫後は土が作物に栄養を取られてやせてしまうと思います。ですので、収穫後には家畜の糞などを土に混ぜる作業があるのではないでしょうか?そのときにグアノを一緒に混ぜてみるのはどうでしょう?」
「よし!ではそのようにしてみよう!」
「あの、お父様」
「ん?どうしたエレアノール」
「まだグアノについての詳細はほかの人には秘密にしてくださいませ」
お父様が首をかしげます。お母様も不思議そうに見つめてきます。
「その、今話したことがすべてただの夢のお話で、全く効果がないようでしたら恥ずかしいではありませんか。あと、孤島の石が万が一小麦に有害だった場合、取り返しがつかないことになるかもしれません。試してみる畑はある程度制限し、自主的に実験に参加してくださる農家に絞って試してみてください。わたくしの夢が原因で餓死者が出てしまうようなことがあったら農村の方々に顔向けができません」
「む?そなたは心配性なのだな。だが小麦が全滅となれば農村がどうしようもなくなるのは確かだ。そなたの忠告を聞き入れることにする」
「秘密にすることも忘れないでくださいませ!」
こうしていつもより長い夕食を終えたのでした。
初めて作品を投稿します。ライトノベルと児童文学の中間ぐらいを意識して作ったお話です。のんびり過ごしたいエレアノールとそうさせてくれない周囲の大人の物語をゆっくり眺めてもらえると幸いです。
一話目は少し長いですが、次からはこんなに長くありませんので、お気軽にどうぞ。