氷魔公爵と炎魔姫〜病弱で虐げられた私を救ってくれたのは、とても冷たいキスでした〜
【7日連続】短編投稿予定です!
第3弾はこちら↓↓↓
かつて村を、大火が覆った。
「パパ……いやだよ、一緒に逃げようよ」
盛る炎が父と娘を分けた。
「……大丈夫だ、愛しい娘よ。騒ぎが落ち着いたら、伯父さんのところへ行きなさい。パパはきっと天国から、成長した姿を見守っているから。ほら、もう行きなさい」
瓦礫の下敷きになった男は迫る炎を受け入れるしかない。
「死んじゃいや! パパ!」
「早く行け!」
娘は父の必死な顔を、初めて見た気がした。
逃げようとする娘に、炎の線が絡みつこうとする。
肌が焼ける。髪が燃える。生命が、蝕まれていく。
それでも必死に、少女は逃げ切った。
☆ ☆
未曾有の大火から、12年が経った。
アリス・クノールは現在18歳。
火災で父が亡くなってからは、その言い伝えを守り、男爵家である伯父のフリードマン家にて匿われた。
しかし伯父が流行病で亡くなると、フリードマン家でのアリスの立場はみるみるうちに無くなっていった。
特にキツく当たったのは、叔父の妻(アリスの養母)であるベラトリスと、その寵愛を受けた娘のゼノーリアだった。
ゼノーリアはアリスより派手で目立つ顔をしているし、なによりベラトリスそっくり。その意志の強さも十二分に受け継いでいた。
年齢で言えばアリスの方がひとつ年上ということになるのだが、第三者から見ればどう考えても「男爵令嬢とその下女」としか見えなかった。
「私とあなたは、アカの他人でしょう? それなのにこの歳まで家に置いてあげるなんて、本当に私たちってお人好しよねえ?」
「本当ですわ、お母様」
猫撫で声で母にそう返したゼノーリアはアリスの方をギロリと睨むと、言うのだった。
「私とオマエじゃ、人間の格が違うの。私はね、伯爵家の旦那様との婚姻が控えているの。もしパーティーの際には、ちゃんと給仕として働きなさい? いいわね」
「あら、お祝いの場に呼んであげるだなんて、心の広い子ねえ! ゼノーリアちゃん」
「どうせコイツが結婚なんてできるわけないんですから。生き遅れの無能よ、こんなやつ」
まあ、それはそうね! とベラトリスは大袈裟にゼノーリアの髪を撫でた。
「突っ立ってないで、さっさと夕食の支度をしなさい!」との母の一言で、アリスは厨房へと下がっていった。
ここまでひどい仕打ちを受けても、誰も助けてくれる人間はいなかった。
この周辺ではフリードマン家に逆らえる人間などそうそういなかったし、街の人々もアリスのことを「哀れな娘」以上の関心で見ることはなかった。
なぜベラトリスとゼノーリアはここまでアリスに対して敵意を向けるのか?
それには、ある理由があった。
(うっ…………)
アリスは床に膝をつく。額に手を当てると、この日も高熱が出ている。
アリスは頻繁にベッドに倒れ込むほど、体が病弱だったのだ。
そういう日には、決まって高い熱がアリスの体を包み込む。
こんなこと、かつて父と暮らしていた時には、なかったと思う。このフリードマン家にやってきてから発症するようになったのは、やはり環境が変わったストレスからか、それとも父を失った悲しみからか。
高熱の中で、アリスはきまって夢を見る。あの、大火の日のことを。
☆ ☆
数日前から、街は「日食が起きるぞ」という話題で持ちきりだった。
買い出しで行った八百屋のおじさんの話で、アリスもそのことを知った。
「明日は珍しい日食だそうだ。アリスちゃんは、誰と見るかな?」
誰とって、私はいつだって独りです……。そんなことで盛り上がれるほどに平穏な暮らしを、私もしてみたかったなと思った。
屋敷に戻ると、ゼノーリアが勝ち誇った態度で言ってきた。
「明日、私の“旦那様”がこの家にいらっしゃることになったわ。屋敷にお招きするのは初めてなの。言いたいことは分かるわよねえ? 決して失礼のないよう、覚悟して働きなさい」
「承知いたしました……」
別にゼノーリアがどこの誰と結婚しようが、構わない。いや、もしかしたら、ゼノーリアが伯爵家に嫁げば、私はこの家でのんびり暮らせるのでは?
そんな淡い期待も生まれてくる。それは同時に、アリスの悲惨な現状をよく表してもいた。
つまりアリスは、「自分も運命の男性と出会い、結婚して幸福な家庭を築く」だなんて夢みたいな理想を抱く想像力すら奪われていたのだ。
しかしこの日は異常だった。
これまで以上に発熱の発作が重いのだ。こんな高熱は、感じたことがないーー。
明日はゼノーリアの婚約者が屋敷へとやってくる。寝て起きたら、どうか熱が引いていますように……。朦朧とする意識の中で、アリスは祈りながら眠った。
しかし翌日、アリスが起き上がることはできなかった。
高熱が体の隅々まで蝕むように侵食し、自由を奪う。
目を開くのでさえ、苦痛が伴うほどだった。
(ああ、ゼノーリアに怒られるな……)
案の定だった。
アリスの有様を見て、ベラトリスとゼノーリアは私の体の弱さをボロクソに蔑んだ。心配する言葉など、一言もなかった。別に、期待もしていなかったが。
「ゼノーリアちゃんの大切な日に、こんな醜態を晒すなんて……。あなた説明しなさい! どうしてこんなにも貧弱な身体なのか。説明できないならば、謝罪しなさい! その弱さのせいで、恩人である私たちに、どれだけ迷惑をかけてきたのか」
捲し立てるベラトリス。しかし、アリスには聞き取るのがやっとだ。
ベラトリスの横で、ゼノーリアが残酷に言い捨てた。
「呪われた女よ、こんな人間」
(ああ、たしかにそうだな)
曖昧な意識の中で、アリスは思った。
私は、呪われた女だ。
☆ ☆
いつまで経っても止まらなかったゼノーリアの悪態をとめたのは、婚約者の来訪だった。
奥の部屋のベッドで寝ているアリスに聞こえたのは、ゼノーリアとベラトリスの猫撫で声と甲高い笑い声。彼女たちと婚約者にアリスは興味がなかったが、自分から興味が離れているだけ幸せだと思っていたのだが……。
「ゴホン……」
アリスの咳に「おや? 他にも誰かいるのか?」という男の声がした。
まずい。
せっかく、自分の存在を消せていたはずだったのに。
「病弱な下女がおりまして……」とゼノーリアが言うのが聞こえる。
「顔は見せないのかね?」と男の声。
「……出てらっしゃい! 今すぐに!」
ゼノーリアとベラトリスが揃って叫ぶのが聞こえた。
ここは出て行かないと、まずいことになる。この家を追い出されるかもしれない。
そう思い、必死の思いで体を起こす。
彼らの懇談する広間に辿り着いた時、アリスは全身の感覚が既に無くなっていた。
顔は、それはひどいものだっただろう。
「キャッハ! なにこいつ! 汚すぎる!!」
「まあ? 穢らわしい」
わめきたつ女たち。しかし、睨み返す気力もない。
しかし、アリスはもしかしたらゼノーリアの婚約者だという男は、私の体を案じてくれるのではないか? そんな考えもよぎったのだが……。
「なんだ君、その服装と顔は……信じられん……。もっとフリードマン家にふさわしい清潔感を持ったらどうだ」
期待なんて、するものじゃない。アリスはギリギリ開く目で、自分の体を見る。
確かに、貧相で、汚くて、惨めだ。
(ああ……熱が私を壊していく……)
アリスは、限界だった。別に、彼らの暴言が限界だったのではない。体が、熱にうなされ、もう限界だったのだ。
どさりと、床に倒れ込むアリス。
それを見て、三人はさらに笑ってワインをあおった。
もし。
もし、普段は見えない「エネルギー」に色がついたとしたら、私の身を包むこの熱は、どれほどの色で燃え盛っているだろう?
遠ざかる意識で、アリスはそんなことを考えた。
「ようやく見つけたぞ。炎魔姫!」
突如屋敷に知らない男の声が響き渡ったのは、そんな時だった。
「だ、誰なの?」とゼノーリア。
婚約者の前で威厳を見せたい伯爵も、「お、おい、貴様誰の許可で入ってきた?」と啖呵を切るが……男はあまりのオーラだった。
「あなたがたに、一切の用などないーー」
そう言ったのは、とんでもない美形の青年だった。
それは婚約者を前にしたゼノーリアが、その存在を忘れて目を見開くほどに。
それは恋などとうの昔に忘れたはずのベラトリスが、その感情を呼び起こしてしまうほどに。
白銀の揃った髪、白い肌。サファイアが埋め込まれたような瞳は、澄んでいてあまりに鋭い。
こんなにも美しい人間が、この世界には存在するのか。
「私は公爵ドイル・セブンティーン。またの名を、『氷魔公爵』」
そう男が名乗った時、あたりの空気は一変していた。
「氷魔公爵さま、ですと……」
爵位を授かっていて、その存在を知らないわけがなかった。
名前の通りの冷酷非道。人を人とも思わない氷のような男ーー。
「ま、まあ」と口火を切ったのは、ゼノーリアだった。
「私が……公爵様の探していたエンマヒメでございます。お迎えに来ていただけたなんて……」
当然驚いたのは婚約者だったはずの伯爵。開いた口が塞がらない。
「い、いえ! そのエンマヒメとはわたくしのことではございませんか?」
続いたのは、ベラトリスだった。
母も娘も、もう互いの存在を気にしてなどいられないという雰囲気で、すごい剣幕でドイルに迫ろうとする勢いだった。
「あなた方に用などないと、何度言ったら分かるんだ!」
ドイルが右手を虚空に振り払った瞬間。
ーーパリパリパリパリ
一瞬にして壁中が透き通った氷で覆われる。
「今度は、この手をあなた方に向けようか」
目にするあまりの現実に、ゼノーリアとベラトリスは揃って尻餅をついた。
もう誰も、口を開くものはいない。まるでこの瞬間が、氷漬けにされたかのように。
静まり返った広間で、ドイルはゆっくりと倒れ込んだアリスの元へと向かうと、なにも言わずに口づけをした。
(えっ……)
アリスの熱い体内を、冷たい無数の線が、駆け巡っていく感覚がする。
(氷魔公爵様が……私の中に……)
驚くべきことに、アリスは自分の体から一瞬にして大量の熱が抜け去っていくのを感じた。
「日食は炎魔姫の天敵だったと聞く。少々遅くなってしまったが、姫を、あなたを、助けに来たんだ」
その声は、ちゃんと聞こえた。
「ありがとう、ございます」
そう口にしたアリスは、ドイルの腕の中へと、静かに落ちた。
☆ ☆
ドイルに抱えられて屋敷を出たアリスは、自分でも信じられないくらい元気になっていた。
二人を乗せて夜空を飛ぶドラゴンは、全身から青い冷気を放っている。さすが氷魔公爵のドラゴンだ。
自分が暮らしてきた家は、自分が世界の全てだと思っていた町は、上から見るとちっぽけだった。ドラゴンが高度を上げるにつれて、美しい世界の広がりが、アリスの視界いっぱいに広がってくる。
アリスはドイルの腰を掴む手にぎゅっと力を込めて、新しい自分になろうと思った。
空の上で、ドイルはアリスに優しく話しかける。
「身体は、よくなったのか?」
文字にすれば、ぶっきらぼうな一言だと思う。だけど、体に触れているアリスには、そうではないことがよく分かる。
この人は、本気で私のことを心配してくれているんだーー。
だけれど、アリスには実際のところ、わからないことだらけだ。
炎魔姫とはなに?
日食が発熱の原因?
あなたが使ったのって、魔法?
あなたは、どうして私を助けにきてくれたの?
そして、
あのキスの、意味はーー。
☆ ☆
ドイルの住むセブンティーン公爵家は信じられないくらい大きく、美しい建造物だった。これが公爵さまの家……とアリスも衝撃を受けたほどだ。
「私が、狙われている……とはどういうことなのですか?」
暖炉にくべた薪がぱちぱちと燃えるあたたかな部屋で、ドイルは確かにそう言った。
国中の魔家が、アリスのことを狙っているんだ、と。
「なんの取り柄もない、家族もいない、下女同然だった私が、なぜ狙われるのですか?」
「アリスが、現存するたった一人の、炎魔姫だからだ。その力を、多くの悪い人間たちが探している」
「その、炎魔姫っていうのは……」
「遺伝や呪い……特別な因果で炎のエネルギーを授けられた女性のことだ。しかし、そのエネルギーはひとりで溜め込むには、あまりに巨大すぎる。普通の人間には感じ取れないが、今日のエネルギーは相当なものだった。だから私もアリスの場所がわかったのだが……苦しかっただろう」
アリスは、ハッとした。優しい言葉を、かけてくれるとは思っていなかったから。
「ん、どうかしたか? ……炎魔に選ばれた者と氷魔に選ばれた者は、強力なエネルギーを得る代わりに、苦しみの代償を得る。アリスは日食の日に。そして私は月食の日に」
アリスは頭の中で、ドイルの話をなんとか整理しようとする。
今日は日食で、苦しむであろう私の身を案じて、ドイルは助けにきてくれた、ということなのだろう。
しかし……。
「どうして公爵様は、私をあの家から連れ出してくれたのですか?」
アリスは気になっていたことを聞いてみた。
「それは……」と初めて言い淀むドイル。
なんだか、言いにくそうな顔になってしまう。
「私にはわからない理由があるならば、お話しいただかなくても……」
「いや、そうではないんだ」
そう言うと、ドイルは二つの澄んだ瞳で、アリスのことを真っ直ぐに見た。
こうして向き合うと、本当に美しい顔。触れば、壊れてしまいそうなほどに。
「アリスと、結婚……したいからだ」
世間から恐れられる氷魔公爵の白い顔に、紅がさすーー。
え、えええ!?
アリスはわけがわからない。
「私と結婚してくれないか? アリス」
「い、いきなりそんなことを言われても、どうすれば……」
本気で慌てるアリスを見て、ドイルは申し訳なさそうな顔を作った。
「すまない、それが当然の反応だ……。君にとって私は、今日初めて会った他人だから……。だが……私はずっと何年も、アリスのことを想ってきたんだ」
聞けば、氷魔の血を受け継いだドイルは、物心ついた頃から、氷魔と炎魔の伝説を信じて育ってきたのだという。
「炎魔の苦しみを解けるのは、氷魔だけ。そして氷魔の苦しみを解けるのもまた、炎魔だけーー。そんな、運命のつがいなんだと、信じてきたから」
そう、ドイルは言った。
ドイルは、私のいなかったこれまでの日々を、どれだけの苦しみに囲まれて生きてきたのだろう。そう思うと、アリスは涙を流さずにはいられなかった。私が苦しんだように、ドイルも苦しんできたのだ。
「さっきの……さっきのキスの意味は……?」
考えるよりも先に、アリスはドイルの彫刻みたいな美しい顔に向かって、問いかけていた。
しかし、アリスは自分でももうよく、わかっていた。
私の苦しみを取るための、キス。
「いや、違う……」
ドイルの顔が赤い。
いくら美しくても、彫刻なんかじゃない。あたたかい、人間だ。
「アリスのことが、好きだから」
つららのように真っ直ぐで嘘のない言葉が、アリスの胸をそっと貫いていく。
運命によって結ばれた炎魔姫と氷魔公爵が、真実の愛で結ばれるのは、もう少しだけさきのこと。
お読みいただきありがとうございました!
「面白かった!」
「ドイルが来てくれてよかった……」
「アリスの家族ヤバすぎる」
などなど思っていただけましたら、投稿の励みになりますので評価、ブックマークよろしくお願いいたします!
明日も新作を公開予定です。