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生まれ育った町一番の高級娼館より更に大きい屋敷に映り住んで、あっという間に半年が経った。
はじめはこの屋敷に何百人住めるんだろう、と考えたが、本邸に住めるのは家族を除けばごく一部の使用人だけで、20人程度だ。百人を超す使用人は皆別邸で生活している。それも敷地内にあるのだが、この敷地というのがまた広い。自転車とか欲しくなる。
「お父様、この財務帳票ですが」
「うん? どうしたんだ?」
「こちらのテトア地区では干ばつにより麦の収穫が落ちてるとありますが、納税額が昨年同月と変わらないのはどうしてでしょう?」
ヴァレンティ公爵家は、ここヴェッキオ公国の国内で最も広大な領地を抱える貴族家だ。直轄地が2領、公爵家に連なる家が代理で領主をしている土地が30ほどある。
たゆひつ初回限定版に封入されていた設定資料集では、ヴァレンティ公爵家の持つ土地だけで北海道ほどの面積と農作物の収穫量があると記されていたほどだ。
ヴァレンティ公爵家も元は貴族家ではなく開拓農家の領主一族でしかなかったが、公国の発展に大きく貢献し、長年掛け国内有数の大貴族へと至ったのである。
「……確かに、エリサの言う通りだな。干ばつの報告があったのは覚えているが、税額が下がっていないので大した影響はないかと思っていた」
ちなみに、私の名はリサからエリサになりました。
馬車の中でお父様がなんとなくで決めただけなのだが、別に嫌ではなかったので受け入れた。どうせ名付けの権利だってお父様が買っていたのだからそれを拒否する権利は私にはないのだし。それに、この人に呼ばれるのなら何でもいいとも思っていたのだ。
「一応聞いておきますが、ここテトア地区の領主家系、カザーレ家は公爵家とどのような繋がりがあるのでしょう?」
「母方の再従兄弟に当たる、エラルドという男が家督を継いでいたはずだ」
「面識はございますか?」
「……なくはない。従姉の結婚式で言葉を交わした程度だな」
「では、人柄も分かりませんよね」
お父様はコクリと頷いた。
私は前世で10年ほどベンチャー企業のバックオフィス全般を取り仕切っていたから、事務も経理も人事も全て経験している。その勘が言っている。
――こいつは不正をしている、と。
「まず、この資料から考えられるのは二つの方向性です。ずっと前から収穫量を低く見積もり税収から中抜きをしていたか、それとも干ばつを隠さないといけない理由があるか」
「一つ目は分かる。だが二つ目はどういうことだ?」
「領主自ら主導した治水に失敗したとか、そもそも干ばつというのが嘘とか、領主に知られないよう何かを伝えようとしているか――ざっと浮かぶのはこのくらいでしょうか」
「ん? 待て、その最後のはどういうことだ。前二つは理解出来る。領民が何かを伝えようとしている、だと?」
「はい。収穫量が落ちても農民が身銭を切ってまでいつも通りの税を納めれば、こうして二つの書類を見比べるだけで違和感を覚えるでしょう?」
「うん、まぁ、そうだな。で、それが何を表してるんだ?」
お父様に渡した二つの書類は、どちらもテトア地区の領主が作成したものだ。
片方は天候や作物の成長具合、植えた野菜の品種などから今後の収穫量見込みを記載する、三か月ほど前に提出されたもの。もう片方は今月の税収が書かれたものだ。
農民は学がないものも多く金勘定が苦手な者も多いので、こうして領主や領主邸で働く者が書類を代理作成すること自体は一般的である。だがそうなると、農民自ら何かを訴えようと思っても、領主が握りつぶすことも出来てしまうということになる。
「分かりません」
「…………」
「分からなかったので、とりあえず30年分ほど遡って、テトア地区の税収と収穫見込みを表にしてみました」
お父様に渡した書類は、人力Excelによって導き出された折れ線グラフだ。
数字だけで見るより、こうして表にした方が分かりやすいので作ってみたが、この世界にグラフを書くという文化はないようなので、お父様が有名な黄色い熊の画像のような表情をして首を傾げている。悩ましいお顔も素敵ですわお父様。
「あぁ、なるほど」
初めて見る折れ線グラフだったが、顔だけでなく頭も良いお父様はすぐに読み方を理解したのか、頷きながらグラフを眺めている。推せますわぁ……。
ゲーム内では見られなかった内面をこうも近くから観測出来ちゃうと、壁の染みになりたいとか言ってる場合じゃなくなりますわね。
「……緩やかにだが、差が狭くなってるようだな」
「そうなんです。試しに公爵家直轄地、ヴァイテ地区の30年分でも同じように作ってみたんですが、どう思います?」
「見事なまでにバラバラだな」
「そうなんです。ばらっばらなんです。だって、収穫量の見込みなんてそんな正確に測れるわけないじゃないですか。未来の天候なんて誰にも予測出来ませんし、虫害や鳥などの被害も考慮すると、ここまで正確な数字が出せるわけない――なのに、このテトア地区は、異常なまでに正確なんです。もっとも、すっごい読みの上手い人が領主をしているだけという線もありますが、3年前にサインが変わってることから今の領主は最近家督を継いだばかりのはずなので、その線は低いですよね」
テトア地区のグラフでは収穫見込みと税収を記した2本の線がほぼ水平に伸び、30年掛けて離れていた2本の線が近くなっているが、大きなブレはない。だがそれに対し、管理の厳しい公爵家直轄地、ヴァイテ地区は見事に線がガタガタなのだ。
「払いたい税収があり、それに合わせて収穫見込みを出している、ということか?」
「この方向性で疑うと、そうなりますね。ただ先も言った通り、これは予測しているパターンのうち一つでしかありません。領主でなく領民が不正をしている可能性も勿論ありますし、身銭を切って税収を整えてでも何かを訴えようとしている可能性もあります。その場合は領民に相当頭の回る人が居るってことですね。引き抜いた方がいいくらいに」
「……最近よく資料室に居ると思ったが、こんなことを調べてたのか」
「えぇ、暇でしたから」
「君には暇を持て余すという習慣がないのだな」
「そうですね、暇は潰したいタイプです」
少しだけ呆れた顔になったお父様は、書類を数枚見比べると小さく溜息を吐き、鈴を鳴らした。お父様の作業机には七種の鈴が置かれており、音色の違いによって呼びたい相手が変わる。今鳴らした鈴の音は、秘書を呼ぶ音だったか。
「お待たせしました。いかがなさいましたか?」
「これを見ろ」
部屋に入ってきたのは、お父様の執事をしているリディオという名の壮年の男性だ。彼は片眼鏡を掛けると、「ふむ……」と呟きながらお父様から渡された書類を見比べる。
「実によく出来ていますな。ただここ、17年前の数字が少々間違っているようですが」
いやすぐ気づくんかい。怖いよ。人力Excelにはやっぱり限界があるんです。
養子の私にも結構厳しいナイスミドルのリディオさんはまさに執事の鏡といった立ち居振る舞いで、私だけでなく誰にでも厳しい。
元は由緒正しい名家の生まれらしいが、私にとってのお爺様――現ヴァレンティ公爵家のご当主様と親交深く、お爺様が家督を継ぐ際に生家を出て、ヴァレンティ家の使用人になったいうエピソードを教えてもらった。
「まぁそのくらいは誤差だ。で、どう思う」
「……怪しいですな」
「だな。まぁ私もこうして見比べなければ分からなかった。数値上におかしなところはないし、数十年誰も気付かなかったほどの些細なものでしかない。だが、どう見る」
「そうですな。私個人の意見を言わせてもらいますが、多少は抜かれているものと見て良いと思います。ですが、あまり高額になるとも思えませんな」
「どうしてだ?」
「よほど高性能の肥料でも見つかったのならともかく、領地の人口や作付面積は誤魔化せるものではないからです。不正の確認に年二度文官が足を運んでおりますし、住民台帳にも誤記載や誤魔化しはありませんでした。となると、そうですな。税にする前――収穫時点の麦を外に流していると考えるのが妥当でしょうか」
「収穫時点? 麦なら加工してから売るだろう?」
「普通は、そうです。ですが、領民と言えどそれが不正と知っているなら、数十年口を閉ざし続けられる者はあまり多くありませぬ。黙っていられて数人でしょうか」
「そうですね、リディオさんの言うように、関わる人数は少なければ少ないほど良いです。特に身内だけで事を成すと満点ですね」
「……いや満点ではないだろう」
お父様が突っ込みを入れてくれたので、私は口を閉じリディオさんに説明を促した。説明が得意な人の方が良いよね、こういうのは。
「こっそり運んでこっそり売る――少人数で事を成したとして、それが他の領民に知られない量は限度があります。故に加工する手間も惜しんで、ごく一部の狭い範囲でそれを成す。――ですが、ある程度の中抜きを考慮するには書類を偽造する必要がありますから、税収をそれに合わせるのではなく、先に払いたい税収を決めた上で収穫見込みを書いているものと思われます。そうすれば不正の発覚は困難を極めますからな」
「……あぁ。あえて税額を少なく書かれたなら流石にこちらも気付く。だが最初から収穫見込みを変えられていたなら、難しいな」
諦めの表情で天井を仰ぎ見るお父様を見ても、うっとりしないのは流石のベテラン秘書。男も女も目を奪われるこの色気に、目を背けることなく迎え撃てるのですから。
「この不正で重要なのは、発覚はしづらいが儲けるのも難しい、という点です。何せ、収穫見込みから大きく外した税収を書いてしまえば、一発で疑われますからな。時として、自らが損をする税収を書かざるを得ない時もあるでしょう」
「…………ふむ」
「ところで、この資料を揃えた文官は誰ですかな? 先日雇い入れたマルカンあたりでしょうか? それとも――」
「そこのエリサだ」
お父様が私を書類で指して言うので、「あ、はい私です……」と小さく返した。
リディオさんは眉をひそめ、明らかに疑いの目で私を見る。そうですよね、あなたの前であんまり本性を見せないようにしていたので……。
「失礼、エリサ様は以前の職場で財務に携わっていたのでしょうか」
「え、いえ、全然そんなことはないです」
「…………そうですか」
誰にでも厳しいリディオさんだが、私への態度も他の人へ向けた態度と変わらない。つまりそれは、娼婦の娘だと馬鹿にしてくるわけではない、ということだ。
正直、公爵家で働く使用人のほとんどは私を下賤の者と見ている。直接的に何かを言われたりされることはないのだが、目を見れば分かるのだ。でもリディオさんにはそれがない。それが、ちょっとだけ嬉しい。厳しい先生なので苦手は苦手なんだけど。
「えっと、私の予想になりますが、補足良いですか?」
「どうぞ」
「お気付きとは思いますが、税収の誤魔化しは難しいです。どうしても不正の証拠が書類として残ってしまうことになりますからね。ですが、先程リディオさんも言ったように、収穫見込みの方を誤魔化すのは簡単です。基本的に参考値にしかならないものを書き換えるメリットは少なく、大外しをした時のデメリットが大きいですから」
「ではエリサ様は、どうしてそれが怪しいと思われたんですかな?」
「あぁ、簡単な話です。全体的に数字が綺麗すぎるんですよ、この地区だけ。ちなみに麦だけでなく、他の収穫物も満遍なくそうです。表で綺麗になるのは、数字だけじゃ分かりませんし」
「どういうことだ? 綺麗なのは悪いことじゃないだろう」
「そうなんですよね。んーと、お父様、ちょっとこの紙の端に、適当に20個ほど好きな数字を書いてみてください」
「20……? あぁ、分かった」
意味は分からないが、お父様は律儀に数字を書いてくれる。
「で、これに何かの意味があるのか? 心理テストか何かか?」
心配そうな表情のお父様が私に紙を返してくれた。前世でちょっと齧った程度の知識だけど、大きく外れることはなかったので良かった。これで0を20個書かれたら大恥だ。
「お父様、これ満遍なく全部の数字を入れるようにしましたよね」
「ん? そうか?」
「無意識でしたか、失礼しました。まぁ、意識していても無意識でもあまり変わらないものなんですが……。リディオさん、この数字を見てどう思いますか?」
「どう、とは……。そうですな、たいへん字がお綺麗かと」
「それは私もそう思います。では、それ以外の意図は読めますか?」
リディオさんによく見えるよう、書類を立てて見せる。二人はしばらく唸っていたが、結論は同じだった。
「分からん。何も考えてなかったからな」
「分かりませんな」
「はい、そうです。普通は、そうなるんです。適当に書いた数字は、大抵このように数字が散らばり、意図を読み解くことは出来ません。では、その上でテトア地区から提出されたこのあたりの書類を見てください」
麦だけでなく、他の農産物や畜産物、加工品の販売益や移動商人などから徴収した税収が書かれたいくつかの書類を手渡す。
「ん? 末尾に0が多いか?」
「それに、心なしか2という数字も多く見えますな。これはどういう意味でしょうか?」
「きっと意識して綺麗な数字にしようとしてるんですよ。2が多いのは私も思いました。好きな数字なんでしょうか? 適当に隙間を埋めるのに2を入れてる印象ですね」
「…………待てエリサ。つまりカザーレ家が不正をしているのは麦だけじゃないのか?」
「かもしれません。あぁ、確証があるわけではないですよ。ですが、事実と異なる数字を書こうとすると、どうしても数字を意識して配置することになります」
まぁつまり、ベルヌーイの大数の法則だ。サイコロを100回振っても出目にバラ付きはあるが、1億回振れば一つの数字が出る確率は16.7%に近づくというもの。
サイコロを5回振った時、6が続けて5回出る確率と確率と、61242になる確率は等しい。しかし、人は前者の方が確率が低いと感じてしまうものだ。
試行回数が少ないうちは一部の数字が頻出しても、最終的には等しくなるはず。しかし目先の数字だけを意識して整えようとすると、どうしても過去のものと見比べた頻出する数字であったり癖のようなものが生じてしまう。
「収穫見込みはどこも綺麗な数字にするんですよね。言ってしまえば適当な数字を書いてるようなものなので、端数まで厳密に導き出す必要はないからです。ですが、税収は違います」
「……ふむ」
「なるほど、我々は整った数字に不自然はなく感じましたが、エリサ様にしたら整ってる方がおかしい、と。そういうことですな?」
「そういうことです。この場合、不正の発覚を避けるため意識して綺麗な数字を書こうとした結果、出目――あぁ、頻出する数字が出てきてるんです。不正あるあるですね」
「「不正あるある……」」
ちなみにこれは、ベンチャー企業のバックオフィスの経験だ。適当な金額で領収書を切ったり適当に営業成績を書く人には、どうしても『癖』というものがある。
同じ数字を頻出させたり、好きな数字が出たり、無意識化で0が多くなったりといった、癖が見えてくる。
もしこの領地からの税収が本当に正しい数字ならば、全ての出目の確率は大局的に見たら等しくなる。だが実際はそうではない。それは、そこに『癖』が存在するからだ。
当然、税収というものはサイコロの出目ではないので、ある程度の規則性はあるだろう。麦畑の面積が変わらないなら、税収も大きな変動はない。だが端数まで変動しないはずもないし、端数こそ整うはずがない。
「私に言えるのはこのくらいです。……どうでしょう?」
「…………よしリディオ、明日にでも信用出来る文官を向かわせろ」
「畏まりました。事前報告はどうされますか?」
「しない。10年に一度はどの領地も抜き打ち調査をするだろう、現地でそう説明させろ。なに、何十年もやってるんだ、どうせどこかに裏帳簿でも隠してるはずだ」
「あの、良いんですか? 私なんかの予想でしかありませんが……」
「構わないよ。もしエリサの予想が外れたとしても、そこには清廉潔白なカザーレ家が生まれるだけだ。ヴァレンティ公爵家にとって不利益となることはないさ」
「……それは、そうなんですが」
本当に良いのだろうか。これは、ただの予想でしかないのに。数字が綺麗なんてのも言いがかりだ。収穫見込みと税収が近いのも偶然かもしれないし、読みが上手い人が居るだけかもしれない。
けどそれが積み重なった結果、大企業と違って個人の小さな不正が頻発しがちなベンチャー企業に勤めていた経験から、数字に違和感を覚えてしまっただけなのだ。
リディオさんに呼ばれて執務室に入ってきた文官に同じ説明をすると、文官はもう床にめり込むんじゃないかって勢いで謝罪をしていた。
まだ不正があると分かったわけではないのにこの様子、私なんかまずいことしちゃいました? って気持ちになったけど、時すでに遅し。
結局、報告が上がってきたのは5日ほど経ってからだった。