第38章:1990年9月に、美絵子ちゃん宅へ「現金書留」で送りつけた手紙の『草稿』
この章では、美絵子ちゃんとの「1990年8月12日事件」があってから、約1ヶ月のちに、私が美絵子ちゃんのご両親へ宛てて書いた手紙の「草稿」というものを、実に、いましがた(= 2023年5月21日・日曜日 午前8時15分)発見してしまいましたので・・・
それを読者の皆様にも、ここで謹んで紹介しておきたいと思います。
私・・・本当に、何をやっていたんでしょうねぇ・・・。
m(_ _)m
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
【 前略
○○時子様
突然、このような手紙を、「現金書留」などで送ってしまい、申し訳ありません。
書き出しから失礼ではありますが・・・
この手紙は、お母様の時子様が眼を通すまでは、美絵子さんご本人へは、見せないよう、お願いします。
きっと美絵子さんは激怒され、この手紙を読まずに破り捨ててしまわれるでしょうから・・・。
私は、栗原茂雄と申します。
表の「差出人名」と、裏の「割印」は・・・
この手紙を読んでいただくための「カモフラージュ」です。
手紙の中身を読んでいただくまでに美絵子さんの目に触れると、読む前に捨てられてしまうと思ったからです。
それで、こんな小細工をしました。
・・・申し訳ありません。
私につきましては、これまでに、矢板市のセツ様よりお聞きになり、すでにご存じかと思います。
○○さんの、このご住所につきましては・・
私自身が調べまして、実はかなり以前から存じ上げておりました。
時子様も、怒り心頭に発しておられるとは思いますが・・・どうか最後まで眼を通していただきたいのです。
・・・前置きが長くなりましたが、本題に入らせていただきます。
美絵子さんのお母様の時子様には、先月の8月12日に、セツ様の家の前でお会いし、お話させていただいたと記憶しておりますが・・・
私の方の勘違いで、別の親戚の方とお話していたかもしれませんので、あらためて自己紹介させていただきます。
私は、栃木県矢板市○○のシャープの工場の近くに住んでいる、一学生です。
現在、栃木県宇都宮市にあります、『栃木県農業大学校』という、4年制の県立の専門学校に通っておりまして、そこの2年生です。
1970年10月26日生まれの19歳で、美絵子さんより、3つ年上です。
あと2年後に、地方公務員の試験を受ける予定でして、今、その勉強を続けています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・私と美絵子さんは、いま、何の関わりもない、「赤の他人」であり、私が今ごろ、このような手紙を出すことは、非常識きわまりないことなのだと、私自身わかってはおります。
お怒りでしょうが、続けて読んでいただきたいと思います。
矢板市のセツ様、および、その他親戚の方は、すでにご存じかもしれませんが・・・
私は、美絵子さんが、小学1~2年生の2年間・・・すなわち、1980年4月から1982年3月の期間に、矢板市の川崎小学校に通っていらした当時、同じ小学校に通っていた児童でした。
美絵子さんと仲良くしていた当時・・・
私は5年生、美絵子さんは2年生でした。
当時の私は、同級生の友人がおらず、常に孤独でした。
それで、休み時間には、自分より年下の女子児童とばかり遊んでいました。
・・・その中に、美絵子さんがいました。
そうして美絵子さんと遊んだことが、とてもいい想い出となりました。
美絵子さんがK市の小学校に転校して、私が、中学・高校と進んでも、そのことがずっと忘れられませんでした。
・・・美絵子さんからみると、もうそんなことは、すっかり記憶にないことでしょう。
私自身も、もう、そんな幼い日の想い出に、いつまでもひたっていても仕方ないと、わかっております。
時子様・・・
いままで、誰にも話せませんでしたが、こんなことがあったのです。
美絵子さんが、小学2年ももう終わりのころ、もう、あと何日かで転校していってしまうというある日・・・
いままで仲良く遊んでいた美絵子さんに対し、ひどく冷たい態度をとって、幼い美絵子さんの心を、ズタズタに傷つけてしまったことがありました。
・・・自分でも、なぜそんなことをしたのか、今でもわかりません。
そのとき、すぐに謝ればよかったのですが・・・
謝ろうか、どうしようかとズルズル迷っているうちに、美絵子さんは、まもなく転校していってしまいました・・・。
美絵子さんのお友だちから、もう転校してしまったよ、と聞いて、びっくりしました。
なぜ、すぐに謝れなかったのかと、ひどく後悔が残りました。
そうして、美絵子さんに謝ることができなくなったまま、中学・高校・大学校と進み・・・
気がついてみると、実に8年近くの歳月が流れてしまっていました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
しかし、1989年の8月13日に、セツ様の家の前で、美絵子さんと、ばったり会ったのです。
・・・あまりに突然のことでしたので、呆然としてしまいました。
またそのときの私は、7年の間にかなり太っていましたので、美絵子さんは、はじめは、私の面影にはなかなか気づかれなかったようです。
が・・・やはり、気づいてくださったようです。
しかし、美しく成長された美絵子さんと目が合ったとき、彼女の私に対する、おびえたような眼を見て、そのとき私は、7年以上もの「時のへだたり」と、「自分はもう、美絵子さんとは何の関係もない、ただの赤の他人なんだ。」という厳しい現実を、まざまざと見せつけられました。
そのときの美絵子さんは、私を見て、非常に警戒していましたし、すぐに車に乗って帰ってしまわれたので、ついにひと言も言葉を交わせずに終わってしまいました。
でも私は、いまさら自分の、あの罪深い行為を許してもらおうなどという、ずうずうしい魂胆でもって、あの場にいたわけではありません。
そのときは、たったひと言でいいから、彼女と話したかったのです。
・・・言葉を交わしたかったのです。
私は、また来年、ここで美絵子さんに会えるにちがいないと思い、それを信じて、1年間待ちました。
その間に、「昔の姿」に戻るべく、必死のダイエットを試み、体重と脂肪を、20キロ落としました。
・・・もう、あのころの私の姿に戻ったのです。
そして、先月の8月12日に、美絵子さんは再び、この矢板市に来てくださいました。
来年には、美絵子さんは高校3年生となられ、きっと大学入試の勉強でいそがしくなる・・・だから、会えるのはもう、美絵子さんがまだ高校2年生でいるときの、今年が最後のチャンスなんだ・・・
そう決心し、会いに行きました。
そして最後の思い出に、美絵子さんの写真を残せればと思い、カメラも持っていきました。
しかし、美絵子さんご自身が、「会いたくない。」とおっしゃられたということでしたので・・・会うことは、かないませんでした。
・・・それは仕方のないことでした。
あれだけ過去にひどい仕打ちをしたにもかかわらず、それをすぐに謝罪もせずに、自分はだらしない食生活を続けて、ぶくぶくと豚のように太った体で、いまさらヌケヌケと姿を現わす・・・
迷惑以外の何物でもないですよね。
☆ ☆ ☆
(注釈) ↑ このように手紙には書きましたが、このときには、ダイエットをしてちゃんと絞れていました。なんでこう書いちゃったんでしょうかねぇ・・・。
☆ ☆ ☆
さらに、こんな手紙まで恥ずかしげもなく、ずうずうしくも時子様に、そして美絵子さんご本人に送りつけてしまいました。
・・・最後にあたりまして、同封の「¥ 2000」について、ご説明します。
先月の8月12日に、セツ様のご自宅前で、そのとき私が会った女の方(= 時子様、ご本人でしたらすみません)に、「美絵子さんに会えないのなら、せめて、いまの美絵子さんの写真を送っていただけないでしょうか?」とお願いし、承諾を得ました。
・・・しかし、2週間以上待ちましたが、写真は送られてはきませんでした。
それで、申し訳ないとは思いつつも、このような長い手紙を送付させていただいた次第です。
これが本当に最後のお願いです。
私はもう、美絵子さんの人生の邪魔をしません。
○○さん、および、セツさんにも、今後一切、ご迷惑はかけません。
ですので・・・最近の美絵子さんの写真を、1枚でいいので、送っていただけませんでしょうか・・・?
どうか、よろしくお願いします。
下記は、私の現住所です。
同封の「¥ 2000」は、少ないですが、その写真代です。
草々
〒 329-2142 栃木県矢板市XX○○○ー○○
栗原茂雄
1990年9月3日 】




