第37章:1986年3月に、美絵子ちゃんへ宛てて書いた手紙
・・・この章では、1986年3月に、ぼくがセツさんに渡し、そして美絵子ちゃんへ渡してくれることを託した、「美絵子ちゃんへの手紙」というものを、紹介させていただきますね。
先日、ようやくその鉛筆でレポート用紙に書いた「草稿」・・・すなわち、「下書き」を見つけましてね。
ただ残念なことに・・・
この手紙にも、美絵子ちゃんへの、「魔物事件」への謝罪という要素は、ひと言も盛り込まれてはいませんでした。
おそらくセツさんは、いったんは目を通してくれたとは思いますが・・・お盆に来た美絵子ちゃんが、その手紙を読んでくれたかどうかは不明です。
渡してしばらくしてから、ゴミ箱行きになった可能性も高いですけれどね・・・。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「 美絵子ちゃん、久しぶりですね。
僕をおぼえていますか・・・?
僕は美絵子ちゃんが、栃木県矢板市の川崎小学校に通っていたとき、上級生だった栗原茂雄です。
同封の写真を見て下さい。
明るい方の写真は、僕が5年生のときに撮ったものです。
暗い方の写真は、僕が中学3年生のときに撮りました。
僕は、美絵子ちゃんが転校していったと聞いたとき、大変おどろき、悲しみました。
僕は、もっと美絵子ちゃんと話がしたかった。
美絵子ちゃんが転校する前に、もう一度会いたかった。
あのころ、学校の鉄棒の近くで遊んだり、おいかけっこをしたことが、昨日のことのようになつかしく思い出されます。
それは僕にとって、忘れがたい思い出でした。
嫌なことがあっても、美絵子ちゃんと遊んでいるときは、すっかり忘れることができました。
あのころの美絵子ちゃんの、まるで天使のようだった笑顔や、明るく可愛い笑い声が、消えることなく、僕の心に焼きつき、今も忘れることができません。
・・・あれから、いろいろなことがありました。
僕は中学校に入学し、卒業、そしてもう高校生です。
美絵子ちゃんはもう、中学生ですね。
ぼくは、美絵子ちゃんがいつか、矢板市に来ると思って、この手紙を書きました。
この手紙を美絵子ちゃんが読んでくれ、そして僕のことを思い出してくれたのなら、こんなうれしいことはありません。
僕は、いつかきっとどこかで、美絵子ちゃんに会えると信じています。
美絵子ちゃん、いつまでも元気でいてください。
そして、いつまでも僕のことを忘れないで下さいね。
さようなら。
1986年3月吉日 自宅の机にて 愛する○○美絵子ちゃんへ 」




